刑法(名誉毀損罪)

名誉毀損罪(20) ~公共の利害に関する場合の特例(刑法230条の2)②「公共の利害に関すること(事実の公共性)」を説明~

 前回の記事の続きです。

事実証明の前提要件

 刑法230条の2が適用される場合は、名誉毀損罪(刑法230条)は罰されません。

 刑法230条の2「公共の利害に関する場合の特例」は、事実証明の前提として、摘示された名誉を毀損する事実が

  • 公共の利害に関すること(事実の公共性)
  • 行為の目的が専ら公益を図るためであったこと(目的の公益性)

の2点を要求しています。

 また、起訴前の犯罪行為(2項)、公務員に関する事実(3項)については、この要件の一部又は全部の存在を擬制する旨の規定を置いています。

 この記事では、「公共の利害に関すること(事実の公共性)」について説明します。

事公共の利害に関すること(事実の公共性)

「公共の利害に関するもの」とは?

 摘示された事実は「公共の利害に関するもの」でなければなりません。

 「公共の利害に関するもの」とは、一般多数人の利害に関することを意味し、その範囲は、摘示行為の態様との関係で相対的に決まります。

 これは、国家若しくは社会全般の利害に関わる事実でなくとも、

限定された範囲の者に対して事実を公表した場合にも、それらの者の利害に関わるのであれば、「公共の利害に関するもの」の要件が満たされる

ことを意味します。

事実が公共の利害に関するとは?

 事実が公共の利害に関するとは、その事実が抽象的に見て公共的な性質のものであることをいうのではなく、

公共性のある事項を評価・判断するための資料になり得ること

をいいます。

 なので、

私生活上の事実

であっても、公共の利害に関する事実に含まれ得ることになります。

判例

 参考となる判例として以下のものがあります。

最高裁判決(昭和56年4月16日)月刊ペン事件

 S宗教団体会長の女性関係の醜聞に関する記事を全国的月刊誌に掲載した事例です。

 裁判官は、

  • 私人の私生活上の行状であっても、そのたずさわる社会的活動の性質及びこれを通じて社会に及ぼす影響力の程度などのいかんによっては、その社会的活動に対する批判ないし評価の一資料として、刑法230条の2第1項にいう『公共の利害に関する事実』にあたる場合があると解すべきである
  • 多数の信徒を擁するわが国有数の宗教団体の教義ないしあり方を批判しその誤りを指摘するにあたり、その例証として摘示した「右宗教団体の会長(当時)の女性関係が乱脈をきわめており、同会長と関係のあつた女性2名が同会長によって国会に送り込まれていること」などの事実は、同会長が、右宗教団体において、その教義を身をもって実践すべき信仰上のほぼ絶対的な指導者であって、公私を問わずその言動が信徒の精神生活等に重大な影響を与える立場にあつたなど判示の事実関係のもとにおいては、刑法230条の2第1項にいう「公共の利害に関する事実」にあたる

と判示しました。

 この判例のほか、刑法230条の2の公共の利害に関する事実に触れた判例として以下のものがあります。

最高裁判決(昭和44年6月25日)

 地方新聞経営者の前科及び犯罪に類する行為の記事を地方のタ刊紙に掲載した事案です。

 裁判官は、

  • 刑法230条の2の規定は、人格権としての個人の名誉の保護と、憲法21条による正当な言論の保障との調和をはかつたものというべきであり、これら両者間の調和と均衡を考慮するならば、たとい刑法230条の2第1項にいう事実が真実であることの証明がない場合でも、行為者がその事実を真実であると誤信し、その誤信したことについて、確実な資料、根拠に照らし相当の理由があるときは、犯罪の故意がなく、名誉毀損の罪は成立しないものと解するのが相当である

と判示しました。

東京地裁判決(昭和49年6月27日)

 全国的新聞社の経営不振を指摘する記事を全国的週刊誌に掲載し、週刊誌の編集長が名誉毀損罪で起訴されたが、名誉毀損罪に問われた新聞に関する週刊誌記事について、事実の公共性、目的の公共性、真実の証明があったとして無罪が言い渡された事例です。

