前回の記事の続きです。
酒酔い運転と責任能力(心神喪失、心神耗弱)の問題
刑法39条は、
- 責任無能力者(心神喪失者と刑事未成年者)は罰しない(起訴しても無罪となる)
とし、
- 限定責任無能力者(心神耗弱者)の行為は、その刑を減軽する(刑罰が軽くなる)
と規定しています(責任無能力者・限定責任無能力者の詳しい説明は前の記事参照)
このことは、道路交通法(酒酔い運転)をして、運転者が酒の影響により、心神喪失者又は心身耗弱者となっていた場合に問題になります。
まず、心神喪失者と心身耗弱者の定義を説明します。
心神喪失者とは?
心神喪失者とは、
精神障害により、物事の善悪を判断する能力がない人
をいいます。
専門的な定義は、
精神障害により、行為の是非を弁別する能力がなく、またはその弁識に従って行動する能力がない人
となります。
心身喪失者は、必ず無責任能力者とされ、犯罪行為を犯しても処罰されません(刑法39条1項)。
心身耗弱者とは?
心身耗弱者とは、
精神障害により、物事の善悪を判断する能力がとても低い状態にある人
をいいます。
専門的な定義は、
精神障害により、行為の是非を弁別する能力、またはその弁識に従って行動する能力を完全に欠く程度にまでは達していないが、通常の人の水準より著しく低い状態にある人
となります。
心神耗弱者は、限定責任能力者とされ、責任能力は一応あるとされるので、犯罪行為をすれば犯罪は成立し、刑罰を受けます。
しかし、受ける刑罰は軽くなります(刑法39条2項)。
飲酒の影響で心神喪失又は心神耗弱になった場合の道路交通法違反(酒酔い運転)の成否
道路交通法違反(酒酔い運転)においては、検挙時に心神喪失又は心神耗弱の状態にある場合があります。
それが心神喪失の状態になっていれば犯罪が成立しませんし、それが心神喪失の状態になっていれば刑が減軽されることになります。
無条件に上記のように解すると、多量の酒を飲んで記憶がないほど泥酔していれば罰せられないか又は罪が減軽されますが、適度に酩酊すれば処罰されるという矛盾が生じることになります。
この問題について以下の4つの見解(A説~D説)があります。
A説
無条件に刑法39条の適用があるとする見解
B説
刑法39条の適用はあるが「原因において自由な行為」に当たるときは、その適用が排除されるとする見解(「原因において自由な行為」の説明は前の記事参照)
C説
刑法39条の適用は当然に排除されるとする見解
D説
車両に乗車した時点の心神の状態をみて、責任能力を判断するとする見解(乗車時説)
A説~D説の適用
酒酔い運転をして、その心神の状態が喪失又は耗弱であるときは、まず、B説の「原因において自由な行為」の法理をあてはめて判断し、それでも責任能力を認めることができないときは、D説の「乗車時説」あるいは、C説をあてはめて判断すべきとされます。
しかし、B、D、C説の適用が困難なときは、刑法39条を適用し、その刑を免除又は減軽しなければならないことになります。
なお、A説を支持する判例はありません。
この点に関する以下の裁判例があります。
運行の行為当時飲酒酩酊による心神耗弱の状態にあり、その飲酒の際に酒酔い運転の意思が認められない場合は、刑法39条2項の適用があるとした判決です。
裁判所は、
- 心神耗弱ないし喪失に陥ったのちに初めて自動車の運転の決意を生じてその実行におよんだ場合に刑法第39条の適用を排除することは、罪刑法定主義の趣旨にもそぐわないおそれがあり、にわかに賛同することはできない
- そしてこの理は刑法第211条についても同様であって、以上を要するに酒酔い運転の罪および業務上過失致死傷罪について解釈上刑法第39条の適用を排除しうべき十分な理由を是認し難いものといわなければならない
- よって本件については、いわゆる原因において自由なる行為の理論を適用すべき余地はなく、刑法第39条2項を適用してその刑を減軽せざるを得ない
