前回の記事の続きです。
客体(被害者)である「疾病」とは?
遺棄罪(刑法217条)の客体(被害者)は、
老年、幼年、身体障害又は疾病のために扶助を必要とする者
です。
この記事では、「疾病」を説明します。
「疾病」とは、
病気、傷害等により、広く肉体的・精神的に疾患のあること
を意味します。
疾病の原因や治癒の可能性、疾病期間の長短、治療を行っているかどうか、治療内容、治療期間の長短等は問いません。
この「疾病」の要件に該当するかどうかは、一律に定義することは困難であり、扶助を必要とする程度との関係で、具体的事実関係に応じて判断されることになります。
学説において、この疾病に該当するとされているものは、
- 精神病者
- 精神遅滞者
- 麻酔状態にある者
- 負傷者
- 飢餓者
- 極度に疲労している者
- 陣痛が始まり分娩中の婦女
- 麻薬の作用によって正常な意識を失っている者
が挙げられています。
他方、疾病に該当しないとされている者として、
- 熟睡中の健常者
- 溺れかけている者
が挙げられています。
判例・裁判例において、この「疾病」に該当すると判断されたものとして、以下のものがあります。
(なお、そのほとんどが、遺棄罪の客体としてではなく、保護責任者遺棄罪の客体である病者として判断されています)
- 肺結核のため仕事に従事することができず扶助を受けなければ生存できない状態になり寺境内の千仏堂に寝臥していた者(大審院判決 明治45年7月16日)
- 腎臓炎にかかり更に梅毒症により大小便を漏らすようになって身体の自由を失った者(大審院判決 大正15年9月28日)
- 精神病者(大審院判決 昭和3年4月6日、大審院判決 昭和10年10月30日)
- 交通事故により約3か月の入院加療を要する重傷を負い歩行困難になった者(最高裁判決 昭和34年7月24日)
- 交通事故により重傷を負い意識を失った者(東京高裁判決 昭和37年6月21日)
- 極度に衰弱し、両足先が凍傷にかかり、足の指が欠損し歩行不能となり、その後、更に左手上腕部を骨折し、日常の動作が不自由となった者(最高裁決定 昭和38年5月30日)
- 交通事故により加療約2か月半を要する傷害を負い、他人の力を借りなくては自ら正常な起居動作を行えない者(大阪高裁判決 昭和41年11月14日)
- 他人からビール瓶の破片で左大腿部を刺され出血多量のため路上に倒れ独力による起居動作が不可能に陥った者(岡山地裁判決 昭和43年10月8日)
- 助手席に同乗中に身の危険を感じたことから走行中の車のドアを開けて路上に飛び降り重傷を負った者(東京高裁判決 昭和45年5月11日)
- 覚醒剤を注射され急性薬物中毒により錯乱状態に陥った13歳の女子(最高裁決定 平成元年12月15日)
- 幼少から緘黙症を患い、痩せ衰え、次第に衰弱して食物も受け付けず歩行も困難な状態に陥った13歳の者(大分地裁判決 平成2年12月6日)
- 通院・投薬等の治療を要し、適切な医療措置を施さなければ生命の危険が生じるおそれのあるネフローゼ症候群に罹患してい6歳の者(宮崎地裁判決 平成14年3月26日)
- 他人により頭部を階段の角等に打ち付けられるなどして外傷を負い、頭部から多量に出血し、その場に転倒していた者(札幌地裁判決 平成15年11月27日)
「泥酔者」が疾病に該当するか?
裁判において、「泥酔者」が疾病に該当するかが争われることがあります。
酒を飲んで軽度の酩酊をしている者は、生命・身体に対する危険が生じている疾患であるとは社会通念上いえず、また他人の扶助を必要とするとも一般には解せないから、疾病に該当しないことは明白です。
しかし、泥酔者については、泥酔により生命・身体に対する様々な危険が生じかねず、また、他人の扶助を必要とすることもある反面、泥酔という状態は一過性のものにすぎないことから、これを疾病に該当するという考え方と該当しないという考え方が対立することがあります。
結論として、遺棄罪が生命・身体に対する危険犯であることからすれば、単に泥酔者であれば直ちに疾病に該当するというわけではなく、具体的な事実関係に基づいて、他人の扶助を必要とするかどうかという観点も加味しながら、例えば、身体の自由を失っているかどうかなどの泥酔の状態に応じて、遺棄罪の客体である疾病に該当するかどうかが判断されます。
この点につき、以下の判例が参考になります。
被告人と情交関係にある被害者が駅前で酔いつぶれているのを見つけ、同人宅に連れ帰える途中、酔をさまさせるため全裸にして田んぼの中に放置したため凍死させたという保護者遺棄致死の事案です。
裁判所は、
- 高度の酩酊により身体の自由を失い他人の扶助を要する状態にあったと認められるときはこれを刑法218条の病者にあたるとした原判断は相当である
と判示し、泥酔者は保護者遺棄罪の病者に当たるとしました。
この決定は、泥酔者であれば直ちに疾病に該当するとしたものではなく、泥酔者の中でも身体の自由を失っているような者については、他人の扶助を必要とするかどうかとの関係から、全体として見たときには疾病に該当することがあり得ることを正面から認めたものであると考えられています。
下級審において、泥酔者を疾病に該当するとし、泥酔者に対する保護責任者遺棄罪を認めたものとして、以下の裁判例があります。
- 交通事故の被害者で泥酔していた者(大阪高裁判決 昭和30年11月1日)
- 下半身裸のまま屋外に放置された泥酔者(名古屋地裁判決 昭和36年5月29日)
- 日本酒約1升を飲み酩酊の程度が甚だしくなり路上に倒れた者(横浜地裁判決 昭和36年11月27日)
遺棄罪、保護責任者遺棄罪、遺棄致死傷罪、保護責任者遺棄致死傷罪の記事一覧