前回の記事の続きです。
単純贈賄罪が成立するためには、贈賄側の「賄賂を提供する認識」と収賄側の「賄賂を収受する認識」の両方が必要である
1⃣ 単純収賄罪(刑法176条)の「収受」とは、
- 賄賂を受け取ること
です。
「収受」があったといえるためには、
- 賄賂の供与者において、賄賂を提供する認識
と、
- 賄賂の収受者において、賄賂を収受する認識
の両方が必要となります。
2⃣ 賄賂であることの認識は、
- その利益が職務行為に対する対価として提供されたことの認識
です。
賄賂を収受する公務員において、その利益に対する対価として職務上の便宜を供与する意思を有する必要はありません。
また、やましさのような心情的背景に裏付けられている必要もありません。
この点に関する以下の裁判例があります。
札幌地裁判決(平成5年3月16日)
裁判所は、
- 贈収賄罪における賄賂性の認識は、職務行為の対価としての不正な利益であることを認識していれば足りるのであって、いわゆる「やましい」などという心情的背景に裏付けられている必要のないことはいうまでもない
と判示しました。
単純収賄罪と贈賄罪とは必要的共犯関係に立つことから、贈賄側の「賄賂を提供する認識」と収賄側の「賄賂を収受する認識」の両方が必要となる
1⃣ 単純収賄罪(刑法197条)の収受・約束と贈賄罪(刑法198条)の供与・約束は、必要的共犯の関係に立ちます(ただし、単純収賄罪の要求、贈賄罪の申込みは必要的共犯ではありません)。
この点に関する以下の判例があります。
大審院判決(明治43年7月5日)
裁判所は、
- 収賄罪は、贈賄者において贈賄者の提供したる賄賂を収受するによりて成立すると同時に、贈賄罪もまた贈賄者において賄賂の提供を為し、収賄者これをこれを収受するによりて成立す
- 故にこれ二個の犯罪は、その構成要件を同じくするものにして、一の不可分的双面行為を形成し、ただその観察の方面の異なるに従いその名称を異にするに過ぎずして、犯罪行為の性質に至りては、二者の間何ら差異あることなし
- 故に賄賂の授受なりたる場合には、贈賄者と収賄者とは相互に共犯たるの関係を有するものとす
と判示しました。
2⃣ 単純収賄罪と贈賄罪は必要的共犯関係に立つので、一方の犯罪が成立しないときには、他方の犯罪も成立しません。
この点を判示したのが以下の判例・裁判例です。
大審院判決(昭和3年10月29日)
裁判所は、
- 本件につき原判決が一面収賄者において賄賂収受の事実の否定したるにかかわらず、被告人に対し賄賂交付の事実を認定したるは叙上行為の共同を要件とする必要的共犯の概念に照し失当なりといわざるを得ず
- 蓋し賄賂の交付は収受者と交付者の意思合致して賄賂を収受したる場合において認むべきものなればなり
と判示しました。
2⃣ 単純収賄罪と贈賄罪とで、一方の犯罪が成立しないときには、他方の犯罪も成立しないことは、贈賄者において、その供与する利益が賄賂であることの認識を必要とすることを意味します。
この点を判示したのが以下の判例です。
大審院判決(昭和11年10月9日)
裁判所は、
- 賄賂要求罪の成立には、公務員がその職務に関し相手方に対し認識し得べき状態において賄賂の交付を求むる意思を表示するをもって足り、相手方が実際上その意思表示を認識したると否とはこれを問わざるが故に、相手方において該意思表示の趣旨を誤認しために賄賂の意思なくして要求せられたる金品の供与することをあるも、これがために賄賂要求罪の成否に消長なく、また賄賂の交付と収受とは賄賂の授受なる双方行為を組成する各一方の行為にほかならざるをもって賄賂の収受は賄賂の交付ありて完成するものにして賄賂交付の罪成立せざるときは収受者においてたとえ賄賂として交付を受くるの意思ありとするも賄賂収受罪成立することなし
と判示しました。
学説の中には、必要的共犯は、行為の共同を要するにとどまり、共に有罪であることを意味せず、客観的に賄賂の提供があれば、提供者に賄賂の認識がなくても、収受者にその認識がある限り収受罪が成立すると解すべきであるとするものがありますが、賄賂性の認識について片面的で足りると解すると、行為の共同にいう行為の概念を、故意を除外したものとすることになります。
例えば、対向犯と同様に解すべき衆合犯の場合に故意ある一人の行為のみで犯罪が成立することとなって間接正犯概念と衝突せざるを得ず、共犯概念そのものを変容することになるといわざるを得ません。
現実に供与された利益が賄賂であることを供与者が認識しているからこそ、公務の公正が害され、その公正に対する社会の信頼が損なわれるので、贈賄者において、その供与する利益が、賄賂であることを認識していることが必要となります。
他方、収受者においても、故意の内容として、賄賂を収受するという認識が必要となります。
つまり、その利益が自己の職務に関し提供されるもの、つまり賄賂であることを認識していなければなりません。
利益を収受した時点で賄賂であることの認識がない場合は、認識した時にそれを容認すれば収受罪が成立するし、直ちに返還等の行為に出れば収受罪は成立しません。
そのまま、賄賂であることの認識なしに保管が続いている場合には、あるいは、賄賂であることを認識しても返還しようとしている場合には、未だ収受罪が成立しないことになります。
実際の裁判では、このような弁解は多くの場合、単なる弁解にすぎない場合が多いです。
返還するつもりであったと弁解しても、賄賂たることを知りながら検挙直前まで約3か月所持していた事例につき、収受を認めたのは判例があります。
裁判所は、
- 金5000円の賄賂について、被告人はこれを贈賄者に返還するつもりで預っていたものであると弁解するにかかわらず、原判決が被告人がこれを収受したものと認定したのは、その証拠として挙げた被告人の原審公判廷における供述に徴し明らかなとおり、被告人が右5000円の賄賂たることを知りながら検挙直前まで(約3か月間)これを所持していた事情から、領得の意思を認めるに足るものとしたことによるものであって、かかる認定は不当ではない
と判示し、単純収賄罪の成立を認めました。
犯人が賄賂であることの認識を否認するケース
裁判において、賄賂を収受した公務員が賄賂であることの認識を否認することはあり得ることであり、そのような否認をした場合において、賄賂であることの認識のような内心的事情であっても、情況証拠を積み重ねて認定し得ます。
収賄側が政治家の場合には、「政治献金や選挙資金の寄附と認識していた」旨主張し、賄賂であることの認識を否認した判例が見受けられます。
政治献金等であっても職務行為との対価性が認められ、職務に対する不法な報酬と認められる以上は賄賂ですが(最高裁決定 昭和63年4月11日)、政治献金等は本来政治家の政治活動を支援するためになされるので、賄賂であることの認識を欠く事情として、「政治献金や選挙資金の寄附と認識していた」旨の主張がなされるものです。
賄賂であることの認識の認定に関し、リクルート事件政界ルート控訴審判決である以下の裁判例が参考になります。
東京高裁判決(平成9年3月24日)
裁判所は、
- 公務員が職務行為に関して請託を受け、客観的にも当該公務員の職務行為と対価関係にあると認め得る一定の利益が当該公務員に対して交付された場合には、それが賄賂であると認識することが困難であると解される特段の事情がない以上、右利益の交付を受けた公務員には賄賂性の認識があったということができると考えられる
と判示しました。