前回の記事の続きです。
事実証明の前提要件
刑法230条の2が適用される場合は、名誉毀損罪(刑法230条)は罰されません。
刑法230条の2「公共の利害に関する場合の特例」は、事実証明の前提として、摘示された名誉を毀損する事実が
- 公共の利害に関すること(事実の公共性)
- 行為の目的が専ら公益を図るためであったこと(目的の公益性)
の2点を要求しています。
また、起訴前の犯罪行為(2項)、公務員に関する事実(3項)については、この要件の一部又は全部の存在を擬制する旨の規定を置いています。
前回の記事では、「公共の利害に関すること(事実の公共性)」を説明しました。
今回の記事では、「行為の目的が専ら公益を図るためであったこと(目的の公益性)」を説明します。
行為の目的が専ら公益を図るためであったこと(目的の公益性)
目的の公益性とは?
刑法230条の2により、名誉を毀損する事実を摘示する行為の目的に公共性があったとして、名誉毀損罪が罰されないとされるためには、摘示する行為が
専ら公益を図ることにあった
のでなければなりません。
刑法230条の2は、「専ら」公益を目的としたことを要求していますが、学説の多くは、公益を図ることが「主たる動機」であったのであれば足りると解しています。
その理由は、「人間の心理作用が複雑であり、唯一の動機のみによって行動するということを人間に期待することが実際上の問題としてはなはだしく困難である」ところにあります。
下級審判例も、学説の多数説と同じ立場にあるといってよいです。
東京地裁判決(昭和40年5月22日)
裁判官は、
- 刑法230条の2第1項にいう「その目的専ら公益を図るに出たるもい…」とは必ずしも公益を図る以外の他の目的の介入を絶対的に否定する趣旨と解すべきものではなく、若千私益等他の目的が混入していても、公表に及んだ主たる目的が公益を図ることにある事実が認定できるならば、それをもって十分と解するのが相当と考えられる
と判示しました。
東京地裁判決(昭和47年5月15日)
裁判官は、
- 刑法第230条の2第1項の「その目的専ら公益を図るに出たるもの」というのは、もとより公益を図る以外の他の目的との競合を絶対に排除する趣旨と解すべきではない
- けだし、人間の内心の動機・目的は、通常、打算や感情に支配されて複雑であり、かつ周囲の情況に応じ流動的であって、純粋又は絶対の動機に基づく場合は、実際上稀有であるばかりでなく、このような人間の主観的事情はまた、近時社会の生活関係の複雑化及び国民の法意識の高揚に伴い、公益と私益の限界は漸次相対的となり、両者を明瞭に識別して観念しうる生活関係が、次第に影をひそめ、代って私益及び公益の両面が交わる生活関係が増大しつつある客観的情況と相呼応していることを考えると、行為者の偶然的な主観や区々たる表示に捉われることなく、内心に存する動機・目的のほか、行為の全体を客観的に観察し、そこに公益的意義が看取される場合には、内心に私益的動機が存在していても、前記法条にいう「その目的専ら公益を図る」に出たものと解するのが相当だからである
と判示しました。
公益目的の存在が否定された事例
公益目的の存在が否定された事例として、以下の裁判例があります。
広島高裁判決(昭和30年2月5日)
事実の公表は主として窃盗犯人と信じているMより被害弁償をうける手段としてなされたものであって、窃盗事件捜査の進捗を図る等公共の利益のみを図るためになされたものと言うことはできないとし、公益目的の存在を否定した事例
東京高裁判決(昭和30年6月27日)
Aの売春行為を指摘した記事は、一般読者の好奇心の満足を図り興味をそそろうとしたことがその主たる目的であって、ただこれに付随して継母子関係を取上げ、同情的論評を加えたに過ぎないとし、公益目的の存在を否定した事例
横浜地裁判決横須賀支部(昭和昭35年12月9日)
被害者らの社会的評価を一段と下落させ、ひいては同人らを問題から葬むり去り、もってKの立場を有利に転回することを目的としていたとし、公益を図かることを、その窮極の目的としていたにもせよ、この要件を満たさないとし、公益目的の存在を否定した事例
福岡高裁判決(昭和50年1月27日)
被害者に対する交渉を有効適切ならしめようとした意図が存在しており、公益を図る目的が主たる目的ないし動機であったとはいい難く、むしろ、私的利益擁護の企図が主たる目的ないし動機であったとし、公益目的の存在を否定した事例