刑法(殺人罪)

殺人罪(32) ~「安楽死と殺人罪(又は承諾殺人罪、嘱託殺人罪)の成否が争点になった事例」を解説~

安楽死と殺人罪(又は承諾殺人罪、嘱託殺人罪)の成否が争点になった事例

 安楽死と殺人罪(刑法199条)又は承諾殺人罪嘱託殺人罪刑法202条後段)の成否が争点になった事例として以下のものがあります。

承諾殺人罪の事例

名古屋高裁判決(昭和37年12月22日)

【事案】

 被告人は、父Aの長男であるところ、父Aは脳出血で倒れ、全身不随で寝たきりとなっていたが、その状態が2年近く続いた。

 父Aは、衰弱が甚だしく、上下肢は曲げたまま、少しでも動かすと激痛を訴えるようになった。

 その上、父Aは、しばしば発作に襲われ、息も絶えんばかりにもだえ苦しんで、「早く死にたい」「殺してくれ」などと叫ぶようになった。

 被告人は、高校卒業後、家業の農業に従事し、父母によく仕え、部落の青年団長を勤めるなど真面目な青年であったが、父Aの苦しみもだえる様子を見るにつけ、子として堪えられない気持ちになっていた。

 それまで父Aの診察にあたっていた医師から、「Aの命は、おそらくあと7日か、よくもって10日だろう」と告げられるに及び、父Aを病苦から免れさせることこそ、最後の孝養であると考え、父Aを殺害しようと決意するに至った。

 そこで被告人は、配達されていた牛乳に有機燐殺虫剤を混入し、情を知らない母親をしてこれを父Aに飲ませて殺害した。

【判決】

 一審は、尊属殺人罪(現在は法が削除され、なくなっている)が成立するとしました。

 しかし、控訴審で、裁判官は、

  • Aの発した「殺してくれ」「早く楽にしてくれ」という言葉は、同人の自由な真意に出たものと認めるのが相当である

として、承諾殺人罪刑法202条後段)が成立するとしました。

【安楽死についての言及】

 この控訴審の判決で、裁判官は、安楽死について言及した点が注目されます。

 裁判官は、安楽死については、以下の①~⑥の厳しい要件の下にのみ、安楽死を是認し得るにとどまるとしました。

  1. 病者が現代医学の知識と技術からみて不治の病に冒され、しかもその死が目前に迫っていること
  2. 病者の苦痛が甚だしく、何人もこれを見るに忍びない程度のものであること
  3. 専ら病者の死苦の緩和の目的でなされたこと
  4. 病者の意識がなお明瞭であって意思を表明できる場合には、本人の真摯な嘱託又は承諾があること
  5. 医師の手によることを本則とし、これにより得ない場合は首肯するに足る特別な事情があること
  6. その方法が倫理的にも妥当なものとして認容し得るものであること

 この事件の場合は、①~④の要件は満たしていたが、⑤、⑥の要件に欠けるとして、違法性は阻却されないとし、承諾殺人罪が成立するとされました。

東京地裁判決(昭和25年4月14日)

 脳出血のため全身不随となった母親が、朝鮮に帰国できる日を楽しみに次男である被告人の家で療養していたが、朝鮮に渡った夫の悲惨な近況を聞いて落胆のあまり、「早く楽にしてくれ」「早く殺してくれ」と熱心に頼むので、青酸カリを水に溶かして飲ませて殺害した事案で、承諾殺人罪の成立を認めました。

 裁判官は、被害者が不治の病にかかっていたことは認めたが、本件当時、その病気により激烈な肉体的苦痛のために苦しんでいたとは認められず、被害者の苦悩はむしろ精神的なものであるとして、正当行為とはいえないとしました。

鹿児島地裁判決(昭和50年10月1日)

 長年、肺結核・自律神経失調症・座骨神経痛で自宅療養中の妻が、不眠や全身の疼痛苦悶し「これ以上苦しむのは嫌だから死なせてくれ」などと執拗に哀願するのを見るに忍びず、死を覚悟し、睡眠薬を飲んで眠りについた妻の頸部にタオルやロープを巻いて締めつけ、窒息死させた事案です。

 裁判官は、

  • 必ずしも不治の病というわけでも、死期が目前に迫っていたのでもない上、殺害の方法からも、社会的相当性を欠く

とし、嘱託殺人罪が成立するとしました。

大阪地裁判決(昭和52年11月30日)

 妻が、末期癌による激痛を訴え、付添婦をした経験から余命幾許もないと知って、連日のように「助からないのだから早く殺してくれ」と泣訴哀願し、自ら刃物で手首を切ったり、帯を首に巻き付けたりして自殺を図るに及んで、妻を病苦から免れさせるため、妻の嘱託をいれて殺害しようと考え、包丁を妻に示したところ、これを左胸にもっていくので、ついに決意を固め、包丁で左胸部を2回突き刺して殺害した事案です。

 裁判官は、

  • 被害者は病院に入院中で医師の医療行為を受けていたのであるから、医師の手によることができない特段の事情はない
  • 被告人は医師に対し、「楽にしてやってくれ」と頼み、あと1週間くらいだから我慢するように言われているが、これは特段の事情にあたらない
  • 刃物を用いた殺害方法は、果たして倫理的に妥当なものといえるか疑問がある

として、正当行為たる安楽死にあたるとする弁護人の主張をしりぞけ、嘱託殺人罪が成立するとしました。

高知地裁判決(平成2年9月17日)

 夫が病気の妻を殺害した事案です。

 妻が、軟骨肉腫の末期症状で激痛に苦しみ、 自宅でカミソリで頸部を切って自殺しようとしたが死に切れず、夫が、「殺してくれ」と哀願する妻の嘱託に応じ、頸部をカミソリで切ったうえ扼殺しました。

