刑法(自殺教唆・幇助罪、嘱託・承諾殺人罪)

自殺教唆・幇助罪、嘱託・承諾殺人罪(7) ~「被害者の殺害の嘱託・承諾を誤信した場合の嘱託殺人罪、承諾殺人罪の成否」を解説~

被害者の殺害の嘱託・承諾を誤信した場合の嘱託殺人罪、承諾殺人罪の成否

 被害者が真意に基づく嘱託・承諾をしていないのに、これがあるものと誤信した場合は、嘱託殺人・承諾殺人の意思で普通殺人の結果を発生させたという事実の錯誤であり、刑法38条2項により普通殺人の故意は阻却され、嘱託殺人罪又は承諾殺人罪が成立します。

 参考となる判例として、以下のものがあります。

大審院判決(明治43年4月28日)

 被害者がふざけて自己の殺害を嘱託したところ、加害者が真実の嘱託と誤信し、被害者を殺そうと手を下したが遂げなかった事案で、刑法38条2項により嘱託殺人未遂罪(刑法202条)が成立するとしました。

 殺人未遂罪はなく、構成要件が重なり合う限度で、軽い罪である嘱託殺人未遂罪が成立するとしたものです。

東京高裁判決(昭和53年11月15日)

 恋愛関係にあった被告人とH子が、H子が同棲していたBとの三角関係に思い悩み、H子が、被告人に対し、「いっそ二人でこのまま死んでしまうか」と言い、被告人がH子の首を絞めて殺害し、被告人も手首を切って自殺を図ったが、被告人は生き残った事案です。

 裁判官は、

  • 刑法202条所定の嘱託殺人罪にいう嘱託は、被殺者の自由かっ真意に出た殺害の依頼でなけれはならないが、その嘱託が真意に基づかない疑がある場合でも嘱託者を殺害するに至った行為者が真意による嘱託と付し、かつ当時の状況に照し、そのように信ずるについて通常人としても首肯できるときは刑法38条2項により嘱託殺人罪のみの成立を認めるのが相当である
  • 本件においても、被害者H子の被告人に対する殺害の依頼が、同棲中のBに対する義理立てから出たものではないかとの疑いがあり、真意ではない疑いがあるとしても、自暴自棄的になっていた被告人が、別れることに未練のあったH子から繰返し一緒に死んでしまおうといわれ、これを真意に基づく殺害の依頼と信じたことも通常人の立場から十分ありうることとして首肯できるから、被告人については、H子に対する嘱託殺人罪の成立を認めるのが相当である

と判示し、殺人罪ではなく、嘱託殺人が成立するとしました。

名古屋地裁判決(平成7年6月6日)

 殺人罪で起訴された事案において、被害者の真意に基づく嘱託はないものの、被告人においてその嘱託があるものと誤信して殺害したものであるとして、嘱託殺人罪の成立を認めた事例です。

【事案】

 被告人(女性)は、情交関係にあるA(男性)との交際費等に充てた巨額の借金の返済に窮し、Aに窮状を打ち明けたが、Aは「困った」というばかりで、具体的な解決策を打ち出すかわりに、何度も死をほのめかすような言動をした。

 Aの死をほのめかす言動は相変わらず、依然として具体的な解決策についての返事はなく、被告人は、最悪の場合はAがその気ならAとニ人で死のうと考え、前日に引き続き再び、寝るでもなく起きるでもなくの状態で一夜を過ごして朝を迎えた際、疲労困ばいし、前途を思って動揺しているさ中、A宅において、べットに仰向けに寝ていたAが、「僕が先だからね」「刺してもいいよ」と言って、掛けていた肌布団を足で蹴り上げて顔を覆い、腹部から下をむき出しにしたことから、ここに、Aの真意に基づく嘱託がないのに、これがあるものと誤信した末、Aを殺害して自分も後を追って死のうと決意し、殺意をもって、Aの腹部及び背部等を果物ナイフ突き刺し、Aを腹部大動脈刺創により出血失血死させて殺害した。

