刑法(傷害罪)

傷害罪(17) ~傷害罪における違法性阻却⑧「警察官の違法な職務執行に対する傷害罪の成否」を判例で解説~

 前回の記事では、傷害罪において違法性阻却事由となりうる「けんかと正当防衛」などについて説明しました。

 今回の記事では、傷害罪の違法性阻却が議論される事案として、「警察官の違法な職務執行に対する傷害罪の成否」について説明します。

警察官の違法な職務行為に対する傷害罪の成否

 警察官が職務質問などの警察活動を行う際、警察官が相手の抵抗にあって負傷する場合があります。

 この場合、通常は、公務執行妨害罪(刑法95条)と傷害罪(刑法204条)の二罪が成立することになります。

 問題になるのは、警察官の職務執行行為が違法であった場合です。

 違法な職務執行行為を行ってきた警察官に対し、暴行を振って警察官にけがをさせた場合に、警察官に暴行を振るった者の傷害行為が正当行為(刑法35条)として違法性が阻却され、傷害罪が成立しないことになるかどうかが問題になります。

 警察官の実力行使が違法であって、相手方に対する急迫不正の侵害と評価できる程度のものに至った場合に、これに対する防衛行為としてなされたものについて、正当防衛過剰防衛の成立が検討されることとなるのは、一般人の間の場合と変わるところはありません。

 この点について、参考となる判例として、以下の判例があります。

大阪高裁判決(昭和28年2月6日)

 警察官の情報収集活動は、その責務に属するものであるところ、情報収集を行おうとした警察官に対し、違法な警察官の職務執行行為だと抗議して傷害を加えた事案で、行為の正当性は容認し得ず、刑法35条による違法性の阻却はされないとしました。

大阪地裁判決(昭和33年1月14日)

 この判例は、警察官が職務質問のため、強いて交番に連行しようとした措置を違法行為と認め、交番に連行しようとした者が行った警察官に対する反撃行為を正当防衛と認め、公務執行妨害罪は成立しないとしました事例です。

 事案は、被告人が道路上において通行人と口論をなしていたところ、警察官がこれを発見し、この時、被告人らが今にも喧嘩を始めかねない情勢にあった上、同所周辺には数十人の見物人が集まっており、この場で被告人らにその事情につき質問することが交通の妨害になると認められたので、警察官が被告人らに最寄りの交番に同行するよう求めたところ、被告人がこれに憤慨し、警察官に対し、矢庭に手拳で口部を殴打し、更に足払い背負投げでその場に転倒させるなどの暴行を加え、もって警察官の前記公務の執行を妨害し、前記暴行により警察官に治療約6日を要する肘の擦過症、あごの打撲症などの傷害を負わせたというものです。

 まず、被告人の弁護人は、

  • 警察官の職務質問につき、警察官職務執行法第2条第3項の規定に反し、強制的に被告人を連行しようとしたもので違法行為をしたので、適法な職務執行とはいえないから、公務執行妨害罪は成立せず、また本件傷害行為は、これに対し自己を防衛するため反撃を加えて与えた結果であるから、正当防衛行為として罪とならないものである

