収入の上昇に伴う幸福度の上昇は、頭打ちになる
私は、以前は、収入が多くなればなるほど、幸福度は上がっていくと思っていました。
収入が多ければ、ホテルのスイートルームに宿泊したり、一食2~3万円の食事ができたりします。
収入が多いほど、贅沢ができるので、幸福度は上がると予測するのが普通です。
しかし、科学的には違うようです。
アメリカの研究で、収入の上昇に伴う幸福度の上昇は、頭打ちになることが分かっています。
研究では、もうそれ以上は幸福感を味わえないという収入の閾値は、年間世帯所得ベースで約7万5000ドル(日本円にして、約750万円)という結果になっています。
これはなぜなのでしょうか?
収入の上昇に伴う幸福度の上昇が、頭打ちになる理由
収入の上昇に伴う幸福感の増え方は、平均してゼロになります。
収入の上昇による追加的な快楽は、感情経験を持続的に高めることができないからです。
つまり、収入が増え、贅沢な経験が日常化することで、日常の小さな楽しみを味わう能力が減ってしまうということです。
おしゃれなバーで高級ワインを飲むことに慣れてしまうと、家で飲む缶ビールに大した喜びを感じなくなります。
収入が少ないときの贅沢は、非日常的な経験であり、高い価値を感じます。
しかし、収入が増え、贅沢が当たり前になると、贅沢が日常化し、高い価値を感じることができなくなります。
これを心理学では、「馴化(じゅんか)」といいます。
「馴化」とは「慣れ」のことです。
「馴化」が起こることが原因で、人は、強い喜びを感じることができることでも、次第に、喜びを感じることができなくなっていくのです。
一度上げた水準は、下げることができない
日常生活をランクアップさせることで、苦痛でなかったはずのランクアップ前の生活が、苦痛に感じるようになります。
大きな新築の一軒家での生活を味わってしまったら、今まで住んでいた小さなアパートでの生活を苦痛に感じるようになります。
電車からタクシーを使う生活を始めたら、今まで普通に乗れていた電車が、苦痛で乗れなくなります。
所得がある水準を超えると、お金で買える楽しみは増える反面、安上がりなことに喜ぶ力を失い、場合によっては、苦痛を感じるようになってしまうのです。
金を持ったからといって、幸福感を感じることはできない
私が、これまでの人生の中で、一番うれしかった買い物は、中学生のときに初代プレイステーションを買ってもらったことです。
当時、プレステが欲しくて欲しくてたまらなかったのですが、親に買ってもらえませんでした。
3年間くらい、プレステを手に入れたときの喜びの妄想と、プレステを手に入れられない現実の絶望の間を行き来していました。
当時、稼ぎがない私が、自力でプレステを手に入れる手段は、懸賞しかないと考え、懸賞に応募しまくっていたことを覚えています。
(ちなみに、プレステは当たりませんでしたが、プレステのソフトが当たりました)
なんだかんだで3年間くらい懸賞生活を続けたところで、ついに親がクリスマスにプレステを買ってくれました。
めちゃめちゃ嬉しくて、心が躍りました。
その時の感情は、今でも思い出すことができます。
そして、今ふりかえると、プレステを手に入れた時の喜びが、私の人生の中で、もっとも物を買って喜びを感じた出来事になっています。
大人になってから、50万円のフランス旅行や、200万円の車など、プレステに比べれば、かなり高価な買い物をしましたが、2万円程度のプレステを手に入れたときほど、心が躍ることはありませんでした。
稼ぐことができるようになった今の私は、高価なものを手に入れても、昔ほど幸福を感じられなくなっています。
小さなことに喜びを感じる力を失っているのです。
このままでは、私は、収入が上がっても、幸福度は上がらない人生になるでしょう。
中学生のときにプレステを手に入れたときのような強烈な喜びを感じるためには、小さなことに喜びを感じる力を取り戻さなければなりません。
収入が上がれば、幸福を感じられる人生になるという考えは捨て去らなければなりません。
小さく、ささやかなことに対して、大きな喜びを感じられるように、喜びは、探して、気づいて、作っていかなければならないと思っています。