参照点とは?
参照点とは、人の価値判断において、得と感じるか、損と感じるかの基準点をいいます。
人は、参照点からの変化によって、
得か・損か
良いか・悪いか
快感か・苦痛か
を認知します。
参照点が上昇するほど、地獄に近づく
私は、先日、スマホを階段から落として壊しました。
そして、1週間ほど、スマホなし生活を送りました。
スマホがなくなると、すぐにスマホを求める中毒症状に襲われました。
- Yahoo!ニュースが見れない
- Google検索ができない
- Twitterのタイムラインが見れない
- YouTube動画が見れない
- 写真が撮れない
- 音楽が聴けない
- ネットで買い物ができない
- ゲームができない
といった事態に陥ったことで、脳からスマホを求める薬物がドバドバでました。
ここで、私は、
「スマホをもともと持っていなかった時は、こんな症状に襲われていなかったはずだ」
「なぜ、今は、スマホ中毒症状に襲われているのか?」
という疑問が生じました。
答えをすぐに言ってしまうと、この疑問の答えは、‶ 参照点の移動 ″ にあります。
昔は、『スマホを持っていないのが当たり前』という参照点にいたのです。
だから、昔は、スマホがなくても、得も損も、良いも悪いも、快感も苦痛も感じずにいられたのです。
しかし、今は違います。
今は、『スマホを持っていて当たり前』という参照点に移動してしまったため、スマホがないことで損を感じ、不快を感じ、苦痛を感じるようになってしまったのです。
この私の体験談の例から分かるとおり、参照点が上昇することで、昔は苦痛を感じなかったことでも、今は苦痛を感じるようになってしまうのです。
参照点が上がれば上がるほど、人は当たり前のことに価値を感じることができなくなり、地獄に近づいていくのです。
参照点が上がっていくことに自覚的になるべき
人は、優越性を追求する本能を持って、生まれ落ちています。
そのため、人は、今よりも良いモノ、今よりも良い環境を手に入れる方向に突き進んで行きます。
したがって、人は、参照点がどんどん上がっていくのです。
そして、昔は満足できていたものに、今は満足できなくなり、苦痛を感じるようになるのです。
しかし、参照点がどんどん上がっていく流れは止められません。
経済が、社会が、よりグレードの高いものを提供する方向に変化していくからです。
私たちも、それに合わせて、よりグレードの高いものを求めていきます。
すると、私たちの参照点は、
- 昔は良いと思っていたのに、今は良いと思えなくなる地獄
- 不平・不満・苦痛が多くなる地獄
に向かって、どんどん上昇していきます。
私は、せめて、そのことに自覚的でありたいと思うのです。
できることなら、参照点を、昔あった位置に戻して、昔は幸福を感じることができたことに、今でも幸福を感じることができればと思うのです。
捕捉
参照点の考え方は、仕事(給料、待遇など)、人間関係(家族、友人関係など)、物の価値(値段、品質、流行など)といった、あらゆる事象に当てはまります。
特別に不幸な環境にいるわけでもないのに、幸福を感じられない人は、参照点が上がっていることが原因です。
幸福を多く感じる人生にしたければ、参照点が上がらないように、価値の捉え方を正す努力をする必要があります。