と主張しました。

 この主張に対し、裁判官は、

  • 警察官が、その場で職務質問することが交通の妨害になると認めて交番に行こうと言って、被告人の左手首を左手で、二の腕を右手でつかんで付近の派出所に連行しようとしたのに対し、被告人は、「何をするか」と言って、警察官の口部を殴打し、更に警察官が被告人が交番に行く必要がないというのに、右同被告人の左手首と腕を両手で持って派出所に連行すべく5、6歩行ったところ、被告人はこれを振り放さんとして暴れたため、警察官をその場に転倒させて傷害を負わせたことが認められる
  • 右認定事実に基き、警察官の所為が適法な職務執行であるかどうかについて検討すると、警察官としては個人の生命、身体、財産の保護、犯罪の予防公安の維持等の職権職務を有するのであるが、その権限行使の方法については刑事訴訟法に基くほか、警察官職務執行法に基いてなされることを要するのであって、右の如き状況で被告人の肩に手をかけ、「どうしたのだ」と尋ね又は「早く帰れよ」ということは適法な職務執行であるが、その際、被告人よりその手を払いのけられたからといっていきなり被告人の腕を両手でとらえて、派出所に強制的に連行しようとするのは明らかに行き過ぎの違法の行為であり、同法2条第3項に違反するものである
  • それをされてから更に同様の方法で派出に連行すべく腕をとらえて5、6歩行ったというのであるから、その所為は適法な職務執行とはいえず、これに対する行は、公務執行妨害罪が成立せず、警察官の所為は急迫の違法な行為であって、これに対し、防御上、必要妥当な範囲の反撃は正当防衛として許されるものでなければならないのである
  • なお、警察官職務執行法は、警察官が機に臨み、全然いかなる程度の実力行使を許さないものとしたものとは解せられず、殊に同法第5条において、犯罪がまさに行われようとする場合に制止することができると規定しているのであるが、本件の場合は、右の制止の措置とも解せられないし(急を要する場合、制止するため、腕をとって引き放す程度の実力行使は職務行為であるといえる)、同法第3条の保護をしたわけでもなく、その他刑事訴訟法に基く権限を行使したものとも解せられない
  • 次に、本件傷害行為が正当防衛行為といえるかについて検討すると、当初、口辺を殴打したのも、更に転倒させた結果傷害を負わせたのも、いずれも警察官が被告人の腕を両手でとらえているのを振り放さんと自己を防衛するため止むを得ずに出た結果とみられ、公訴事実記載の如く背負投げで転倒させたとは認められなから、その防衛の程度を超えたものとも認められず、弁護人主張の如く正当防衛行為として罪とならないから、結局、本件公務執行妨害傷害罪につき刑事訴訟法第336条により無罪の言渡をする

と判示しました。

大阪地裁判決(昭和43年9月20日)

 この判例は、職務質問を違法を理由に、公務執行妨害罪と傷害罪は成立しないとして無罪を言い渡した事例です。

 この裁判の公訴事実は、

  • 被告人は、路上において犯罪捜査のため警ら中の警察官から挙動不審者として職務質問を受け、もよりの派出所まで同行を求められるや、突如その場を逃走し、警察官がこれを追跡し、約150メートル離れた路上で追いつき、さらに職務質問しようとして近寄った途端、矢庭に警察官の睾丸付近を足蹴りにし、その両腕をつかんで組みつく等の暴行を加え、もって警察官の右職務の執行を妨害するとともに、警察官に対し、全治約3日間を要する右拇指表皮剥離症、会陰挫傷の傷害を与えた

というものです。

 裁判官は、

  • 警察官の職務執行の適否について考えるに、警察官職務執行法2条1、2項は、強制力による停止もしくは同行を認める趣旨でないことはいうまでもない
  • なお、同条2項によれば、派出所ヘ同行することを求めることができるのは、その場で質問することが本人に対して不利であり、又は交通の妨害となると認められる場合に限られている
  • 本件において、警察官が被告人に対し同行を求めた時刻は夏の早朝であり、かつ、その場所には通行人もほとんどなかったことが認められるから右要件に欠ける
  • もっとも、被告人は警察官から同行を求められたのに対し、明示の拒絶はしなかったが、もとよりこれを承諾したものではなく、またこの承諾はいつでも撤回できるものである
  • したがって、被告人が逃げ出したのに対し「止まらなければ逮捕する」とか「逃げると撃つぞ」などと威嚇しながら約150メートルも追尾し、もって一種の強制力を行使して停止させようとし、かつ、追いつめられて立ち止まっていた被告人の肩に手をかけた警察官の行為は、前掲法条に基く警察官の職務行為としては著しくその範囲を逸脱しており、違法な職務行為といわなければならないから、これに対し被告人が前記認定のような暴行を加えても公務執行妨害罪の成立する余地はない
  • そして、被告人は自己に対するこのような現在する違法な職務執行に対し自己の身体、自由を防衛するため前記認定の行為に出たものと認められ、その程度方法も必要にして相当な範囲を超えたものとは認められないから、被告人の右行為は正当防衛行為として傷害罪も成立しない