 裁判官は、事実の公共性について、

  • 民主社会においては、すべての国民に思想ならびに言論の自由が保障されなければならないことは当然であるが、その前提として各人がそれぞれの思想を形成するための多様な意見や資料がすべての人に提供され、いわゆる知る権利が確保されることが不可欠というべきところ、現代のような情報化社会にあっては、右は新聞による意見や資料の提供にまつところが大きいといわざるを得ず、従って新聞はその報道記事内容の充実により右要請に応えるべきであるとされることはもとより、新聞が寡占化すれば国民は幅広く多様な意見や資料に接することができず、思想ならびに表現の自由はその面から制約され健全な世論の形成にも影響を生ずるおそれがあることはつとに指摘されているところであり、かかる観点から見るとき、本件特集記事は前記の如き意図にもとずき企画編集されたものでその内容も全体として右意図に合致し、公共目的に副うものというべきである
  • そして、右特集記事の一部をなしている本件記事についても、見出し部分と総合してみると読者の興味を意識しつつ産経の経営不振の点が強調されていることは否定できないが、新聞社の健全な経営が内容充実した公正な新聞報道を生む所以であるばかりか、同記事は週刊誌Kが大手紙の増ページ競争に立ち遅れたのが週刊誌Sの売行不振の一因であり、週刊誌Sもまた右競争の影響を被っている新聞の一つである旨指摘論評しているものであることを読みとることができ、前記本件特集記事全体の企画意図と背馳するものでないから、本件記事およびその見出しが摘示する前示事実は、社会の多数一般の利害に関するもので、刑法230条の2第1項にいう公共の利害に関する事実にかかるものと認めるのが相当である

と判示し、目的の公共性について、

  • 週刊誌Pも広く一般大衆を対象を対象とし私企業たるC社がその経済的責任において、発行する週刊誌である以上、ある程度読者の興味をひきつけるような体裁内容をとることはやむを得ないところであり、しかも本件特集記事の企画、意図が前記のとおりであるうえ、前掲各証拠によれば、本件特集記事における各新聞紙の比較検討も主として新聞の生命というべき読者数、すなわち販売部数の推移を基礎として記述をすすめ、新聞寡占化の進行する状況を分析するなかで、その一環として週刊誌Kあるいは週刊誌Sに関する本件記事を掲載したもので、その内容は後記のとおり主要な部分において真実性の証明がなされ、他方、首都圏において順調な伸び率を示していると伝えられている週刊誌F(週刊誌Kの関連会社の発行にかかるタ刊専門紙)の成長ぶりを写真入りで紹介する等配慮しているふしも認められ、これらの諸点を前記の如き本件特集記事の全体的内容に照らせば、被告人らが本件記事およびその見出し部分にかかる事実を摘示した主要な動機は、前同法条にいう公益をはかるにあったものと認めるのが相当である

と判示し、事実の真実性について、

  • 刑法230条の2第1項が名誉毀損の罪に関し、公共の利害に関する事実について真実性の証明がなされた場合に免責を認める趣意は、民主主義社会における公共的事実に関する表現の自由を最大限に尊重しつつ、これと人権との調和点を見出そうとするにあるものと解せられ、この見地よりすれば、真実性の立証の程度も摘示事実のうち主要な部分についての立証をつくせば足り、たとえその余の付加付従的部分について立証がつくされないとしても免責されるものと解するのが相当というべきである
  • これを本件についてみるに、本件記事およびその見出しは、政治、社会部門等の最新情報の提供をめざす週刊誌Pが、いわゆる新聞競争による寡占化傾向の兆しを見せる新聞界の動向にかんがみ、本件特集記事を企画編集しその実情を総点検するなかで、当時産経の経営が振わずT紙のなかで週刊誌Sが最も苦境におかれている旨報道論評を加えたものであり、結局、右週刊誌Kの経営不振ないし週刊誌Sの劣位に関して端的に結ぶ「いわゆるT紙のなかでは、週刊誌Sが最も苦境におかれていることを否定する業界筋は見当らないようだ。」との部分が本件記事およびその見出しの中核をなす部分にあたり、その余の記載部分は右を更に裏付け説明するものというべきであるから、前記法条との関係においては、前者の中核的部分が真実性立証の主要な対象になるものと解すべきであり、後者のうち付加付従的部分についてまで真実性の立証が要求されるものではないと解すべきである
  • このような観点から、さきに本件記事およびその見出し等において摘示されている事実の真実性について個別に詳細な検討を加えてきたところを総合してみれば、週刊誌Kに関する本件記事およびその見出しの摘示する事実のうち、週刊誌Kの不振ないし週刊誌Sの苦境をいう前記中核的部分の摘示事実については該事実の証明があったものというべきであり、これを更に裏付け説明する部分の摘示事実についてもある程度の立証がなされており、結局全体としてはその主要な部分について事実の真実性が立証されたものと認むべきであるから、被告人に名誉毀損の罪責を帰することはできないものというべきである

