「私は満たされていて、全てにおいて満足している」と心から言える人は少ないと思います。
それは、人は、新しい刺激を求め続けるので、一つのものに変わらない価値を感じ続けることが難しいためです。
人が価値を感じるものは移り変わるので、もっと別のものがほしい、もっと良いものがほしいという欲求に駆られます。
感度は回数を重ねるごとに低下し、刺激の賞味期限はすり減っていくのです。
価値の認識方法
‛‛隣の芝は青く見える ’’ と言われるように、人は、他と比べることで価値を認識します。
人間関係でいうなら、会社では、業績・ゴマすり能力など要因は様々ですが、ほかの社員より優れていると評価された社員が出世します。
そもそも、なぜ人は比較することで価値を認識する思考なのでしょうか。
優越性の追求
人が比較することで価値を認識する思考であるのは、人は、他より優れていたいという優越性を追求する本能をもっているためです。
※ 優越性を追求する本能は、原始的な本能であり、人が生存率を上げるために必要な本能です。優越性を追求するから、人は、自分が生き延び、かつ、優秀な子孫を残すための行動を選択することができるわけです。
人は、優越性を追求する本能により、優れているものと劣っているものを格付けする思考が癖づいています。
例えば、アマゾンで買い物をするとき、複数の商品の価格やレビューを確認し、比較してから購入することが習慣になっていると思います。
人は、他より優れていると認識したものを手に入れることで、優越感を得ることができます(ネットショッピングの場合は、満足感・納得感といった爽快感)。
人は、優越感を得ることができると、脳からドーパミン(快楽物質)が分泌され、スッキリ感、充実感、満足感、達成感などの快楽を感じることができます。
つまり、比較して他より優れていると認識したものを手に入れることが、快楽を獲得することにつながるわけです。
一度使うと抜け出せなくなるという覚せい剤を使ったときの快楽は、ドーパミンを分泌させて作出されるものであることからも、ドーパミンの分泌により得られる快楽は依存性があるといえます。
比較するという思考は、ある意味、依存性のあるアクションであるといっても過言ではないかもしれません。
まとめ
以上のことから、
人は、比較せずにはいられない脳の作りになっており、比較で価値を認識する思考から脱却できない
のです。
補足
とはいうものの、今話したことは、無意識下が前提の話になります。
脳が比較で価値を認識する思考になっていることを自覚することで、俯瞰(ふかん)した思考(高い位置から見下ろした思考)ができるようになり、意思の力で、比較で価値を認識する思考から脱却できます。
思考停止して、本能の赴くままに、比較による価値の認識をするのではなく、時には、比較によらない価値の認識ができるように準備しておくことが大切です。