前回の記事の続きです。
原状回復の難易と器物損壊罪の成否
器物損壊罪(刑法261条)は、物の損壊のほか、物の効用喪失でも成立します(詳しくは前の記事参照)。
器物損壊罪(刑法261条)の成否について、対象物が物質的に損壊された場合は、修復や代替により現状回復がなされたとしても、器物損壊罪が成立することは明らかです。
損壊行為が行われたことによりいったん既遂に達している器物損壊罪が、その後の原状回復によって成立を否定されるということは論理的にあり得ず、原状回復がされたことをもって、器物損壊罪の成否に影響を及ぼすものではありません。
しかし、物質的損壊を伴わず、物の効用を損なったのみの場合には、その物の効用(美観・外観を含む)を原状に回復させることが可能な場合があり、そのような原状回復が容易に行われる場合には、器物損壊罪は成立しないと主張されることがあります。
損壊が物質的損壊を伴わない効用喪失のみであり、原状回復が極めて容易に行うことができることによって、効用の喪失がごく一時的なものにとどまるような場合には、そもそも、器物損壊罪の「損壊」と評価できるだけの効用喪失がなかったとすることも可能であり、そのような場合には、器物損壊の成立が否定される場合があります。
具体的には、ごく短時間のうちに、殊更に人手や特殊な技術・材粍経費をかけずに容易に原状回復が可能である場合には、効用の喪失があったとしても、それは一時的なものとして、器物損壊罪の「損壊」に該当しないとする余地があると考えられます。
効用喪失と原状回復に言及した判例・裁判例
参考となる判例・裁判例として以下のものがあります。
器物損壊罪の成立を肯定した判例・裁判例
盗難及び火災予防のため土中に埋設したドラム缶入りガソリン貯蔵所を発掘してドラム缶を露出させた事案です。
裁判官は、
- 刑法261条にいう損壊とは物質的に物の全部一部を害し又は物の本来の効用を失わしむる行為を言うものであるが、A炭鉱が本件ガソリンを埋設貯蔵したのは盗難及び火災予防のためであるから(原判決後段判示)、上示原判示認定程度の毀棄行為は右貯蔵施設本来の効用を喪失するに至らしめたものであることは明白である
- 原状回復の難易如何は本罪の成立に影響あるものではないのである
と判示し、器物損壊罪が成立するとしました。
広島高裁岡山支部判決(昭和29年11月25日)
被告人がビラを貼った直後に、被害者がこれをはぎ取った事案です。
- 犯人が犯罪構成要件に該当する行為(事実)を実行して所期の結果を発生せしめた後において、犯人の意思ないし行為に全く関係のない他人の偶然な行為によって、その結果が回復せられたからといって(但し自然に回復されたものではない)犯罪の成否に影響を及ぼすものとは考えられない
- 即ちビラ貼りによって器物損壊罪は既遂に達していると認められるから、原状回復の難易は、 この罪の成否に何らの影響をも及ぼさないものと解すべきである(昭和25年4月21日最高裁小法廷判決)
とし、器物損壊罪が成立するとしました。
器物損壊罪の成立を否定した裁判例
大阪地裁判決(昭和43年7月13日)
タクシー会社の労働争議に際し、営業用自動車35台のタイヤの空気を抜いた事案です。
裁判官は、
- 刑法261条にいう『損壊』とは、器物の形態を物質的に変更滅失する場合のみならず、事実上もしくは感情上その使用を不能ならしめて器物本来の効用を滅却することをいうのであるが、器物の効用を滅失しこれを損壊したというためには、器物の効用の喪失が相当なものであることが必要であり、それが単に一時的なものにとどまり、その完全な回復が諸般の観点(時間的、経済的、技術的観点)からみて、極めて容易であり、かつ、復旧後器物に何ら有形的、物質的ないしは感情的損傷を残さないような場合には、未だ器物損壊にあたらないというべきである
- 被告人3名らの本件空気抜き行為は、なるほど自動車の走行機能を一時的にしろ失わしめるものではあるけれども、右行為は単にタイヤチューブのバルブをゆるめ、あるいははずすなどして空気を放出させただけであって、右自動車自体の重要な外形、機械構造等には何んらの損傷を与えたものではなく、またその修復にあたっては新たな部品材料を付加する必要はなく、とくに、費用、労力、技術等を用いることなく自動車一両につき僅か数分という極めて短時間のうちに容易に空気を注入し、右空気注入完了後においては自動車に何らの有形的・物質的ないしは感情的損傷を残したものではないから、前記のごとく右修復に至る間一時的に自動車の走行機能を失わしめたことがあったとしても、右行為をもって器物の効用を滅却したということはできない
と判示し、器物損壊罪の成立を否定しました。
静岡地裁沼津支部判決(昭和56年3月12日)
動物保護運動家が湾内の仕切り網による捕獲場内のイルカを逃がすため、ロープで堤防の鉄製アングル等に結束されていた仕切り網を解き放ち、ゴムボートに引き上げた事案です。
裁判官は、
- 被告人は、仕切網がロープで堤防の鉄製アングルやコンクリートの柱に結束されているのを7個所にわたって解き放ち、これをゴムボートに引きあげたものの、右の仕切網自体には何らの損傷を与えたものではなく、従って、右仕切網を物理的に変更ないし滅失させたものでないことは明らかである
- そして前掲各証拠によれば右仕切網は同所付近に放置したゴムボート上に引き上げられてあったため、その後間もなく約30分間の作業で付近の漁民によって元どおりの形に復元されたことも認められるところであって、これらの点からすれば、本件の仕切網に対しては器物損壊罪は成立しないものといわざるを得ない
と判示し、器物損壊罪の成立を否定しました。