と判示しました。
東京高裁判決(昭和55年4月28日)
裁判所は、
- 道路交通法第117条の2第1号に該当する行為について、解釈上、刑法但書によって刑法総則第39条2項の適用が排除されると解すべき理由はないから、飲酒時には酒酔いの状態で自動車を運転することを全く予想せず、飲酒後初めて運転の意思を生じて運転行為に及んだ本件のような場合は、刑法第39条2項を適用して心神耗弱者の行為として刑を減軽すべきものといわなければならず、このことは、酒酔い運転を過失の内容とする往来危険罪についても同様に解すべきである
と判示しました。
B説の説明
B説の、道路交通法違反(酒酔い運転)においては、
刑法39条の適用はあるが「原因において自由な行為」に当たるときは、その適用が排除されるとする見解
について詳しく説明します。
1⃣ 「原因において自由な行為」とは、
自分が責任能力のある時期に、故意又は過失があり、自ずから責任無能力又は限定責任能力の状態を招き、それによって罪となるべき事実を生ぜしめるもの
をいいます。
原因において自由な行為の「犯罪実行行為」は「原因設定行為」です。
例えば、
「酔って車を運転しようと酒を飲む」
が犯罪実行行為(原因設定行為)であり、
「そうして心神喪失又は心神耗弱の状態で車を運転した」
が結果(犯罪の実行行為ではなく結果である)となります。
2⃣ 原因設行為には、一定の犯罪の結果を発生させる「具体的危険性」又は「高度の蓋然性」を必要とします。
例えば、
- 酔っぱらって人を殺してやろうと企て飲酒する行為
- 酔っぱらって車を運転しようと企て飲酒する行為
があったとしても単にこれのみでは、原因設定行為はありますが、「具体的危険性」又は「高度の蓋然性」がないので、原因設定行為(犯罪実行行為)とはなりません。
「具体的危険性」又は「高度の蓋然性」があると認められるためには、例えば、
- 酔っぱらうと刃物で人を傷つける癖のあることを承知しながら、故意に酩酊状態をつくり出す場合
- 常に飲食店街まで車を運転して行き、飲み歩いたあと再び運転して帰ることが明らかな場合
- たまたま飲みに行ったのであるが、帰るときは必ず運転して帰ることが明らかな場合
などの事実が必要となります。
道路交通法違反(酒酔い運転)における「原因において自由な行為」の裁判例
道路交通法違反(酒酔い運転)において「原因において自由な行為」の理論を適用して犯罪の成立を認めた以下の判例・裁判例があります。
事案は、
- 被告人は常時自家用車を運転してバー街に行き、その付近の路上に駐車して飲み歩き、酒に酔ってその自動車を運転して帰宅することを繰り返す常習的酒酔い運転者であった
- 事件当夜もバー4軒を飲み歩いた後、心神喪失の状態で自動車を運転して歩行者に衝突して死亡させた
- 刑法第39条(責任無能力者)との関係で、道交法117条の2第1号(酒酔い運転)違反が成立するか、「原因において自由な行為の理論」が適用されるかが争われた
というものです。
裁判所は、
- 「原因において自由な行為」の理論の適用は、過失犯の場合のみに限定されるものではなく、要件さえ備われば故意犯の場合にも適用されるべきであり、しかも、この理論は心神喪失中の犯行のみにかかわらず、心神耗弱中なされた犯行についてもその適用がある
- 本件において飲酒後自動車を運転することは証拠上あきらかであり、飲酒により酩酊するであろうことを認識しながら飲酒した結果、高度の酩酊状態に陥り(原因設定行為-犯罪実行行為)正常な運転ができない状態となって運転したもので犯意を阻却しない
と判示しました。
酒酔い運転の行為当時に飲酒酩酊により心神耗弱の状態にあったとしても、飲酒の際酒酔い運転の意思が認められる場合には、刑法第39条第2項を適用して刑の減軽をすべきではないとした判決です。
事案は、