【判決】

 裁判官は、

  • Aは、被告人に対して幾度となく死をほのめかすような言動をしているが、全体として見れば、Aは、被告人から深刻に相談を持ちかけられたことから、返答に窮して沈黙している場面が多いのであり、被告人に対して何とか誠意を見せざるを得なかったことから、自分も考えているという態度を示すために出た言動とみるべきである
  • また、犯行直前に「刺してもいいよ」と言ったことも、Aが、長年交際して自分を信じ切っている被告人には自分を殺せるはずかないと高をくくって、「刺せるものなら刺してみろ」と言わんばかりの行動に出たものと考えられ、右発言をもって、右嘱託が真意に基づくものと認めることはできない
  • したがって、本件殺害につき、Aが、被告人に対し、自己の殺害について真意に基づく嘱託をしたとは認められない
  • 被告人において、嘱託が真意に基づくものであると誤信して殺害行為に及んだか否かについて検討する
  • 被告人は、本件犯行直後から捜査段階、公判段階を通じて、本件殺害につき、「犯行直前にAが発した『僕が先だよ』『刺してもいいよ』との言葉が呪文のように心の中によぎり、Aが本気で同意し依頼していると信じて殺害に及んだ」と、Aの真意に基づく嘱託があると信じていた旨一貫して供述している
  • しかして、そのように信じた点は、一面、被告人のいわば思いこみの激しい性格によるところもあるものの、他面、被告人は、犯行当時巨額の借金の返済期日が目前に迫っており、Aにその返済への協力を求めたが、Aからはよい返事が得られず、精神的に追い詰められ疲弊していたこと、九州旅行以来、Aから何度となく死を仄めかされ、Aの求めで睡眠薬や果物ナイフを購入したこと、犯行前日から当日にかけて、被告人の目にとまりやすべット横の木箱上に右果物ナイフが置かれていたこと(しかも、これはAが置いたものである)、寝るでもなく起きるでもなくの状態で一夜を過ごすことが一日にわたって続き、精神的にも肉体的にも疲労困ぱいし、前途を思って動揺していたさ中、Aから「僕が先だよ」「刺してもいいよ」と言われたことなどの事情も認められ、これらの事情にかんがみると、「僕が先だよ」「刺してもいいよ」との言葉が呪文のように心の中によぎり、Aが真摯に殺害に同意しているものと信じて犯行に及んだ被告人の心情は、当時の状況に照して通常人の立場からも納得でき、その供述は十分信用できる
  • なお、被告人はAの身体を多数回突き刺し、この結果Aの背部にも刺創を負わせ、腕等に防御創も負わせているが、この点を捕らえて、被告人は犯行の途中でAが嘱託を与えていないことを認識したに違いないとか、認識できたはずであるとか、と強調することは、本件犯行当時、被告人が、前認定のとおり、精神的にも肉体的にも疲労困ぱいし、著しく動揺していたこと、多数回の突き刺し行為も全体として見れば一瞬といってよい間に連続してなされたこと、嘱託を与えていた者でも、その苦痛から攻撃を遮ろうとすることはありうること等の事情を無視することになり、当裁判所の採用するところではない
  • 以上のとおり、被告人は、被害者Aの嘱託がないのにこれあるものと誤信して殺害行為に及んだことが明らかであるから、嘱託殺人の故意で殺人を犯したものとして、刑法38条2項により、同改正前の刑法202条嘱託殺人罪の罪責を負うことになる

と判示し、殺人罪ではなく、嘱託殺人罪が成立するとしました。

 上記の裁判例とは逆に、殺害嘱託の錯誤を認めず、嘱託殺人罪ではなく、殺人罪が成立するとした以下の裁判例があります。

大分地裁判決(昭和33年12月8日)

 被告人は、交際相手のD子と結婚でないことを感じ、自暴自棄になり、D子に対する恋愛の情も絶てず、いっそのことD子を殺害した上、自分も自殺しようと決意し、D子を包丁で刺して死亡させた事案です。

 裁判官は、

  • D子は、内心に被告人との関係を速かに清算したいという気持があったのと、その場の措置に窮したところから、一時逃れに、被告人に対し「大阪に行って自分の職があるかどうかわからないし、また別府にも居づらべ、あなたと結婚もできないから一緒に死のう」と言い出したことは推認できないことはない
  • 当時、D子は、被告人に対するある程度の責任感もあり、被告人の一途な恋情には相当に困惑した立場にはあったと思われるものの、その期に至り、死を選ばなければならない程の理由が合理的に首肯されず、更には死に際し、通常合意心中に見られる遺書とか、手足を縛るなどの方法を講じたと認められない情況から判断すれば、D子が前述の言葉を言い出したときには、D子に真に死のうという意思はなく、被告人においても本当に合意心中をするまでのことはしないだろうと思惟し、いささか自暴気味にもなっており、一時逃れのために発した言葉であると推測するに十分である
  • 次に、被告人としても、D子の従来からの言行からして、その真意はD子一人が上阪しようとするにあるとを感知し、自分一人がとり残されると思って動揺した気持にあったことは認めるに難しくない
  • D子より突発的に一緒に死のうと言われても、何らその真意をただすことをしないで、出刃包丁を買い求め、それをもってD子を刺しているのであり、その際、被告人は包丁の刃を上に向けてふりかざし、D子は悲鳴をあげ助けを求めていた事実が認められる
  • しかも医師の鑑定書によれば、D子には身体の各部位に19か所の深い傷があり、特にその左右手指の傷はD子が相当抵抗したことを如実に物語っている
  • かくて、被告人がD子の前示言葉の真意を感知し、自己一人がとり残されようとしていると思うことにより自暴自棄的感情が爆発し、むしろD子を殺害して自らもその後を追うという気持が生じたことが十分窺われるので、被告人がD子の前述の言葉が真意に基づくものではないことを充分知っていたものであって、殺害することを嘱託されたものと誤信したものとは到底認め難い

と判示し、嘱託殺人罪はなく、殺人罪が成立するとしました。

被害者が承諾しているのにそのことを知らずに殺害行為に及んだ場合

 被害者が殺害を承諾しているのに、そのことを知らずに殺害行為に及んだ場合、承諾殺人罪と殺人罪のどちらが成立するでしょうか。

 この点、裁判例は見当たりませんが、学説では、客観的に成立している軽い嘱託殺人罪が成立するという考え方が多数説となっており、これが妥当とされます。

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