 裁判官は、医師の手によっていないこと、社会通念上、相当な方法でないことを理由に、違法性は阻却されないとし、嘱託殺人罪の成立を認めました。

同意のない普通殺人の事例

神戸地裁判決(昭和50年10月29日)

 脳内出血で半身不随となり、何度も発作を起こして苦しんでいる母親の病気が治らないものであると悲観し、いっそのこと自分が殺して楽にしてやろうと決意し、母親が就寝中またもやけいれん発作を起こしたところを、電気こたつのコードを首に巻き付けて絞殺した事案です。

 裁判官は、

  • 死が切迫していることが明白であったとは認められず、苦痛の程度も何人も見るに忍びないような激烈なものであったとはいえないのみならず、被害者の嘱託あるいは積極的な希望はなかったのであるから、他の要件について論ずるまでもなく、安楽死として違法性の阻却される場合に該当しない

とし、殺人罪が成立するとしました。

医師による安楽死術の事例

横浜地裁判決(平成7年3月28日)

 大学医学部付属病院に入院中の患者に対し、同病院の医師が安楽死術を施し死亡させるという事件が発生し、この医師が殺人罪により起訴され、懲役2年、執行猶予2年の有罪判決が言い渡された事例です。

【事案】

 患者(死亡時58歳)は、癌の一種で現代医学では不治の病とされている多発性骨髄腫瘍と診断されて同病院に入院していたが、病状が急速に悪化し、末期状態にあった。

 担当医であった被告人は、患者の妻と長男から、治療の中止を執拗に求められ、点滴など医療器具を外したり、苦しそうな息をしている患者を楽にしてやって欲しいとの要求に応じて、呼吸抑制の副作用がある鎮静剤と抗精神病薬をそれぞれ通常の2倍量注射した。

 更に長男から直ぐに息を引き取るようにして欲しい旨強く要求され、患者に息を引き取らせることを決意し、殺意をもって、まず心停止などの副作用のある不整脈治療薬を通常の2倍量注射したが、患者の脈拍等に変化が見られなかったことから、続いて、心臓伝導障害の副作用があり希釈しないで使用すれば心停止を引き越こす塩化カリウム製剤を希釈しないで注射し、患者を心停止により死亡させた。

【判決内容】

 裁判官は、医師による末期患者に対する致死行為が積極的安楽死として許容されるための要件について、

  1. 患者が耐え難い肉体的苦痛に苦しんでいること
  2. 患者の死が避けられず死期が迫っていること
  3. 患者の肉体的苦痛を除去・緩和するための医療上の手段が尽くされ、代替手段がない事態にいたっていること
  4. 患者の意思表示があること(間接的安楽死の場合は家族の意思表示からの推定でもよいが、積極的安楽死の場合はこれを行う時点での患者本人の明示の意思表示が必要であり右推定では足りない)

の4点を挙げ、本件では①④の要件が欠けているとし、殺人罪が成立するとしました。

最高裁決定(平成21年12月7日)

(一審:横浜地裁判決 平成17年3月25日、控訴審:東京高裁判決 平成19年2月28日)

【事案】

 病院の呼吸器内科部長であった被告人は、気管支喘息重積発作に伴う低酸素性脳損傷で意識が回復しないまま入院し、治療中の担当患者について、延命を続けることで肉体が細菌に冒されるなどして汚れていく前に、気道確保のため鼻から気道に挿入されているチューブを取り去って、 出来る限り自然な形で息を引き取らせたいとの気持ちを抱き、チューブを抜き取り、患者が死亡するのを待ったが、予期に反して、患者がゼイゼイ音を出しながら身体をエビのように反り返らせながら苦しそうな呼吸を繰り返し、鎮静剤を多量に投与しても鎮めることができなかった。

 医師は、そのような状態を幼児を含む家族に見せ続けることは好ましくないと考え、この上は、筋弛緩剤で窒息死させようと決意し、事情を知らない准看護婦に命じて筋弛緩剤を静脈注射させて、呼吸筋弛緩により窒息死させた。

【判決内容】

 一審判決は、

  • 患者の回復可能性や、死期切迫の程度を判断する十分な検査等がなされておらず、かつ、家族に患者の意思を確かめたこともないのみならず、家族に患者の病状、余命、チューブを抜き取る行為の意味も十分に説明しておらず、家族が治療中止を了解しているものと誤信していたにすぎない

とし、医師の行為は違法性であるとし、殺人罪が成立するとしました。

 控訴審では、

  • 気管内チューブを抜管行為について家族からの要請はなかったとの一審の認定には合理的な疑問が残るとしたものの、治療中止を適法な尊厳死とするについては、自己決定権及び治療義務の限界いずれのアプローチにも解釈上の限界があるとしつつ、患者本人の意思が全く不明で、家族からも明確な意思表示があったとまでは認められず、かつ死期が切迫していたとも治療義務が限界に達していたとも認められない本件においては、いずれのアプローチによっても適法とはなし得ない

とし、殺人罪が成立するとしました。

 上告審である最高裁決定では、

  • 本件チューブ抜管行為は、患者の余命等を判断するために必要とされる脳波等の検査が実施されておらず、発症から2週間の時点でもあり、回復可能性や余命について的確な判断を下せる状況にはなく、また、回復をあきらめた家族からの要請に基づき行われたものの、その要請は病状等について適切な情報を伝えられた上でされたものではなく、患者の推定的意思に基づくということもできない本件事情の下では、法律上許容される治療中止には当たらない

と判示し、殺人罪が成立するとしました。

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