前回の記事の続きです。
抽象的危険犯(偽証罪が成立するために具体的な危険の発生は必要ない)
偽証罪(刑法169条)は、国家の審判作用に対する抽象的危険犯です。
抽象的危険犯とは、
犯罪の成立に具体的な危険の発生までは要求されておらず、一般的・抽象的危険の発生だけで犯罪の成立(既遂)を認める犯罪
をいいます。
偽証罪は抽象的危険犯なので、偽証罪の成立のためには虚偽の陳述の結果、現実に国家の審判作用の適正が侵害されたことはもちろん、侵害される具体的危険が発生したことも必要としません。
どの程度の危険をもって「抽象的危険」というのかは必ずしも明らかではなく、この点に関する学説の考え方として以下の説が唱えられています。
- 虚偽の陳述が国家の審判作用を害する抽象的危険すら含んでいないときには、偽証罪の成立を否定すべきであるとする説
- 抽象的危険については、供述の内容が当該事件との関連性を欠くことなどによって、事実認定にとって重要性を欠くものであるときには、そのような「虚偽の陳述」からは誤判の抽象的危険が生じたとはいえないと解することが可能であり、このようなときには、処罰根拠をなす抽象的危険の発生を認めることはできないであろうから、偽証罪の成立は否定されるべきとする説
- 審判に影響を及ぼす可能性のある重要事項に関する「虚偽の陳述」でない限り、危険は微弱であり、「可罰的違法性」に欠けるとする説
- 被告人が真犯人かどうかの決定あるいは刑の量定について重要な情状となる事実の存否にかかわりのない事実につき偽りを述べても偽証とはいえないとする説
- 偽証罪の対象となる供述は、その供述が実質的なものかどうか、すなわち、その供述が争点に影響を有するかによって決定すべきであるとする説
証人が証明力、信用性に関する事項について虚偽の供述をした場合も、偽証罪にいう「虚偽の陳述」に該当する
実際の裁判では、証人の尋問に当たっては、事件の争点などの立証すべき事項だけでなく、
- 「証言の信用性に関する事項」(民訴規則114条1項2号)
- 「証人の供述の証明力を争うために必要な事項」(刑訴規則199条の3第2項、199条の4第1項、再主尋問につき刑訴規則199条の7)
についても尋問することができるとされています。
さらに、刑訴規199条の6は、証人の供述の証明力を争うために必要な事項として、「証人の観察、記憶又は表現の正確性等証言の信用性に関する事項及び証人の利害関係、偏見、予断等証人の信用性に関する事項」と規定しています。
したがって、証人がこのような証明力、信用性に関する事項について、虚偽の供述をした場合も、偽証罪にいう「虚偽の陳述」に該当します。
判例の立場
1⃣ 判例は、一貫して、宣誓した証人が虚偽の陳述をしたときは、偽証罪の成立には、その陳述が裁判の結果に影響を及ぼし、又は及ぼすおそれがあることを要しないものとしています。
大審院判決(明治43年10月21日)
裁判官は、
- 適法に宣誓したる証人にして、苟も尋問事項に関し事実に反することを知りながら虚偽の陳述を為すにおいては、直ちに偽証罪を構成す
- 而して、その陳述が当該事件の裁判の結果に影響を及ぼすや否やは問うところに非ず
と判示しました。
大審院判決(明治44年2月7日)
裁判官は、
- 苟も証人として宣誓の上、裁判所の為す尋問事項につき虚偽の供述を為したる以上は、たとえその証言が裁判の結果に対して法律上何らの影響を及ぼすおそれなき場合といえども偽証罪の成立を妨げす
と判示しました。
大審院判決(大正2年9月5日)
裁判官は、
- 偽証罪を構成するには証人が宣誓の上、裁判官の尋問に対し虚偽の事実を陳述したるのみをもって足り、 その陳述が裁判の結果に影響を及ぼすおそれあるや否やはこれを問う要なし
と判示しました。
東京高裁判決(昭和34年6月29日)
虚偽の証言が裁判の結果に影響を及ぼさないときでも偽証罪が成立するとした事例です。
裁判所は、
- 偽証罪は法律により宣誓した証人が虚偽の陳述をなしたとき成立する