- 被告人は自分の自動車を運転して商用をすませた後、自動車を駐車場に預け、バーで飲酒し(ビール20本ぐらい)、心神耗弱の状態まで酩酊して、付近の路上に駐車してあった他人の自動車に勝手に乗り込み運転し、途中で乗せたAからその鞄を喝取した
- 原審においては、酒酔い運転違反、窃盜、恐喝の事実を認定し、そのすべてに対し異常酩酊を理由に刑法第39条2項(心神耗弱の減軽)を適用した
- 控訴審においては、窃盗については自分の自動車と間違えたとの主張を認め無罪としたが、酒酔い運転については「原因において自由な行為」の理論を適用し、刑法第39条2項(心神耗弱の減軽)の適用を否定し、恐喝については、刑法39条2項を適用して心神耗弱の減軽を認めた
というものです。
裁判所は、
- 酒酔い運転の当時に、飲酒酩酊により心神耗弱の状態にあったとしても、飲酒の際、酒酔い運転の意思が認められる場合には(原因において自由な行為)、刑法第39条2項を適用して減軽すべきではない
- 所論は原判決(控訴審)が、故意犯である酒酔い運転について、それが酩酊により心神耗弱と認むべき状態において犯されたことを認定しながら、原因において自由な行為の理論により刑法第39条2項の適用を排除して処断したことをもって「法令の解釈適用」を誤ったものと主張するものであるが、同理論は過失犯の場合には故意犯の場合に比して適用が容易であり、したがって、過失犯の場合にその適用を見る実例が多いことは否定し難いところであるけれども、理論的には同理論の適用は、過失犯の場合のみに限定されるものではない
- 改正刑法準備草案の規定をまつまでもなく、現行刑法の解釈論としても、要件さえ備われば故意犯の場合にも適用があるべきものである
と判示しました。
裁判所は、
- 飲酒者が飲酒開始の時点においてすでに後刻自ら自動車を運転することを決意し、または、予見しているような場合には、たとえその者が後刻、心神耗弱ないし心神喪失に陥って自動車を運転しても、いわゆる原因において自由な行為の理論によって酒酔い運転の罪責を問うことができる
と判示しました。
大阪地裁判決(平成元年5月29日)
事案は、
- 被告人は、当日朝から飲酒の上自動車を運転しA方での新年宴会に出席した
- 被告人は飲酒後自動車を運転して帰宅する予定であるのに、あえて飲酒酩酊し、心神喪失ないし心神耗弱の状態で自動車を運転し、途中死傷事故を惹起した
というものです。
裁判所は、
- A方で飲酒を開始するときの被告人は、午前中から飲酒していた影響で酒の匂いはさせていたが、Aや同僚らとの対応にも不自然ないし不合理なところはなく、被告人自身の記憶の点にもこれといった異常は認められなかったのであるから、被告人としては、その時点においてそれ以上の飲酒をやめるか、酩酊に陥らないように飲酒量を抑制すべき注意義務があるので、被告人はその過失行為について完全責任能力者としての責任を負わなければならない
- 次に道交法の酒酔い運転の故意とは、アルコールの影響により正常な運転ができないおそれがある状態で車両を運転することの認識、容認であり、それは未必的なものでも足りるが、本件酒酔い運転行為は責任能力に欠けるところのなかった右A方での飲酒開始時における未必的な酒酔い運転の故意に基づくもので、その飲酒行為が原因となったものと認められるから、原因において自由な行為の理論によって、被告人は本件酒酔い運転についても完全責任能力者としての責任を負わなければならない
と判示しました。
【参考】過失犯における「原因において自由な行為」
過失犯である業務上過失致死傷事件について、裁判例は「原因において自由な行為」の理論を用い、積極的に犯罪の成立を認めています。
参考となる以下の裁判例があります。
裁判所は、
