刑法(殺人罪)

殺人罪(16) ~事実の錯誤①「殺人罪における客体の錯誤」を解説~

事実の錯誤とは?

 故意がなければ、犯罪行為を行っても犯罪が成立しません(この点については前の記事参照)。

 そして、故意があると認定するためには、犯罪事実の認識・容認が必要になります。

 しかし、ときに、犯人が認識していた犯罪事実と、実際に発生した犯罪事実が食い違う場合があります。

 これを『事実の錯誤』といいます。

 たとえば、

夫を殺すつもりで食事に毒をもったのに、友人が毒をもった食事を食べてしまい、友人を殺してしまった…

というケースの場合、犯人が認識していた犯罪事実と、実際に発生した犯罪事実とが食い違うので、『事実の錯誤』となります。

 『事実の錯誤』が起こった場合、犯罪の故意は認められるのでしょうか?

 結論をいうと、

「事実の錯誤」を起こして犯罪を実現したとしても、故意(犯罪を犯そうとする意志)を阻却せず、犯罪が成立する

となります。

 「事実の錯誤」を起こしても、犯罪の故意はしっかりと認められ、無罪ではなく、有罪になります。

 故意が阻却されな理由を説明します。

 「事実の錯誤」を起こしても、

  1. Aを殺すつもりが、人違いをしてBを殺してしまった場合(客体の錯誤)
  2. Aを殺すつもりで拳銃を発砲したが、弾丸がそれて、近くにいたCに当たり、Cを殺してしまった場合(方法(打撃)の錯誤)
  3. Aを溺死させようとして、橋の上から川に投げ込んだが、水面にあったボートにぶつかり、頭部打撲により死亡した場合(因果関係の錯誤)

といった殺人罪の例で考えてみると、殺人罪の構成要件である「人を殺した」という点においては、認識と現実に発生した事実は一致しています。

 そこで、法は、殺した相手が誰であるかは重要ではなく、人を殺したこと事態が重要であると考えるので、殺人罪の故意を認めるという結論を導くのです。

 このような考え方で、「事実の錯誤」を起こしても、故意は阻却されないという結論になります。

「客体の錯誤」「方法(打撃)の錯誤」「因果関係の錯誤」

 事実の錯誤は、錯誤がどの要素に対して起こっているかで、

  1. 客体の錯誤
  2. 方法(打撃)の錯誤
  3. 因果関係の錯誤

に分類されます。

客体の錯誤とは?

 客体の錯誤とは、

Aを殺すつもりだったのに、人違いをしてBを殺してしまった…

というように、犯罪行為の客体に錯誤があった場合の錯誤のことをいいます。

方法(打撃)の錯誤とは?

 方法の錯誤とは、

Aを殺すつもりで拳銃を発砲したが、Aの近くにいたBに弾が当たってしまい、Bを殺してしまった…

というように犯罪行為の向き・方向に錯誤があった場合の錯誤のことをいいます。

因果関係の錯誤とは?

 因果関係の錯誤とは、

Aを殺そうと思って首を絞めた。死んだと思ったので屋外に放置したところ、実は死んでおらず、屋外に放置したことで凍死した…

というに、犯罪行為者が認識していた因果関係の経路と、実際に発生した因果関係の経路との間に食い違いがあった場合の錯誤のことをいいます。

殺人罪における客体の錯誤の判例

 まずは、①の「客体の錯誤」について詳しく説明します。

 Aであると誤認してBに対して殺害行為に及んだ場合が、殺人罪における客体の錯誤です。

 客体の錯誤は、殺意を否定せず、殺人罪の成立が認めれらます。

 この場合の判例として、以下のものがあります。

大審院判決(大正11年2月4日)

 AとBが共謀して、Cを殺害しようとしたが、人違いをして、Dに対し、Aが刀で切りつけ、Bが拳銃で射撃し、Dを殺害するに至らなかったが傷害を負わせた事案で、

 裁判官は、

  • 人を殺す意思をもって、これを殺傷したる以上は、たとえ被害者を誤認したるときといえども、犯意を阻却するものにあらず

と判示し、AとBに殺人未遂が成立するとしました。

大審院判決(昭和6年7月8日)

 数人で殺人を共謀し、殺人を実行したところ、共犯者の一人が誤って別の人物に対する殺害行為に及んだ殺人未遂の事案で、共犯者全員に殺人罪が成立するとした事例です。

 裁判官は、

  • 犯意とは、法定の範囲における罪となるべき事実の認識をいうものなれば、行為者が被害者を誤認し、殺意をもって暴行を加え、他人を殺傷したる場合においても、行為者の認識したる犯罪事実と現に発生したる事実とは、法定の範囲において一致するをもって、行為者は現に発生したる事実につき、認識を欠くものに非ざるや論なく、数人が殺人罪の遂行を共謀したる場合において、共謀者のある者が被害者を誤認し、暴行をなしたるときといえども、行為者及び他の共謀者の認識したる犯罪事実と現に発生したる事実とは、法定の範囲において符合するをもって共謀者全部に現に発生したる事実につき認識を欠くことなし

と判示し、共犯者全員に殺人未遂罪が成立するとしました。

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