傷害には病気・生理機能障害を含む(生理機能障害説)
傷害罪(刑法204条)の行為は、人を傷害することです。
傷害には、刃物による刺創のような典型的な「けが」のほか、中毒症状を起こさせて、嘔吐させるような「病変」も傷害罪における「傷害」に当たります。
傷害の考え方について、
- 「生理機能の障害、ないし健康状態の不良な変更」(生理機能障害説)
と解する立場と、
- 「身体の完全性の毀損」(完全性毀損説)
と解する立場が対立します。
結論として、判例は、生理機能障害説の考え方を採用しており、けがをさせることのほか、
- 健康不良を与える
- 病気に感染させる
- 性病に感染させる
- 疼痛(外傷はないが痛みが続く状態)を与える
- 不安及び仰うつ状態などの精神病にさせる
ことも傷害罪を成立させるという考え方をとっています。
傷害の意義について言及した最高裁判例
最高裁において、傷害の意義について言及したものとして、以下の判例があります。
この判例で、裁判官は、
- 刑法にいわゆる『傷害』とは、他人の健康状態の不良変更等生活機能に障害を与える場合を包含する人の身体の完全性を害するをいうのである
- されば、原判決が判示被害者の左耳殻後部右上肢前面及び左右上腿部に与えた治療約1週間を要する十数か所の擦過傷を目して『傷害』と解したのは正当である
と判示しました。
強姦致傷事件における治療約1週間を要する下口唇部口腔粘膜裂創などの傷害について、裁判官は、
- ほっておいても治る程度の傷であっても、それが全治するまでに約1週間を要するとすることは少しも矛盾するものではない
- 軽微な傷でも人の健康状態に不良の変更を加えたものである以上、刑法にいわゆる傷害と認むべきである
と判示しました。
この判例で、裁判官は、
- 傷害罪は他人の身体の生理的機能を毀損するものである以上、その手段が何であるかを問わないでのであり、本件のごとく暴行によらずに病毒を他人に感染させる場合にも成立する
- 性病を感染させる懸念あることを認識しながら、婦女に対して詐言を弄し、病毒を感染させた場合は、傷害罪が成立する
と判示し、傷害罪における「傷害」は、生理機能毀損説を基調とすることを明らかにしました。
この判例で、裁判官は、
- 刑法にいわゆる傷害とは、他人の身体に対する暴行により、その生活機能に障害を与えることであって、あまねく健康状態を不良に変更した場合を含むものと解する
- 他人の身体に対する暴行により、その胸部に疼痛を生ぜしめたときは、たとい、外見的に皮下溢血、腫脹又は肋骨骨折等の打撲痕は認められないにしても、傷害を負わせたものと認めるのが相当である
と判示し、傷害の意義を述べました。
福岡高裁宮崎支部判決(昭和62年6月23日)
この判例で、裁判官は、
- 刑法のいわゆる傷害とは、他人の身体に対する暴行により、その生活機能に障害を与えることであり、健康状態を不良に変更した場合も含むものと解するのが相当である
- 身体に対する暴行により、その腰部等に圧痛を生じせしめたときは、たとい、挫傷、皮下出血、腫脹などの他覚的所見がなくても、身体内部における機能に障害を与え、健康状態を不良に変更したものとして傷害を負わせたものと認めることができる
と判示しました。
名古屋地裁判決(平成6年1月18日)
この判例で、裁判官は、
- 傷害罪にいう傷害の結果とは、人の生理的機能を害することを含み、生理的機能とは精神機能を含む身体の機能全てをいうと解される
- Cに対し『不安及び仰うつ状態』という医学上承認された病名に当たる精神的・身体的症状を生じさせることが右の傷害の結果に当たることは明らかである
と判示しました。
上記各判例のとおり、傷害は、「生理機能の障害、ないし健康状態の不良な変更」と捉える生理機能障害説の考え方に基づくというのが正しい見方になっています。
髪の毛などの毛の切断と傷害罪・暴行罪の成否
判例は、傷害について、「生理機能の障害、ないし健康状態の不良な変更」と捉える生理機能障害説の考え方に基づく見方をしています。
ここで、髪の毛などの毛の切断行為が生理機能障害として、傷害罪を成立させるかどうかが問題になります。
この点についての判例の考え方は以下のとおりです。
陰毛を毛根から抜く行為について傷害罪の成立を認めた判例
この判例で、裁判官は、
- 人の毛髪の毛根部分は毛嚢に包まれて深く皮膚の真皮内に入り込み、下端の乳頭は膨大して毛球をなし内腔を有し、血管神経を容れている
- よって陰毛を毛根部分より引き抜くときは、この血管神経を破壊し表皮を損傷するから、身体における生理状態を不良に変更し、生活機能を毀損するものとして傷害となる
と判示し、陰毛を毛根から抜く行為について、傷害罪の成立を認めました。
カミソリで髪の毛、ひげを根元から切断する行為について傷害罪の成立を否定し、暴行罪の成立を認めた判例
大審院判決(明治45年6月20日)
この判例で、裁判官は、
- 刑法第204条の傷害罪は、他人の身体に対する暴行により、その生活機能の毀損を惹起することにより成立するものなれば、不法に人の毛髪、鬚髯を裁断し、若しくは剃去(ていきょ)する行為は、これをもって直ちに健康状態の不良変更を来したるものというを得ず
- 従って、同条のいわゆる傷害罪に該当せず
- 人の毛髪、鬚髯を裁断、若しくは剃去する行為は、人の身体の一部に対する不法侵害たる暴行にして、ただ傷害の結果を生ぜじめざるに過ぎざるをもって、刑法第208条の暴行罪をもってこれを処罰すべきものとす
と判示し、カミソリで髪の毛、ひげを根元から切断する行為について、傷害罪は成立せず、暴行罪が成立するとしました。
女性の頭髪を切除して丸坊主にした行為について、傷害罪の成立を認めた判例
東京地裁判決(昭和38年3月23日)
この判例で、裁判官は、
- 被告人が、本件被害者の頭髪を切除、裁断したことをもって刑法204条にいう傷害にあたるかどうかについて考えるに、同条にいう傷害とは、人の生活機能を障害すること、すなわち、人の健康状態を不良に変更する場合のほか、人の身体の完全性を侵害する場合をもこれに含まれるものと解すべきところ、頭髪は、人体の中枢をなす頭脳を外力から防護する生活機能をもっているほか、これにより身体の完全性が保持されているものということができる
- ここに身体の完全性を侵害する場合というのは、わが国古来の風俗、習慣、性別による観念の差異等社会観念と刑罰法令とを総合的に考察して決すべき価値概念であるが、女性の頭髪は、前記のごとき生活機能をもつほか、女性の社会生活上重要な要素を占めている女性の容姿にとって、まさに生命ともいうべきものとして、古くから大切に扱われてきているところであって、本件のように女性を虐待し、その自由意思によらないで頭髪の全部を根本からしかも不整形に切除、裁断するような行為は、刑法208条の単純暴行の罪に止まるものではなく、進んで刑法204条の傷害の罪にあたるものと解すべきである
と判示し、女性を虐待し、その自由意思によらないで頭髪の全部を根本からしかも不整形に切除・裁断するような行為について、傷害罪の成立を認めました。
この判例は、「生活機能」の面を全く度外視した判例ではないことに留意すべきとされています。
現在の判例の考え方は、生理機能障害説を採用しているので、現在の裁判では、髪を切る行為は生理機能を傷害していないとして、傷害罪は成立せず、暴行罪が成立するにとどまるという結論になると考えられます。