前回の記事の続きです。
「当該交通事故が発生した日時及び場所…を報告しなければならない」とは?
道交法違反(事故報告義務違反)は、交通事故があり、負傷者を救護し、道路における危険を防止する等必要な措置を講じなければならない場合において(道交法72条1項前段:救護措置義務)、道交法72条1項後段で、
- この場合において、当該車両等の運転者(運転者が死亡し、又は負傷したためやむを得ないときは、その他の乗務員。次項において同じ。)は、警察官が現場にいるときは当該警察官に、警察官が現場にいないときは直ちに最寄りの警察署(派出所又は駐在所を含む。同項において同じ。)の警察官に当該交通事故が発生した日時及び場所、当該交通事故における死傷者の数及び負傷者の負傷の程度並びに損壊した物及びその損壊の程度、当該交通事故に係る車両等の積載物並びに当該交通事故について講じた措置(第75条の23第1項及び第3項において「交通事故発生日時等」という。)を報告しなければならない
と規定します。
この記事では、条文中の「当該交通事故が発生した日時及び場所…を報告しなければならない」の意味を説明します。
1⃣ 「当該交通事故が発生した日時及び場所…を報告しなければならない」とは、
交通事故があったときは、当該車両等の運転者は、
- その交通事故が発生した日時、場所
- その交通事故における死傷者の数、負傷者の負傷の程度
- 損壊した物、損壊の程度
- その交通事故に係る車両の積載物(「積載物」には、交通事故に係る車両等から転落し、又は飛散した積載物が含まれるものと解され、積載物がある場合に、その内容、数量及び転落等の状況の報告を要する)
- その交通事故について講じた措置(負傷者の救護、現場における危険防止措置等)
について警察官に報告しなければならないという意味です。
2⃣ 事故報告義務の内容は上記のとおり、5項目に限定されていますが、この5項目以外の運転者本人及び雇用主の住所や氏名、免許証や車体の番号その他について報告を強要することは「逮捕ないしは検挙等刑事手続の対象」となる直接の危険を伴うので憲法上(黙否権に関して)許されないと解されています。
この点を判示したのが以下の裁判例です。
宇都宮地裁判決(昭和34年10月17日)
裁判所は、
- 当裁判所は交通事故報告の内容及び方法を分析して検討しその内のあるるものについては黙秘権を認めながら、しかもなおあるものにつき報告義務を是認することができないであろうか、すなわち両者の調和的解釈ができないか否かについて考えてみたい
- 最高裁の判例(昭和32年2月20日大法廷、集11巻802頁)によれば、氏名の黙秘は原則として黙秘権の範囲に入らないとしている
- これはその判例が問題とした弁護人選任届の効力とか、人定質問の如きものについて言うのであろうが、犯行現場において氏名を開示することにより、実質上犯罪の自白になるような場合には、氏名についても黙秘権を認めなければならないこと、一部学者の主張するとおりである
- すなわち同じく氏名を告げることであっても、場合場合によって、あるいは黙秘権を認め、あるいはこれを否定されるのである
- 交通事故の報告についても、右の如く相対的に解釈すべきであって、刑事公判において起訴事実たる交通事故の陳述につき黙秘権があるからと言って、如何なる内容の報告、如何なる方法による報告にも、常に黙秘権があると解すべきではない。逮捕ないしは検挙等、刑事手続の対象となることにつき直接の危険を伴わない事故報告ならば、これを強要しても、黙秘権を害したことにならないであろう
- 右頻右報告義務を規定する施行令第67条第1項は、報告の方法を限定せず、又報告内容の精粗深浅につき規定していない(同項後段所定の指示を受けることの合憲性の有無については、本件訴因外の事項であるから論及しない)のであるから、叙上の解釈は同条の適用上、何ら支障がないのである
- これを具体的に説明すれば、交通事故の報告を事犯者自ら警察官憲の面前に首服し、しかもこれを詳細になすべきことを要求するにおいては、黙秘権を害することになろうが、例えば氏名を告げず又は偽名して電話をかけるとか、あるいは他人に依頼するとかの方法により、しかも事故の輪郭だけを報告する場合の如く、逮捕ないしは検挙等刑事手続の対象となる直接の危険が伴わない手段を採り得る場合においては、その程度の報告を強要しても、黙秘権を害したことにならないと解すべきである
- 換言すれば右の如き場合には人間本来の最低限度の自衛本能を害したことにならず、いわゆる期待可能性を認めるべきものである
- あるいは事故の報告義務をこのような狭い範囲で認めることは右施行令の規定を骨抜きにしてしまうと言うかも知れない
