刑法(わいせつ物頒布等罪)

わいせつ物頒布等の罪(5)~「わいせつ性の判断基準である『社会通念』の考え方」を説明

 前回の記事の続きです。

わいせつ性の判断基準である「社会通念」の考え方

 わいせつ物頒布等の罪(刑法175条)における「わいせつ性の判断基準」を説明します。

 何が「わいせつ」に該当するかについての評価・判断の基準について言及したのが以下の判例です。

最高裁判決(昭和32年3月13日)

 わいせつ性の判断基準ついて、

  • 一般社会において行われている良識、すなわち社会通念である

とした上、社会通念の内容については、

  • 個人の認識の集合又はその平均値でなく、これを超えた集団意識であり、個々人がこれに反する認識をもつことによって否定するものではない
  • 社会通念がいかなるものであるかの判断は、現制度の下においては裁判官に委ねられているのである
  • なお、性一般に関する社会通念が時と所とによって同一ではなく、同一の社会においても変遷がある
  • しかし、性に関するかような社会通念の変化が存在し、また現在かような変化が行われつつあるにかかわらず、超ゆべからざる限界としていずれの社会においても認められまた一般的に守られている規範が存在することも否定できない
  • それは前に述べた性行為の非公然性の原則である

と述べました。

 この判決が示した、わいせつ性の判断基準である「社会通念」の内容は、

  • 個人の認識の集合又はその平均値でなく、これを超えた集団意識であること
  • 社会通念がいかなるものであるかの判断は裁判官に委ねられていること

ですが、これらの点にさらに踏み込んで言及した裁判例として、以下のものがあります。

東京地裁判決(昭和50年11月26日)

 裁判所は、

  • わいせつの概念は社会通念によって定まり、時代の一般文化を背景として変遷することを免れ得ない
  • 従って、まずこれらが製作・販売された昭和46年頃から現在に至るまでの間における―般市民の意識、感情をとらえなければならないわけであるが、これを直接的に把握するごとは不可能に近いので、ちまた間で公然といかなる内容の成人映画が上映されているか、 また一般書店でどのような内容のポルノ雑誌や官能小説類が陳列販売されているかをみることが確実な方法である
  • 公然と上映されたり、一般書店で販売されているからといって当然にそれがわいせつ物とならないわけではない
  • しかしそれが数多くあって、長い期間取締りの対象にならず、一般大衆が特段の抵抗も感じないで観覧、又は閲覧しているという状況があれぱもはやわいせつ物とみることはできないというべきである

と述べ、社会通念をその時代における一般市民の意識・感情そのものとしてとらえる説示をしました。

大阪地裁判決(昭和51年3月29日)

 裁判所は、

  • 具体的文書がわいせつであるかどうかを考えるに当たって、その文書の読者層又は読者環境の中における通念といったものを、一般的な社会通念を判断する際の資料から排除することは誤りであるといわなければならず、当該文書を取り巻くもろもろの環境についても十分参酌したうえで、一般社会の通念を探る努力がなされなければならないのである

と述べ、文書の読者層又は読者環境を社会通念を判断する資料とすべきだとしました。

東京地裁判決(昭和54年10月19日)

 裁判所は、

  • 社会通念は「事実として存在する個々人の意識の集合ないしその平均値を超える集団意識であり、『性的道義観念』に通ずる規範的概念」であるが、「性表現流布のもたらした普通人の意識の変化は、普通人の間に存する良識・社会通念にも影響を及ぼさざるをえない
  • のような性表現流布によって現時点までに普通人が到達した前記の「馴れ」「受容」及び捜査機関等による「放任」の程度を重要な資料としたうえで、社会通念における性表現許容の目安を見出すのが妥当であると考える

と述べ、普通人の馴れや受容、捜査機関の放任の程度が社会通念判断の資料となり得ることを明らかにしました(この判決は控訴審判決によっても是認されています)。

東京地裁判決(昭和42年7月19日)

 裁判所は、劇映画のわいせつ性について

  • ①映画全体を時間の流れの中で評価すべきであり、部分的に切り離して考えることは相当でなく、わいせつ性の判断はこれを観覧した普通人が抱くであろう全体的印象、感想に基づくべきであり
  • ②普通人とは、観覧目的で入場した普通の観客をいい、特に成人映画としての指定がある場合はこの点も考慮すべきであり
  • ③普通人が作品そのものから客観的にうかがうことのできる製作者の製作意図は、映画の全体的印象・感想を形成する一要素であり、また、普通人が抱く印象・感想は作品の有する社会的価値の総合的評価を要素とするものであるから、わいせつ性の判断にあたってこれらを無視することはできないし
  • ④性的描写の面で同程度の作品が一般公開され、公権力がこれを放置している場合は、社会一般が消極的にせよ是認・許容していると解すべきであるから、類似作品の存否についても検討・考慮する必要がある

とし、これらの点に加えて、

  • 映倫の審査経緯と結論はわいせつ性判断の有力な基準となり、映倫の審査に合格した映画がわいせつ性を有する場合にも、違法性の認識の欠如につき過失がないとして、あるいは期待可能性がないとして責任が阻却されることがあり得る

と述べました。

東京地裁判決(昭和53年6月23日)

 映画倫理の自主規制機関である映倫管理委員会の成立の過程・審査の実情など、その機能・役割を論じた上、

  • 映画のわいせつ性の判断にあたっては、映倫の審査結果をできるだけ尊重すべきである

との見解を示し、この立場から問題の映画のわいせつ性を否定しました。

 さらに、この判決の東京高裁判決(昭和55年7月18日)は、

  • 人格識見のすぐれた有識者からなる映倫管理委員会が、自ら作成した審査基準に基づいて慎重に行った審査の結果を、「わいせつに関する社会通念がどの辺りにあるかを推しはかる一つの資料」

としています。

 ビデオに関して、昭和47年に「日本ビデオ倫理協会」(「ビデ倫」)が、映像ソフトに対する自主審査機関として初めて設立され、性表現に関する作品の審査基準としては、性表現の描写は法規範、社会規範を踏まえ慎重にし、性行為の具体的な過程等の描写については、適切な処理を行うなどの基準が定められていました。

 平成16年頃からビデ倫の審査基準等が緩和し、平成18年7月頃からは、モザイク処理が極めて薄く修正が不十分な作品でも、審査を通過するようになりました。

 以上のビデ倫の実態を踏まえ、東京地裁判決(平成23年9月6日判決)は、

  • ビデ倫は会員であるメーカーからの要望を受けて、次第に、審査基準等を緩和させるとともに、実際の審査においても、結果として、審査結果に利害関係を有するメーカー会員の意向に沿うかたちで、特に平成18年に入って以降、モザイクレベルに関して、従前の基準や運用を大幅に緩和する方向に運用が変わっていったことが認められる
  • このような、本件DVDが審査された当時における審査の実態等に照らすと、本件DVDがビデ倫の審査を合格しているとしても、その事実をもって健全な社会通念を推し量る一事情として考慮することは相当ではないというべきである

と判示しました。

 この判決は控訴審である東京高裁判決(平成24年5月17日)でも結論が維持されました。

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