と判示し、被告人に無罪を言い渡しました。

東京簡裁判決(昭和49年9月20日)

 この判例は、積載重量違反の疑いで停止を命じられた場所から一旦逃走後、再停止させられた車両の運転者に対し、職務質問のため、その両腕をつかんで車外に引きおろそうとした警察官の行為は違法であり、これに対し自らの上半身を2回くらい振り動かして警察官の手指に負傷させた行為は正当防衛にあたるとした事例です。

 裁判官は、

  • 警察官が、その両手で被告人の両腕をつかみ、車両の交通ひんぱんな道路上の中央線近くに停止しているその自動車から、その意思に反して、無理矢理に、被告人を車外に引きおろそうとした行為は、その当時における具体的状況を客観的に観察し、また、問題となっている容疑事実の内容とその危険性の度合い、右実力行使の態様、程度その必要性の有無、このような行為によつて、保護されなければならないとされる国家的利益と現実に侵害される個人的法益との実質的な権衡を考え、かつ、警察官が、警察法に定めるその職責を忠実に遂行するために、必要な手段を定めることを目的として制定された警職法が、戦前の行政執行法、行政警察規則とは異なり、職務質問その他の警察権行使の要件方法およびその限界を厳重に規定していることに思いをいたすと、それが、単にその種の事犯に対する取締りについての上司の指導にそわないものがあるとか、あるいは、その職務執行の方法が多少適切を欠いたとかいうだけでなく、すでに警察官の適法な職務執行行為としての域を越え、社会的にもその妥当性ないし要保護性を肯定し難いものとみるのほかはない
  • また、本件における具体的状況に徴し、職務質問を実効的なものとするための不随的な実力行使として許容しなければならないほどの緊急性も認められない
  • そうだとすると、公務員のこの違法な行為による権利を侵害されようとした被告人が、防衛のために、その上半身を2回くらいふり動かした行為が、公務執行妨害罪の構成要件に該当するものでないことはもちろん、その程度の行為は、それ自体、正当防衛行為として、暴行罪についての違法性も阻却されるものと解せざるを得ないから、その結果、たまたま、被告人の右腕をつかんでいた警察官の左手指が車体の枠にぶつかり、判示のような傷を負ったからといって、これを過剰防衛行為として、傷害罪に問擬(もんぎ)することはできない
  • なぜならば、傷害罪が、暴行(有形力の行使)の結果的加重犯であるにしても、それは、あくまでも、人の身体に対する「不法な」有形力の行使が前提であり、したがって、右のように違法性の認められない有形力の行使によって相手方に傷害の結果を与えたとしても、これに結果的加重犯理論を適用する余地はないからである

と判示し、公務執行妨害罪と傷害罪は成立しないとして、被告人に無罪を言い渡しました。

東京地裁判決(昭和42年1月30日)

 この判例は、警察官の行為が任意捜査の限界を超えた違法なものであるとし、これに対し警察官に傷害を与えた行為につき、過剰防衛の成立を認めた事例です。

 この裁判の公訴事実は、

  • 被告人は、駅地下道内に、Sほか2名とともに4名でたむろしていた際、警察官から、その直前ころ被告人らが前記地下道内の便所で氏名不詳の男に暴行等をした事件につき、職務質問のため派出所警察官詰所まで同行を求められるや、これを拒否して右質問を免れるべく、前記Sと共同して、警察官を取りかこみ、その警棒をもぎ取り、手拳で同巡査の顔面等をつづけざまに殴打するなどの暴行を加えて警察官の職務の執行を妨害し、右暴行により警察官に全治まで約2週間を要する右眼窩挫傷を負わせた

