前回の記事の続きです。
建造物の一部に軽微な損傷を与えた場合の建造物損壊罪の成否
建造物の一部に軽微な損傷を与えたにすぎない場合は、建造物損壊罪を構成しないとする見解があります。
参考となる裁判例として以下のものがあります。
大阪地裁判決(昭和32年5月28日)
借家の賃借人が、その借家の柱の3分の1ないし4分の1を切り込んだ事案で、その程度では家としての物理的効用を低下させず、それが目立つ損傷ともいえないとして、建造物損壊罪の成立を否定した事例です。
裁判官は、
- 本件の柱(3寸5分×3寸3分)(被告人方の中心部にある)が建造物の一部分であることは明らがであり、被告人が右柱の3分の1ないし4分の1を一方からのこぎりで切り込んだのであるから、柱の効用を害するかどうかは別として、柱を物質的に負傷させたものと言うべく一応建造物の損壊になりそうである
- ところが、刑法の建造物損壊罪(5年以下の懲役)と次条の器物損壊罪(3年以下の懲役又は500円以下の罰金若しくは科料)とを比べてみるとき、後者は親告罪で刑も軽いのに対し、前者は非親告罪で刑の上下限とも重い(前者の下限は懲役1月、後者は科料5円である)このことは、建造物の方が、然らざるものより法益の大なるものがありという理由から来ているようと思うのであるが、いやしくも建造物の一部を毀損した場合はその程度の如何を問わず、直ちに建造物の損壊に該当するというわけには行かない
- 右法定刑の比較考慮と更に健全な社会観念に照し、構成要件の該当性を刑法の立場から妥当に規正する必要があるのであるのである
- 我々は建築については素人であるから、まず専問家であるS鑑定人の鑑定結果を謙虚な気持ちできくことにしよう
- その要点は次の6つ位くらい要約できそうである
- 1 問題の柱の効用如何 ― 屋根の一部、天井の一部、小壁、かもいの一部を支える間仕切柱である
- 2 現損傷の建物に対する影響 ― 130%削られている本件は未だ上からの力を支えるゆとりが十分あり、支障なく上からの加重並びに地震に耐え得る
- 3 本件損傷は柱の物理的効用を低下させているか ― 我々の設計する場合の最高の許される強さ以下になっているからまだあの建物は十分強さがある
- 4 本件の柱は天井を支える柱の中主要なものか ― ほかにも主要な柱が沢山あるわけだが、本件の柱は屋根の一部、天井の一部あるいは小壁、かもいの一部を支えているから主要な柱の一部である
- 5 本件柱があるとないのとどう違うか ― そろっとあの柱を外してもやはり上からの加重を支えることができる。しかし、そのため屋根が若干くぼんでくることがあるかも知れぬ。しかし四軒全体が抵抗してくれるから、その柱が1本無くなっても未だ地震に耐える能力がある。あるのとないのとで建物の強さは計算するとその誤差の中に入ってしまう程の小さいものである
- 6 美観を害しているか ― 柱はもちろん一般的にみて傷のないのが良いことは言うまでもないが、そういう意味において傷がついたというのはやはり美観を害したと柱そのものについては言えるかも知れぬ。しかし、これもほかの部分との相関関係から考え判断がなかなか難しい。
- (この点鑑定人はいずれとも断じていないようである)というのである
- 本件の柱の損傷は柱を全部切断したというのではなく、その3分の1ないし4分の1をのこぎりで一方から切り込んだのであるところ、簡単に修理可能かどうかについて鑑定人も述べる如く傷口へ細い板を打込んでカンナで平面に削ればほとんど元通りになり、被告人のような大工でなくとも直ぐ簡単にでき、軽微な損傷かどうかについては、この柱が家屋の大黒柱的位置にあるとしても、いわゆる大黒柱でないことは専問的にはS鑑定人の鑑定結果により明らかであるし、常識的には天井裏へ上ってこの柱の最上部をみればそこに別な木片を入れてあることからも一見明瞭である
- 他方、本件切込みによりその柱の弱くなる程度はS鑑定人によれば余力の関係で十ニ分に上からの加重並びに地震に耐えるのであるから影響は少しもないと考えてよい
- 切込みにより美観を害するか否かの問題については、現住者と家主双方の感情また普通の人間の感情を考慮に入れなければならないし、更にその問題の家屋全体との相関関係をも考えて決するほかはないが、本件家屋が貸家にする目的で昭和10年頃建てられ四軒長屋の平家であり、当初の家賃16円や ― これで大体の見当がつく ― 使用木材も杉の普通級を用い ― 従って最初から安物の家屋とみて差支えない。 ― 建ってから20年位経過し、切込まれた昭和30年5月頃の使用状況は前に認定した通りのひどく汚い状態であったことも併せ考えると、本件切込位では未だ被告人等現住者はもちろん、普通人からみても目立つ損傷とは言えず、また家主の立場からしてもそれが無いに越したことはないが、さりとてとり立てて美感を持ち出してくる程のこともなく、また持ち出す気もない
- このことは家主である証人Tと検察官等との問答の中に十ニ分に表現されている
- これを要するに本件損傷はいずれからみても刑法にいわゆる建造物損壊罪の構成要件に該当しない程度の損傷であるということになる
- また違法性の問題について考えてみると、家屋に対する損傷は当該家屋の借家人が加えた場合と外部から入った者が加えた場合とでは、同じ損傷であっても違法性の有無について多少異るように考えられる
- というのは借家人はその家屋を使用することによって家屋に当然生ずることが予想せられる損傷については違法性なしとされることは言うまでもなく、また家主の意思によらない修理、模様替等はたとえ原建物に対しては一部損傷を与えた場合でも引渡しの際において原状に回復すれば良く、その目的がなくとも借家人が加える損傷は本件程度のものは前示家屋の状況、家主Tの気持からみても違法性なしとせざるをえない
と判示し、建造物損壊罪は成立しないとして無罪を言い渡しました。