嘘は、人間関係を円滑にする潤滑油の役割を果たす
嘘は、人間関係を円滑にする潤滑油の役割を果たします。
何でもかんでも本当のことを言っていたら、人間関係が悪くなり、問題が増え、炎上が絶えません。
たとえば、パートナーが作ってくれた料理がまずかったとしても、正直に「まずい」と言う人はいません。
ある調査で、人は1日に1回は嘘をつくことが分かっています。
そして、日常的な嘘の多くは、
- 緊張や対立を回避するためにやむを得なかった
- 怒りや反感を買わないために必要だった
と弁解されます。
社会的な関係性において、嘘は、
- 自分を感じよく見せる演出の一部であり
- 人付き合いをスムーズにするための手段
なのです。
人が嘘をつくのは、嘘が利得をもたらすからです。
それゆえ、たいていの人は、嘘をついたことをあまり認識していないし、重大なこととも考えていません。
巧みに嘘をつき、自分を演出し、人を眩惑する能力は、良い人間関係を築いたり、社会で成功する上で欠かせない能力なのです。
ただし、行き過ぎた嘘は罰を受けるので、気をつける必要があります。
嘘をつくのはデフォルト設定
誰しも、子どもの頃、親や先生に「嘘はついてはいけません」と教わったと思います。
この教えこそが嘘です。
「嘘はついてはいけません」は、子どもの教育上の都合から作られた概念です。
社会の実態として、正直や率直は、デフォルト設定になっていません。
嘘をつくのが、良い人間関係を作ったり、社会で成功するために必須な能力なのだから、これは当然のことです。
「嘘はついてはいけない」というのは建前であり、世の中は、嘘をつくのがデフォルト設定になっています。
大人になった今でも、子どもの頃に教わった「嘘はついてはいけない」という考え方を信じ、押しつけてくる人がいます。
このような人は、子ども時代の教育の洗脳が解けておらず、世の中の実態が見えていないだけです。
権力者ほど嘘をつく
権力的地位にある人ほど、頻繁に、たやすく嘘をつくことが分かっています。
権力者は、自信をもって嘘をつくし、たとえ公の場に狩り出されたとしても、ついた嘘について自信をもって釈明します。
これは、権力を持った人間ほど、嘘が容易になり、嘘が通りやすくなるためです。
たいていの人は、世界はまずまず公正にできていて、優れた人物ほど上へ行くと考えているので(これを「公正世界仮説」といいます)、権力者の発言の真偽を確かめようとしないのです。
それに、たいていの人は、権力に逆らおうとしません。
たとえば、会社において、部下が、上司の発言の真偽をいちいち吟味して、疑うようなことはしません。
こうした次第で、権力者は、嘘をつきやすく、嘘がバレる心配が少ない環境が整えられているので、往々にして嘘をつくのです。
そして、嘘をつき、真実を語らないからこそ、悪い結果を回避し、良い結果を手にすることも多いのです。
だから、権力者は、うまいこと出世していけるのです。
権力者が牛耳る世の中だからこそ、世の中は、嘘をつくのがデフォルト設定の構造なのです。
世の中は、嘘をつくのがデフォルト設定になっているのを理解すべき
人は、嘘をついてはいけないと教育されているため、世の中も・自分も・他人も、公正で・誠実で・高潔だと思いたがります。
しかし、現実はそうではありません。
世の中は、往々にして嘘が展開されています。
大切なのは、世の中は嘘がデフォルト設定だという現実を理解することにあります。
現実を無視し、
「嘘をつくのは悪いことだ」
「自分も他人も嘘などめったにつかない」
「世の中は公正だ」
「真実を語るのが立派」
「権力者は嘘はつかない」
という誤った現実を認識したままでいると、的外れな行動や立ち回りをして苦しんだり、利得を得る機会を逃すなど、見当違いの方向へ行ってしまいます。
(余談)嘘をつくことは快感である
人は、嘘をついて他人をだますと、感情がたかぶり、高揚感を味わうことが分かっています。
専門家は、この現象をランナーズ・ハイならず、「チーターズ・ハイ」と呼びます。
チーターズの語源は、チート(いかさまをすること)です。
多くの人は、「嘘をつけば嫌な気持になる」というのが固定観念になっていると思いますが、実際はそうではありません。
嘘をまんまとつき通すことで、快感を得られるのです。
みなさんも、嘘をついて、その場を上手にやり過ごせたときに、自分がどのような気持ちになっているかを意識して確認してみてください。