刑法(逮捕・監禁罪)

逮捕・監禁罪(12) ~「労働争議において、スクラムを組んだり、円陣を作ったりして被害者を取り囲み脱出しえなくする監禁行為」を説明~

 前回の記事の続きです。

労働争議において、スクラムを組んだり、円陣を作ったりして被害者を取り囲み脱出しえなくする監禁行為

 監禁罪(刑法220条)の監禁行為について、

労働争議において、スクラムを組んだり、円陣を作ったりして被害者を取り囲み脱出しえなくする監禁行為

があります。

 この種の監禁行為について、判例上、以下のものがあります。

  1. 鉱山会社の企業整備に伴う人員解雇の撤回要求貫徹のため、同会社の労働組合執行委員たる被告人が、執務中の同会社鉱務課長を強いて会社事務所外の組合本部前広場まで連行したうえ、その後、約3時間40分の長きにわたり、組合員数百名と円陣を作って取り囲み、その脱出を不能ならしめた上、マイクを突き付けて解雇反対に協力方を執拗に迫り、あるいは組合員大衆のデモ隊の先頭に立たせて数百メートルの間を強いて行進させる等、同課長を多衆の包囲と威圧下において、その自由を拘束するというもの(最高裁決定 昭和32年12月24日
  2. 鉱山会社の労働組合員である被告人らが、青年行動隊員等十数名と共同して、坑務所内の坑長室の椅子に座っているA坑長に対し、その背後から椅子を回転させて同人をずり落として立たしめた上、数名の青年行動隊員の組んだ馬蹄形のスクラムの中に入れ、その背後を後ろから押し立てながら坑務所前路上に押し出し、待機させていた青年行動隊員約4、50名によるデモ隊の先頭に立たせて、約700メートル離れた相撲場まで前同様青年行動隊員の組む馬蹄形スクラムの中に入れ押しながら強いて駆け足させて連行して逮捕し、同様の方法でB係長も角力場まで連行して逮捕した上、A、Bを土俵上に押し上げて立たせ、土俵の周囲は逐次動員されて集結していた組合員及びその家族等数百名をして4、5重程度に円陣を作って取り囲ませ、さらにその外周は青年行動隊員に囲ませて警戒させる等して両名の脱出を封じ、約3時間の長きにわたり両名を解放せず自由を拘束するというもの(最高裁判決 昭和33年7月11日
  3. 鉱業所労働組合の役員である被告人両名が、他の組合員らと共に会社幹部の手足を取って強いて三輪車に積み込んで約1500メートルを隔てる山上に孤立する組合専用の洗心館に拉致し、多数組合員の包囲喧噪下に一方的に追及し、タ刻から深夜までその場にとどまらせるというもの(最高裁判決 昭和33年11月4日
  4. スト支援者である被告人が、会社の構内において争議中の労組員ら6、70名と共謀し、5・30記念大会視察中の巡査部長を取り囲み、多衆の威力を背景にして身体または自由に対し、危害を加えかねまじき気勢を示して脅迫を続け、取り上げた警察手帳を読み上げたりした上、強要して詫び状を書かせ、これを参集者に向かって読み上げさせた後、同人の両腕を押さえつけて約200名のデモ隊の中央付近に引き入れてスクラムを組み、その脱出を不可能にして同所より警察署前まで連行し、3時間余りにわたり同巡査部長の自由を拘束するというもの(最高裁判決 昭和34年4月28日
  5. 被告人ら学生が授業再開阻止等の目的で、約180名の教官が出席して教官会議中の3階会議室に乱入して、教授会において授業を再開しないことを議決するよう要求し、学部長がこれを拒否するや、被告人らを含む百数十名の学生が共謀して、室内の机を運び出して階段等にバリケードを築き、教官らを同室西側寄りに移動させ、学生らは東側寄りに座り込むなどした上、学部長らの責任を厳しく追及したのち、病気と認められる教官以外はその場に泊まってもらう旨通告し、学生のうち十数名がそこに残り入りロ付近で教官の動きを監視し、2、3名が建物玄関前で見張りをし、約20名が2階の部屋に泊まり込んで待機し、その後一部の教官が逃げようとすると、十数名がかけつけ、外套の襟、腕を捉えて引き戻し、あるいは頭部を拳で殴るなどしてその脱出を阻止し、121名の教官を午後7時頃から翌日午前2時~10時45分ころまでの間、不法に監禁するというもの(東京地裁判決 昭和47年5月1日)