という公務執行妨害罪、傷害罪の事実です。

 裁判官は、警察官の公務の執行の適法性判断について

  • 警察官が、通行人の通報とKを職務質問した結果、S、被告人、Y、Tの4名のうちに、便所内で氏名不詳の男を殴打した少なくとも暴行罪を犯したと疑うに足る相当の理由ある者、若しくは右犯罪について知っていると認められる者がいると判断したことは、十分首肯しうるところであり、警察官職務執行法第2条第1項の場合に該当し、被告人ら4名に対する職務質問は適法に開始されたものということができる
  • 次に、警察官は、被告人ら4名を前示待機所へ同行しようとしているが、同法第2条第2項に規定する「その場で」「質問することが本人に対して不利であり、又は交通の妨害になると認められる場合」であったかどうか。単に「地下鉄駅構内であったこと」「公衆の目に触れる場所であること」をもって、ただちに、本人に対して不利であったとはいえないと考えられるし、地下鉄駅改札口付近から地上へ通ずる地下道通路の中間の広場の片隅で、時刻はすでに通勤客の殺到する混雑時を過ぎているのであるから、一概に交通の妨害になるともいえないと考えられる
  • しかし、警察官1人が男4名と、声高に質問し応答する状況は、衆人の関心を集めることは容易に想像しうるところであり、人だかりが、ひいては改札口から通路へ通ずる歩行者や、付近の地下鉄事務所や便所、交通警察官詰所への出入をさまたげることになると認められるのであって、本件の場合、警察官が交通の妨害になると認めたとしても、これを違法とまではいいえないと考える
  • そこで、さらに警察官が、被告人やSらに対し、同行を求めるのに、言語によるほか、直接手を相手の着衣肘付近等に触れた点を検討するに、それが、同行を承諾させる手段として「来てくれ」という発言と同時に行われていた限り、挙動による意思表示と解されるのであり、被告人らが警察官の手を振り切ったことも、同様、挙動により同行を拒否する意思表示にすぎないのであって、これを目して警察官と被告人ら相互に相手の身体にむけられた有形力の行使であると一応観念されるとしても、何ら違法性を帯びるものとは考えられない
  • しかしながら、警察官がSの背広の肘付近や左脇腹付近を強く握り、「来い」と言って同行しようとし、Sは拒否して振り切ろうとしたために、両者は揉み合うようになり、Sの背広の背部ミシン縫合部分が約29センチにわたってほころびるに至った段階では、もはや、単に同行を承諾させる手段として行われた挙動による意思表示の域を超え、その意に反してでも連行しようとする意思に基づく身体に向けられた有形力の行使と解するほかなく、違法性を帯びるものといわなければならない
  • 右背広のほころびを検討してみると、ミシンにより通常の縫合状態にあったことは明らかであり、Sは、ほころびる以前にも少なくとも2回は警察官の手を振り切ったのであって、そのときには、なんらほころびが生じたと認める証拠はなく、Sが警察官の加えた力に応じた力をふるってこれを振り切ろうとし、両者の力が合さって、ほころびが生じたとみとめられるので、警察官がSの着衣をつかむ強さは、以前のように触れた程度と異なり飛躍的に大きいものであったと認めるに十分である
  • 同法第2条第3項は「刑事訴訟に関する法律の規定によらない限り、身柄を拘束され、又はその意に反して警察署、派出所又は駐在所に連行され、若しくは答弁を強要されることはない」と職務質問をうける者の自由を保障する規定をおいているのであるから、警察官のSに対する行為は、右法条に違反する違法なものといわなければならない