- 警察官であるAは、一定量以上の酒を飲めば病的酩酊に陥ることを知っていたのであるが、けん銃を所持したまま多量に飲酒し心神喪失の状態に陥り、けん銃を暴発させてBに傷害を与えたもので、Aは、けん銃暴発等の事故発生を未然に阻止すべき注意義務があるにかかわらず、これを怠り病的酩酊に陥ったものであるから、業務上過失傷害の罪の責任を免れることはできないと解する
- 勤務中、拳銃を携帯せる巡査としては、自己が一定量の飲酒を為せば病的酩酊の状態となることを知悉せる場合、他人に害悪を及ぼす危険を生ぜしめる原因となるべき飲酒を抑止又は制限し危険の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務がある
- 行為のときにおいて病的酩酊により心神喪失又は心神耗弱の状態にあったとしても、飲酒の当初注意義務をつくすべき際正常な精神状態にあった以上、刑法第39条を適用すべき限りでない
と判示しました。
東京高裁判決(昭和46年7月14日)
裁判所は、
- 被告人は、飲酒後自動車を運転して帰宅するつもりであって、一定量をこえて飲酒した場合には、酩酊状態に陥り正常な運転をすることができず、その結果他人に危害を生ぜしめることのありうることを十分予見しうる正常な精神状態にあったものであり、本来ならば飲酒を抑制すべきであったにも かかわらず過度に飲酒し、酩酊して自動車を運転し、酒酔いのために業務上過失傷害の罪を犯したものであるから、その過失行為の原因が被告人の飲酒にあることは明らかであり、たとえ本件過失行為の当時には飲酒酩酊による心神耗弱の状況にあったとしても、その過失傷害行為については完全な責任能力を有する者としての責任を負うべきものであって、刑法第39条2項の適用はない
と判示しました。
C説の説明
C説の、道路交通法違反(酒酔い運転)においては、
刑法39条の適用は当然に排除されるとする見解
について詳しく説明します。
C説は、道交法65条、117条の2第1号(酒酔い運転)の文理解釈からいって刑法第39条2項(心神耗弱の減軽)の適用は、当然に排除されるとします。
この点に関する以下の裁判例があります。
秋田地裁判決(昭和40年7月15日)
裁判所は、
- 刑法第8条の特別の規定は、明文の定めがある場合に限らない
- その法令の趣旨および当該行為の罪質等からみて、刑法総則のある条項を適用しない趣旨が十分にうかがえる場合も、特別の規定がある場合にあたるものと解すべきである
- 酩酊運転は、酒に酔った状態をもって違法要素とする特異な罪であって、責任能力の点においても犯罪の主体を「すでに判断力およびこれに従って行動する能力が正常人より劣った属性を有するもの」としてとらえる
- そして、酩酊の度合が高ければ高いほど違法性は強く、かつ、有責性も強くなる
- このような罪の罪質にかんがみ、心神耗弱のうち、アルコールの摂取による酩酊を原因とするものに限り、刑法第39条2項の適用を排除しているものと考えるを相当とする
と判示しました。
D説の説明
D説の、道路交通法違反(酒酔い運転)においては、
車両に乗車した時点の心神の状態をみて、責任能力を判断するとする見解(乗車時説)
を詳しく説明します。
D説の見解をとった以下の裁判例があります。
東京地裁判決(昭和34年12月25日)
裁判所は、
- 事故発生時においては、心神耗弱(心神喪失でもよい。)にあることを認めながら、乗車時には正常な運転ができないおそれがある程度に酔ってはいたが、心神喪失又は耗弱ではなかった
と判断し、酒酔い運転の責任を「乗車時」の心神状態によってとらえる判断をしました。
この判決に対しては、
- 酒酔い運転が継続犯であるところから考えれば、責任(故意)を乗車時にとらえ乗車時を「実行の着手」とみるこの判決の見解は妥当である
- しかし、酒酔い運転につき、乗車時すでに心神喪失又は心神耗弱の状態にあれば、B説あるいはC説に該当しない限り刑法39条によりその刑を免除し、又は減軽しなければならないことになる
という意見・指摘がなされています。