- しかし犯罪の捜査には役立たなくても、迅速な事故報告さえあれば、犯人不明のままでも、時を移さず、交通秩序の回覆に対処し得るのであって、これにより、右の報告義務を認めた警察目的は達せられ、右規定の存在価値は十分にあるのである
- なお我国の国民性から、事故を起した操縦者中には、自発的に右最低限度以上の報告をなす者も多々あるであろうから、右の如く狭く解釈したところで、交通秩序が収拾のつかないものにもならないのである
- あるいは報告義務の立法者は事故報告の内容及び方法について、右の如き狭いものは予期しなかったかも知れない
- しかしながら、立法当時の事情とか、立法者の意思はとにかく、一旦制定された後における法令の解釈は憲法に適合するようにしなければならないのであって、法令の規定が概括的で、その内容が解釈如何によって広狭いずれにも解せられ、これを広く解するにおいては違憲となり、狭く解するにおいては適憲となる場合には、これを違憲にならないように狭く解釈すべきであって、これを広く解釈して全面的に違憲なりと断じ去り、その規定内容の適憲的部分までも違憲視することは許されないのである
- 右報告義務を定める施行令の規定内容もかく解すべきであって、憲法上の黙秘権を害するような報告は期待していないものと解すべきである
- 本件において、被告人は特段の事由なくして、右の如き黙秘権を害しない程度の事故報告ですらも、敢えてしかったのである
- 従って被告人は右報告義務違反の刑事責任を免れ得ないのである
と判示しました。
3⃣ 事故報告義務の報告は、違反行為の捜査又は事故の原因の調査等とは何らのかかわりもありません。
捜査はあくまで刑訴法の定める手続により行うべきであり、道交法72条1項後段の報告にことよせて捜査をすることは許されません。
したがって、事故報告を受理するとき、その本人の住所、氏名、事故の原因等の報告を強制することはできません。
4⃣ 上記5項目の全てについて漏れなく報告しなければならないということではありません。
この点に関する以下の裁判例があります。
裁判所は、
- 法第72条1項後段所定の報告として、事故発生の日時および場所のみを報告し、その余の事項すなわち死傷者の数、負傷の程度、講じた措置等につき報告しなかったとしても、元来法がこの報告義務を課しているのは、警察官をして速かに事故発生を知らしめる点に最大の眼目があり、それによって警察官が被害者の救護、交通秩序の回復等につき適切な措置をとりうるようにしようとするものと考えられるから、前記の程度の報告によっても法の要請の基本的な点にこたえているということができる
と判示しました。
5⃣ 報告をすればその場から立ち去ってよいということではありません。
この点に関する以下の裁判例があります。
東京高裁判決(昭和46年7月13日)
裁判所は、
- 電話でK駅前で追突事故を起こしたという程度の通報をし、相手方警察官係官の指示に従うことなく、事故現場を立ち去り、翌日警察署に出頭したというのでは、報告義務を完全に履行したとは認められない
と判示しました。
「報告をしなかった」事実について補強証拠を要する
刑事裁判において、検察官が犯罪事実を証明するためには、自白のほかに、その自白を証明する証拠(補強証拠)が必要とされています(憲法38条3項、刑訴法319条2項)。
そのため、裁判官が自白によっていかに合理的疑いを超える程度の確信を抱いたとしても、自白だけで被告人を有罪にすることはできません。
道交法違反(事故報告義務違反)の犯罪事実を証明するためには、「報告をしなかった」事実について自白のほかに補強証拠が必要です。
例えば、警察官の作成した「被告人から110番通報がなかったことの報告書」などが「報告をしなかった」事実についての補強証拠となります。
この点を判示したのが以下の裁判例です。
道交法違反(事故報告義務違反)においては、交通事故があったことのみならず、「報告をしなかった」という事実についても、被告人の自白のほかに、補強証拠が存在することを要すると解すべきであるとした判決です。
裁判所は、
- 報告義務違反の罪においては、交通事故があったことのみならず、「報告をしなかった」という事実についても、被告人の自白のほかに、補強証拠が存在することを要すると解すべきところ、右実況見分調書2通は「報告をしなかった」という点についての被告人の自白を補強するものとはいえない
- ところで、記録を調査すると、「報告をしなかった」という点について、補強証拠とみられる司法巡査作成の捜査報告書の証拠調が行われていることが認められる
- このように、認定した罪となるべき事実の証拠として必要な補強証拠の証拠調をしながらこれを証拠の標目に掲げていないのは、刑訴法335条1項の要求する有罪判決の理由として不十分であるから、原判決には理由不備の違法があるといわなければならない
と判示しました。