  6. A市教職員組合T支部役員選挙に立候補した教員の挨拶状の内容が差別的なものであったとして、同候補の推薦状に名を連ねたりした教員らが部落解放同盟員から糾弾を受けた事件において、部落解放同盟A府連合会Y支部長の被告人が、同支部書記長Bを含む解同員約10名と共謀の上、午前10時50分ころ、Y中学校職員室で椅子に腰をおろしていたD教諭に対し、1名が腕をつかみ他の2名が両手を左右から引っ張って、足を突っ張り抵抗する同人を立ち上がらせ、両脇を抱え背後から押して校門まで連行したうえ、同人を押して自動車の後部座席に乗車させてY市民館まで連行し、同様にして連行してきたE教諭とともに、午前11時ころから、同館2階第3会議室において、被告人を含む解同員13名で糾弾を始め、自己批判を要求し、その後、場所を3階大集会室に移して地元住民ら約30名の面前で、さらに両名を難詰して自己批判を要求し、午後4時頃、7、80名となった地元住民らの面前で、そのころK中学校から連行されてきたF教諭に対しても激しく非難攻撃し、BがFの胸辺りを押すなどし、被告人も同人の足を踏みつけるかのような気勢を示すなどし、引き続き翌日午前2時40分ころまでの間、最盛期約250名の多衆の面前で、被告人がDら3名に対し、徹底的に糾弾する旨言って威迫を加えるなどし、D、E、Fの3名をしていずれもその任意の意思によって自由にY市民館から退出することを著しく困難ならしめて監禁するというもの(大阪高裁判決 昭和56年3月10日)
  7. 部落解放同盟員らが、同盟の行う糾弾会・確認会を批判したビラを配布した丙教組A支部長のHら及びHへの糾弾を不当とするビラを各駅等で配布したHの支援者ら、あるいはまたY高校の教諭らが同校の被差別部落出身生徒による部落解放研究会の設置に反対してきたとして同校教諭ら多数に対し、糾弾を加えた過程で、部落解放同盟員の被告人らがほか多数の同盟員と共謀のうえ、①9月9日午前7時過ぎ頃から同日午後5時15分ころまでの約10時間、Hら10名に対し、路上で同人らの前に立ち塞がるなどして進行を阻止したうえスクラムを組んで同人らを輪状に取り囲み、次いで付近に設置されたテント内で取り囲、あるいは多数でテントを包囲するなどして、こもごも怒号し、多衆の包囲と威圧により同人らの脱出を著しく困難ならしめて監禁し、②10月22日午後5時30分頃から同月26日午前11時45分頃までの約91 時間、H方居宅前などに多数の同盟員らが参集して滞留し、H方を取り囲み、同屋内の同人に対し、ハンドマイク及び肉声で「H糾弾」「お前は完全に包囲されている。今すぐ出てきなさい。わしらを怒らせたらこわいぞ」などとともごも怒号するなどし、多衆の包囲と監視及び威圧により、同人をして同人方からの自由な出入りを著しく困難ならしめて監禁し、③11 月22日午前10時頃、路上でスクラムを組んで座り込んでいたY高校教諭ら47名に暴行を加えてスクラムから引き離した上、手足を持って引きずるなどした後、トラックまたはマイクロバスに乗せ、あるいは両腕をとって徒歩で連行するなどし、300メートル離れたY高校第二体育館に連れ込み、もって同人らを逮捕し、引き続き同日午後11時頃までの間、同校の同体育館、会議室、解放研部室などに押し込め、多数で包囲、監視するなどして同人らが同校から脱出するのを著しく困難ならしめて監禁し、自己批判書の作成を強要するとともに多数の者に傷害を負わせるというもの(神戸地裁判決 昭和58年12月14日、控訴審判決 大阪高裁判決 昭和63年3月29日)

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