- ここにいう虚偽とは真実に反することを指称するものであるところ、証人は「良心に従って真実を 述べ」る義務を負うから、その真実は証人の誠実なる主観的記憶を基準として判断すべきものであって、即ちその陳述が虚偽であるか否かは、証人の陳述そのものがその証人自身の認識、記憶に符 合しているかどうかによって定めるべきものである
- 従って証人がその認識、記憶するところと異なることを故意に陳述したときは、仮りにその陳述にかかる事実がたまたま真実に符合していたとしても虚偽の陳述をしたものとして、偽証罪が成立するのである
と判示しました。
2⃣ 上記判例のとおり、「宣誓した証人が虚偽の陳述をしたときは、偽証罪の成立には、その陳述が裁判の結果に影響を及ぼし、又は及ぼすおそれがあることを要しない」とする理由についての述べた以下の判例があります。
大審院判決(大正2年9月5日)
裁判所は、
- およそ裁判所が証人の尋問を為すは、これに対する証人の供述を得て、もってその事件に関する心証を作為せんとするがためにして、その供述が事実認定の資料となるべきや否やは専らその裁判所の自由なる心証によりて定まるべきものなれば、証人の供述が果たして裁判の結果に影響を及ぼすべきおそれありたるや否やを判別すること困難なる場合往々にしてこれあり
- 従って、その供述が裁判の結果に影響を及ぼす影響の如何により偽証罪の成立不成立を定めるにおいて は、証人の供述動もすれば不実に流るるの弊を生じ、これがため一般裁判事務の進行を阻害するに至るべきをもって、宣誓を為したる証人に対しては、尋問事項の何たるにかかわらず虚偽の陳述をなすこと を許さず、刑罰の制裁の下に真実の供述を為さしめ、敢えて違うことを勿らしむるは、刑事政策上緊要なるのみならず、証人が既に裁判所に対し真実を述べ何事をも附加せざることを宣誓したる以上は、その事項の如何にかかわらず裁判所の尋問に対し虚偽の陳述を為すは宣誓証人としての義務に違背したるものなれば、これが制裁として偽証罪の制裁に服すべきはもちろんである
と判示し、「宣誓した証人が虚偽の陳述をしたときは、偽証罪の成立には、その陳述が裁判の結果に影響を及ぼし、又は及ぼすおそれがあることを要しない」とする理由として、
- 自由心証主義の下で、当該虚偽の陳述が裁判の結果に影響を及ぼすべきかどうかを判別することは困難であること
- 証人が裁判所に対して真実を述べ何事をも付加せざることを宣誓したものであること
を挙げました。
3⃣ また判例は、証人が尋問事項に関して虚偽の陳述をなしたときは直ちに偽証罪が成立し、その陳述の内容が当該事件における当事者の立証範囲に属することは必要ではないとします。
大審院判決(昭和3年1月23日)
裁判官は、
- 偽証罪の事実を判示するには法律により宣誓したる証人がいかなる虚偽の陳述を為したるかを具体的に証明するをもって足り、その陳述の内容が本案係争事実といかなる関係にあるかは必ずしもこれを判示するの要なきものとす
と判示しました。
4⃣ また判例は、証人の供述に係る事実が法律上適法な効力を有するものであると否とはなんら偽証罪の成立に影響しないとします。
大審院判決(明治43年2月1日)
裁判所は、
- 偽証罪(刑法第169条)は法律により宣誓したる証人が虚偽の供述を為すによりて直ちに成立するものとす
- 而して、その供述に係る事実が法律上適法の効力を有すべきものなると否とは犯罪の成立に何ら影響なし
と判示しました。
5⃣ また判例は、たまたま被告事件の公判手続に違法があったため偽証がなされた公判手続が無効となった場合であっても、偽証罪の成立を妨げないとします。
大審院判決(明治45年7月8日)
裁判官は、
と判示しました。
6⃣ また判例は、被告人が略式命令に対する正式裁判の請求を取り下げた場合でも、その取下げは、それまでの公判手続において犯された偽証罪に何ら影響を及ぼさないとします。
大審院判決(昭和11年11月21日)
裁判官は、
- 被告人が略式命令に対する正式裁判の請求を取り下げるも、その取下は当該公判手続において犯されたる偽証罪に何ら影響を及ぼすものに非ず
と判示しました。