複数の研究によると、私たちの決定の90パーセントまでが感情に根差しているという。しかし、その決定を正当化するために理性を使う。つまり、私たちは、感情的に決めたことを理論的に正当化するわけだ。
引用元:カート・モーテンセン他1名『相手の心をつかんで離さない10の法則』ディスカバー・トゥエンティワン社
人は感情的に決めたことを理論的に正当化するという考え方が、仕事や私生活で役に立つと思ったので『相手の心つかんで離さない10の法則』という本の一文を紹介しました。
日常で人と接するときに、この考え方を意識しておくと、相手の隠れた意図や目的に気づけるようになると思います。
この考え方は、理屈を並べてくる相手に都合のいいように丸め込まれないようにするために必要な防具になると考えています。
人の意思決定において感情が先にくる理由
結論を先に言うと、人の意思決定において感情が先にくるのは、
①感情とは本能に基づく反応である、②人を行動させる動機の始点は本能である(理屈が行動の動機の始点になり得ない)→①+②から、意思決定において感情が先にくる
という理由からです。
この結論を掘り下げて話すと以下のようになります。
人を行動させる動機は、「快楽の追求」か「危険の回避」の二択に集約されます。
人の生存可能性を高めるために脳がこのような作りになっているためです。
脳には、快楽を求める反応を引き起こす側坐核(そくざかく)という部位があるため、人に快楽を追求する行動をとらせます。
同時に、脳には、偏桃体(へんとうたい)という危険を避けたいという反応を引き起こす部位があるため、人に危険を回避する行動をとらせます。
側坐核も偏桃体も脳の原始的な組織であり、人が生物学的に好ましい行動をとるように誘い込み(本能に基づいた行動をとるように誘い込み)、人の生存可能性を高める役割を果たしています。
ところで、「感情」の定義はご存じでしょうか。
感情の定義は、「快・不快を主とする意識のもっとも主観的な側面」です。
感情の定義の「快」は脳の反応でいう「快楽の追求」であり、「不快」は脳の反応でいう「危険の回避」が当てはまります。
何が言いたいかというと、感情とは、脳の原始的な反応(本能)であるいうことです。
つまり、感情とは本能に基づく反応であるということです。
これが結論の「①感情とは本能に基づく反応である」の部分の説明
食べたい、寝たい、生きたいなど、人が本能に突き動かされて行動していることは、不変の原則です。
人を行動させる動機の始点は本能なのです。
人を行動させる動機の始点が理屈になることはありません。
「ご飯は食べたいから食べる」のです。
「ご飯食を食べないと死ぬからご飯を食べる」は理屈上の行動の動機になりますが、これは、人が知性と理性と言葉を使って後付けで考えた行動の動機であり、真に行動の動機の始点になることはありません。
これが結論の「②人を行動させる動機の始点は本能である(理屈が行動の動機の始点になり得ない)」の部分の説明
このことから、繰り返しになりますが、人に意思決定において感情が先にくるのは、
①感情とは本能に基づく反応である、②人を行動させる動機の始点は本能である(理屈が行動の動機の始点にはなり得ない)→①+②から、意思決定において感情が先にくる
という理由からになります。
意思決定における理論は、相手を自分の意思決定どおりに動かすための後付けの理屈である
意思決定において、感情(快・不快を主とする意識)が先にくることが分かりました。
意思決定とは、自分自身の快・不快を軸として決定した事項であるといえます。
だから、自分がした意思決定は、自分に都合いいような決定になっています。
意思決定の源泉が、快楽の追求にあるにしても、危険を回避することにあるにしても、自分の都合いいような意思決定になっているので、意思決定の核となる自分の感情を相手に伝えるわけにはいきません。
意思決定の核となる自分の感情を相手に伝えれば、「何でお前の都合で私が動かなければならないのか」と反感を抱かれる可能性が高いですし、そもそも、自分の深層心理に当たる感情を相手に伝えることは恥ずかしさがあるのでほとんどの人が避けます。
以上のことから、人は、自分のした意思決定を相手に伝えるときは、もっともらしく、正当性のある理論や理屈を前面に押し出して相手に話すのです。
相手の話を聞くとき、表面上の理屈ではなく、その話が出される感情面を探る意識を持って相手の話を聞くとよいと思います。