  • 同法の規定から法の予想する質問のための任意同行の形態は、同法第2条第1項が「停止させて」との文言を用い同第2項が「同行することを求める」との文言を使用している相違から考えても、警察官と質問される者との間で、いやしくも停止させる場合に許容される程度の実力の行使すら許容されないのであって、あくまでも言語と動作による説得により、警察官と共に派出所等へ赴くことの承諾を要件としているものである
  • 警察官が同行をしようとした待機所への距離は、約30メートルであるから、Sの着衣に触れて同行を求める限度まで手段を尽してみても、所詮Sが同行を承諾しなかった以上、さらに着衣を強く握りつかみ合う行動は、もはや違法な有形力の行使による連行に着手したものといわざるをえないのである
  • ことのはじめにおいて、警察官が他の警察官に連絡をとることもせず、ただひとり制服と警棒、拳銃の実力的背景をもって数名の暴力事犯の現場へ急行して職務質問に当り、被告人らも4名の数をたのみお互いにかばい合いの心情から、事実をことさらいんぺいしようとするあやまった態度に終始した結果、押問答から、感情の激するまま両者が実力に訴える不幸な経過をたどったものと考えられる
  • なお、本件の場合、警察官において、職務質問による任意捜査の域を超え、直ちに刑事訴訟法上の現行犯人逮捕もしくは緊急逮捕に着手しうるだけの要件を充足していたかどうかを考えるに、警察官において、そもそも被害者が全く行方不明であり、被害の日時、場所は判明したとしても、その動機、原因及び内容は明らかでなかったこと、被疑者は、被告人ら4名のうち少くとも1名以上であるという程度の認識があったに過ぎず、実際実行者はSでなく被告人であると一応認められるのであるから、当時、警察官はむしろSを被疑者に間違いないと誤認していたこと、結局、被疑事実は暴行罪か傷害罪か、あるは暴力行為等処罰に関する法律違反かが明らかとはいえなかったこと、刑事訴訟法第212条第2項各号の要件にあたる事実は認められなかったこと等の各事実に照らすと、とうてい、右刑事訴訟法上の逮捕を許容する要件は不存在であったといわねばならない
  • 警察官は、現に、逮捕に踏み切るだけの資料を、直接被告人らから質問により引き出そうとし、そのため待機所ヘの同行を考えたのであるが、いやしくも任意捜査の範囲を逸脱しないよう細心の注意心を払い、被告人らが同行に応じない以上、その場で氏名、住所、職業の確認などから始めて被疑事実に関する具体的な質問を加え、さらには同僚警察官の応援を求めて質問を続けるなどの措置をとるベきで、Sが「T班長を呼んで来い」といったことからも、被告人らが直ちに逃走する気配を示していたものとは認められず、かりに、万一4名が一斉に逃走を図り、そのうちの1名すら停止させえなかったとしても、その場で、現行犯人逮捕もしくは緊急逮捕に着手することのできない以上、警察官がなんら非難をこうむる余地はなかつたはずである
  • 右の説明で明らかなとおり、警察官のSに対する行為は、もはや警察官職務執行法第2条第2項にいう「同行することを求める」範囲を超え、「意に反して連行」に着手したものといわざるをえないので、違法であり、これに対し、Sと被告人が共同で、連行を免れようとして、警察官に判示のような暴行を加えたからといって、これを公務執行妨害罪により処罰すべきものということはできない
  • しかし、Sと被告人が警察官に加えた共同暴行により傷害を負わせた行為は、警察官の違法な職務の執行を排除するため、やむをえない程度をその手段方法において著しく超えたものと認められるので、いわゆる過剰防衛行為と認定したものである