と判示しました。

福岡高裁判決(昭和50年1月27日)

 相互銀行の業務遂行を非難する内容のビラ430枚を繁華街の電柱等に貼付した行為について、ビラに用いられた文言の趣旨は一部真実を含むけれども、その他は、誹謗にわたるもので、公共の利益のため必要とする限度を超え、公共の利害関する事実とは認めがたとして、名誉毀損罪の成立を認めた事例です。

 裁判官は、

  • 本件ビラに使用された文言のうち「1800万円の土地が消えていた」との表現は真実に合致していたといい得るものの、その他の「欺瞞の殿堂、悪ブローカーも顔負け天も恐れぬその非情の所業、13億のカゲでうそぶく鬼の横顔」の表現は、誹謗にわたるものであって、公共の利益のため必要とする限度をはるかに逸脱するものであり、全体としてこれをみるとき、公共の利害に関する事実と認めることはできない

と判示しました。

杵築簡裁判決(昭和36年1月31日)

 神社の禰宜Aの免職を伝え、Aを非難する内容の文書を神社の関係者数十人に頒布した名誉毀損につき、刑法230条の2にいう公共の利害に関する事実にかかり、かつ、専ら公益を図る目的に出たものと認められ、「この地方における公共の利害に関する事実」だとして無罪を言い渡した事例です。

 刑法230条の2第1項に該当の有無と、証明すべき事実の範囲について、裁判官は、

  • 同条第1項は公然事実を摘示し、人の名誉を毀損する行為であっても「その行為公共の利害に関する事実に係りその目的専ら公益を図るに出でたるものと認められるときは事実の真否を判断し真実なることの証明ありたるときはこれを罰せず」と規定している
  • よって、まず、本件の行為が公共の利害に関する事実であるか否か、またその目的専ら公益を図るに出でたるものであるかにつき按ずるに、その当時、被告人が宮司を勤めていたY神社は大分県〇〇番地にあって、旧郷社であり、その氏子及び崇敬者は、…は2400、500戸の多数に達し、その篤志家のお初穂(稲、麦の収穫の折の寄付)によって神社を維持経営する実状にあり、その宮司である被告人に詐欺等十項目の事実があると新聞紙3面に三段抜きの標題で「神僕として許せぬ日出宮司の不正を訴う」と題し記事が掲載されたため、右篤志家のお初穂に悪影響を及ぼし、寄付が激減し、ひいては同神社の運営にも困窮するに至らんことを憂慮し、その防遏手段として為された本件文書の頒布がたまたまFの名誉を毀損するに至ったものと認定するをもっとも妥当とする
  • よって、Y神社の氏子及び崇敬者地域、すなわち大分県〇〇全域にわたるいわゆるこの地方における公共の利害に関する事実に係るものであると認める
  • 従って、被告人は、本件の被害者FとはY神社における宮司と禰宜との同職の関係にあって前記新聞記事の掲載により互い反目していた事情よりして右はいささか私憤に出でたるうらみあるも、前記のとおり主たる目的はY神社の維持経営に困窮せんことを憂えての結果その応急手段として為されたことが認められるので、その目的専ら公益を図るに出でたるものと認定するを相当とする
  • しこうして真実の証明があったかどうかを判断するについては摘示された事実の中でどの部分が重要な事実であり、どの部分が然らざるものであるかを、その文字の枝葉末節にとらわれることなく、慎重に取捨選択し、重要と認められる事実の真実であることが証明され得たときは、たとえこれに付随する一部の事実の証明が得られなくとも、なお全体として右摘示事実の証明が為されたものと解するのが最も妥当であるといわなければならない

と判示しました。

次の記事へ

名誉毀損罪、侮辱罪の記事まとめ一覧