前回の記事の続きです。
名誉毀損罪・侮辱罪は親告罪である
名誉毀損罪(刑法230条)と侮辱罪(刑法231条)は親告罪であり、告訴がなければ公訴を提起できません(刑法232条1項)。
名誉毀損罪と侮辱罪が親告罪とされる理由、
- 被害者の意思を無視して訴追しなければならないほど、法益侵害の程度が大きいとは言えないこと
- 訴追されれば、さまざまの事情が法廷に持ち出されて、被害者の名誉を再度傷つけることもあり得ること
が挙げられます。
刑法232条2項の説明
刑法232条2項は、
告訴をすることができる者が天皇、皇后、太皇太后、皇太后又は皇嗣であるときは内閣総理大臣が、外国の君主又は大統領であるときはその国の代表者がそれぞれ代わって告訴を行う
と規定します。
刑法232条2項は、不敬罪(旧刑法74条・76条)と外国の元首使節に対する侮辱罪(旧刑法90条2項・91条2 項)が第2次大戦後に廃止され、名誉毀損罪と侮辱罪によって処理されることになったので、これらの場合の告訴について特則をおいたものです。
告訴権者
告訴をなし得るのは、原則として、被害者です(刑訴法230条)。
例えば、妻に対する名誉毀損は、直接に夫の名誉を害するものではないから、夫による告訴は効力を持ちません。
※ ただし、被害者である妻が夫を代理人にした上で、夫が告訴をすればその告訴は有効となります(刑法240条)。
この点を判示した以下の判例があります。
大審院判決(明治44年6月8日)
裁判官は、
- 妻の名誉を毀損したる行為に対し、夫が自己及びその一家の名誉を毀損したるものとなし、これが告訴をなすも、妻の名誉毀損に対する告訴の効力を生ずるものに非ず
と判示しました。
被害者が、法人その他の人の団体である場合には、その代表者が告訴を行います。
※ その他の告訴権者については、刑訴法231条、232条、233条、234条に規定があり、詳しくは前の記事で説明しています。
死者の名誉毀損罪の告訴権者
死者の名誉毀損罪(刑法230条2項)については、
死者の親族又は子孫
が告訴権者とされています(刑訴法233条1項)。
刑訴法233条1項の規定は、死者の名誉毀損罪の保護法益が何かの問題とは関係なしに、親族及び子孫に告訴権を認めたもので、この告訴権はこれらの者の固有権だと一般に理解されています。
一般の名誉毀損罪(刑法230条1項)についても、 これとの均衡上、告訴権者の範囲が拡張されており、
名誉を毀損した罪について被害者が告訴をしないで死亡したときも、死者の親族又は子孫は、告訴をすることができる
としています(刑訴233条2項)。
この規定は、侮辱罪には適用はありません。
告訴の効力
名誉毀損罪が侮辱罪と認定された場合の告訴の効力
名誉毀損罪に対する告訴は、その事実が名誉毀損罪を構成せず、侮辱罪を構成する場合には、侮辱罪に対する告訴として有効なものとされます。
この点を判示した以下の判例があります。
大審院判決(昭和10年4月8日)
裁判官は、
- 名誉毀損罪なりとの控訴ありたる場合、その事実が名誉毀損罪を構成するものに至らざるも侮辱罪を構成する場合には、右告訴は、該侮辱罪に対する告訴として効力を有するものとす
と判示ました。
大阪高裁判決(昭和30年3月25日)
裁判官は、
- 名誉毀損罪に対する告訴というものには、当然に同じく名誉権に対する侵害である侮辱罪の告も訴含まれていると解してよい
旨判示しました。
一部の被害者だけが告訴した場合の告訴の効力
観念的競合として数人に対する名誉毀損罪が同時に成立する場合、一部の被害者だけが告訴したときは、告訴をした被害者に対する名誉毀損罪についてのみ告訴は有効となります。
この点を判示した以下の判例があります。
名古屋高裁判決(昭和30年6月21日)
裁判官は、
- 親告罪である名誉毀損罪において、被害者の一部が告訴した場合、その告訴した被害者に対する犯罪についてのみ告訴が有効で、告訴をしない他の被害者に関係する部分にまで右告訴の効力は及ぼさないもので、このことは、右の犯罪が処断上一罪(科刑上一罪)と認められる場合も同一であると解すべきである
と判示しました。
告訴は、必ずしも被告訴人の氏名を指定する必要はない
親告罪における適法かつ有効な告訴の要件ついて述べた裁判例があります。
東京高裁判決(昭和28年2月21日)
告訴について、裁判官は、
- 必ずしも被告訴人の氏名を指定する必要はなく、また当該犯罪事実に関係のない者を誤って被告訴人として表示し、又は「告訴」と表示すべきところを誤って「告発」と表示したとしてもその為にその効力に影響を及ぼすものではない
と判示しました。
天皇・皇族及び外国の元首に関する特則(刑法232条2項)
① 天皇及び一定の皇族に関する特則
この特則が設けられた理由は、天皇の国民統合の象徴としての憲法上の特殊な地位に基づくとされます。
告訴は、犯人の処罰を求める意思表示であり、天皇が個人的立場から国民の処罰を求めるのは、その地位に適合しないというものです。
なので、内閣総理大臣が代わって告訴を行うというのも、天皇の個人的意思を前提としたものではなく、むしろ、「代わって」の文言は、天皇自身の告訴権を排除する意味が主であろうととされます。
内閣総理大臣は、純粋に公益的見地から告訴するか否かを決定することになり、実質的には、この告訴は告発に近い性質のものであるといえます。
皇后、太皇太后、皇太后、皇嗣についても同様に取り扱われるのは、天皇との関係の近さによるものです。
刑法232条2項には「告訴をすることができる者が天皇、皇后、太皇太后、皇太后又は皇嗣であるときは内閣総理大臣が告訴を行う」あり、この意味は、内閣総理大臣が告訴を行う場合は、天皇等が直接の被害者である場合に限られないことを意味します。
② 外国の元首に関する特則
この特則が設けられたのは、廃止された旧刑法90条の外国の元首使節に対する侮辱罪が「外国政府の請求を待ってその罪を論ず」と規定していたのを踏襲したものです。
刑法232条2項の「告訴をすることができる者が外国の君主又は大統領であるときは、その国の代表者がそれぞれ代わって告訴を行う」との規定における「君主又は大統領」は、元首と同義だと解されています。
告訴を行う「その国の代表者」とは、国際法上その国を代表し得る外交使節などを指し、本国政府自体でもよいとされます。
この外国の代表者が行う告訴は、外務大臣に対しても行うことができます(刑訴244条)。
また、この外国の代表者が行う告訴は、告訴期間の制限は適用されません(刑訴235条ただし書)。