と判示しました。

大分地裁判決(昭和44年10月24日)

 この判例は、職務質問の限度を逸脱し、任意同行が実質上の逮捕に該当するとして、その後に行なわれた緊急逮捕が違法であることを理由に公務執行妨害罪、傷害罪を無罪とした事例です。

 公訴事実は、

  • 被告人は、B警察署警察官派出所において、B警察署勤務の警察官により窃盗容疑に基いて緊急逮捕された際、水を飲もうと立ち上がったので、警察官が逃走危険防止のため、これを制止したところ、その態度が気に入らないと憤激し、やにわに警察官の右顔面を右手拳で2回殴打し、さらに警察官の右手首を1回足蹴りにするなどの暴行を加え、もって警察官の職務の執行を妨害し、その際、警察官に対し、加療約10日間を要する顔面打撲、右前部捻挫の傷害を負わせた

という公務執行妨害罪、傷害罪の事実です。

 裁判官は、

  • 警察の使命は、警察法1条に明記するように、国民の生命身体、および財産の保護に任じ、犯罪の捜査、被疑者の逮捕、および公安の維持を図るのをその責務とし、その責務を全うするため、警察官および警察吏員(警察官と総称する)の行為規範として、警察官が警察法に規定する職権職務を忠実に遂行するため必要な手段を定めることを目的とする警察官職務執行法が制定されている
  • したがって、その解釈運用にあたっては、その法意に鑑み、合目的であり、かつ社会通念に照し、もっとも合理的におこなわれなければならず、その法意を逸脱して濫用にわたるようなことがあってはならないと同時に、徒らに個人の基本的人権と公共の福祉に対する理解と確信のとぼしさ等から、法律の意図する職務の忠実なる執行を忽せにするようなことがあってはならない
  • もとより、憲法の保障する個人の基本的人権は、あくまでこれを尊重すべきであるから、警察官といえども職務執行に名をかり、個人の人権を侵すがようなことがあってはならないので、その職務執行に当たっては、刑事訴訟に関する規定によらない限り、身体の拘束、同行、または答弁の強要をなすことが出来ないことは、警察官職務執行法2条3項の規定によって極めて明白である
  • したがって警察官が同執行法2条により職務質問をなす場合には、叙上の観点から公共の福祉と個人の人権保障との調和を図り、警察法に規定された職責を忠実に遂行するために必要な限度においては、強制にわたらない程度において、相手方を停止、同行して質問することができるものと解する
  • もし相手方が警察官の右行為を峻拒し応じなかったとしても、具体的場合に即応し、警察官としての良識と英知を傾け、臨機適宜の方法により、あるいは注意を与え、あるいは翻意せしめて本来の職責を忠実に遂行するための努力を払うのが、むしろ警察官の職務であるといわなければならない
  • そこで、これを前記認定のような本件の場合について勘案するとき、H、A巡査が警察官としての職務を帯びて警ら中に、前記認定のような日時場所において、被告人の行動を現認した以上、警察官として当然に何らかの犯罪を犯し、もしくは犯そうとしているものではないか、との推定の下に職務上必要と認めて疑いの有無を明確にするため職務質問をなしうるということ、その場を逃走した被告人を追跡し、被告人に派出所等までの任意同行を求めうるということはもちろんである
  • かかる場合、警察官としては、故なく逃走した被告人を強制にわたらないようにして派出所等まで同行するよう警察官としての英知を傾け、臨機適切なる方法によるべく必要な努力を払い、その職責を忠実に遂行する責務があると解すベきなのに、両巡査は前叙のような努力を尽すことなく、安易で強制力のある方法をもって、同巡査等が逃走した被告人に追いついたアパートから約100メートル離れた警察官派出所までの距離をH、A巡査が前記認定のように被告人の手首(あるいは両腕)を握って、同人に対し、強制、または強制的と認められる実力行使に出ている以上、両巡査の右の行為は両巡査から同行を求められる被告人の意思如何にかからず警察官派出所まで連行せられたものであって、そのため、被告人は両巡査の右行為により身体の自由が束縛せられた状態に陥っており、右状態はまさに逮捕行為に該当するものである
  • したがって、刑訴法の規定にはない右逮捕に引き続く取調べは、適法な職務行為の範囲を逸脱し違法であるから、違法な職務行為を公務の執行と解することはできない(仮りに同巡査が適法な職務行為と理解しても、刑訴法の規定から明白にして一般の見解上公務の執行と認められないときは職務の執行と信じてなしたとしても適法な職務行為とは認められない)
  • 仮りに、公訴事実の記載のように、その後約50分を経過した後に至って、H巡査等により被告人が窃盗容疑に基いて緊急逮捕されたとしても、その緊急逮捕行為により被告人に対する前記違法な逮捕行為が適法となるものでないばかりか、その後におこなわれたところの緊急逮捕行為も、これまた違法なものであって、右行為を適法な緊急逮捕に基く職務行為と解することもできない
  • 前記認定のような違法な職務行為に対しては、その相手方が正当防衛行為をなしうることは当然であって、右の場合、被告人の身体自由に対する急迫不正な侵害があったのであるから、違法な職務行為者に対し、前記認定のような状況下において被告人が暴行を加えても、これを正当防衛と解することができ、公務執行妨害罪が成立するいわれはなく、被告人と格闘中のH巡査が負傷したと認められる被告人の暴行にも、前記認定の程度の傷害である以上、前叙と同じ理由により正当防衛行為と解することができる
  • したがって、公務執行妨害、傷害の各罪は成立しないので、刑事訴訟法336条により本件公訴事実については、被告人は無罪の言い渡しをする

と判示しました。

次回記事に続く

 次回記事では、傷害罪における自救行為による違法性阻却について書きます。