刑法(傷害罪)

傷害罪(32) ~「胎児に対する傷害」「薬物、化学物質を使った胎児への傷害」「胎児の傷害に関する判例」を判例で解説~

胎児に対する傷害

胎児は産門から一部露出した時に傷害罪の客体になる(一部露出説が通説)

 人の始期は、出生です。

 刑法上、出生前は「胎児」として「人」とは区別されます。

 分娩作用が相当の時間的経過を経て完成するものであることから、出生の時期、すなわち「胎児」と「人」とを画する時期については、陣痛説(分娩開始説)、一部露出説、頭部露出説、全部露出説、独立呼吸説の各説があります。

 刑法上は、『一部露出説』が通説・判例の考え方になっています。

 この考え方は、

  • 傷害罪や殺人罪などが、人の生命・身体に対する不法な侵害である以上、そのような不法な侵害を受けることができる状態に達すれば、これらの罪の客体として保護する必要がある
  • したがって、胎児が一部でも母体外に現れれば、その時点で、母体とは独立に、その生命・身体を攻撃することができるのであるから、この時期をもって、「人」の始期と捉えるべきである

という考え方に基づきます。

 傷害罪、殺人罪などの客体たる「人」になる時期について、『一部露出説』とることを明らかにした判例として、以下のものがあります。

大審院判決(大正8年12月13日)

 この判例で、裁判官は、

  • 胎児が未だ母体より全然分離して呼吸作用を始めるに至らざるも、既に母体よりその一部を露出したる以上、母体に関係なく外部よりこれに死亡を来すべき侵害を加えるを得べきが故に、殺人罪の客体となり得べき人なりというを妨げず

と判示し、産門から一部露出した胎児の面部を強圧した行為を殺人行為の一部と認めました。

 なお、この判例は、胎児が母親の産門から頭頂部を露出し、まさに出産しようとする際に、両手を産門に挿入し、胎児の鼻口を圧迫し、胎児を死に至らせ、胎児の頭部をつかんで引き出した事実に対し、殺人罪を適用せず、堕胎罪を認めた事例になります。

薬物、化学物質を使った胎児への傷害

 胎児を、 ストレートに「人」として傷害罪の客体と認めることは、一般の法感情にそぐわないばかりでなく、胎児のまま、その生命を終了させ流産・死産させることが殺人罪とは認められず、堕胎罪となることとの著しい不均衡を生ずるもので、妥当とはいえません。

 特に、堕胎の罪中、胎児の生命・身体の安全のみを保護する自己堕胎罪の法定刑が1年以下の懲役であって、殺人・傷害の罪に比して著しく軽いこと、不同意堕胎の場合を除き、胎児の生命を奪う意図でこれが未遂に終わった場合が不可罰であることを見れば、不合理が明らかです。

 したがって、胎児に対する傷害罪は認められないとする考え方が根強いです。

 しかし、故意であれ過失であれ、胎児の時期に不法な攻撃を加え、これによって出生した「人」がいわれなき障害を負い、時には出生後死に至るのに、不法な攻撃が加えられたのが、未だ「胎児」の間であったとの一事によって、このような攻撃が不可罰であり、ひいては、被害者たる「胎児性」の障害を受けた「人」が救済も受け得ないとするのも、 また、釈然としないものを残します。

 例えば、胎児が心身に障害を負った状態で産まれたときは、その障害を受けていることが確認された時点で、胎児である間に、母体をいわば道具として被った薬物、化学物質等に基づく加害行為の結果である傷害が、その時点で客観的に明白になったという意味で、『人の傷害』という結果が発生したものと解することは、解釈論として可能です。

 この点について、傷害罪ではありませんが、業務上過失致死罪を認定した以下の判例があります。

最高裁判決(昭和63年2月29日)

 最高裁は、胎児性水俣病による死亡につき、業務上過失致死罪の成立を認め、その理由として、

  • 現行刑法上、胎児は、堕胎の罪において独立の行為客体として特別に規定されている場合を除き、母体の一部を構成するものと取り扱われていると解されるから、業務上過失致死罪の成否を論ずるにあたっては、胎児に病変を発生させることは、人である母体の一部に対するものとして、人に病変を発生させるととにほかならない
  • そして、胎児が出生し、人となった後、右病変に起因して死亡するに至った場合は、結局、人に病変を発生させて人に死の結果をもたらしたことに帰するから、病変の発生時において客体が人であることを要するとの立場を採ると否とにかかわらず、同罪が成立するものと解するのが相当である

旨判示しました。

 この決定の考え方は、胎児の地位につき、素朴な常識に合致し、しかも、現行法の枠内において、母体が傷つけられることなく胎児だけが傷つけられるという近時の新たな状況に対しても、一定の範囲で無理なく対応できるものとして妥当な結論を得ようとしたものとして評価されています。

 とはいえ、この判例は、特殊で希有な事例であり、また過失犯に関する事例でもあるので、故意犯たる傷害罪の場合(胎児のみを傷つけるとの犯意のあった場合)に、このような客体の抽象化が可能であるかはなお疑問があり、胎児性傷害罪の成否については、更に今後の検討が必要であるとされています。

胎児の傷害に関する判例

 上記判例のほか、胎児の傷害に関する参考となる判例を紹介します。

秋田地裁判決(昭和54年3月29日)

 この判例は、被衝突車両に乗車していた妊娠中の女性が、衝突の際の衝撃により、その約1週間後に重症仮死状態の女児を早産し、分娩後約36時間半で同児が死亡した事案において、分娩児に対する業務上過失致死罪の成立が否定された事例です。

 裁判官は、

  • 従来、生命、身体に対する侵害犯の客体として「人」の始期は出生であり、出生の時期は刑法では胎児の身体の一部が母体から露出した時とするのが一般であり、早産のため発育不良で将来成長の希望のない嬰児でも、また仮死状態で呼吸作用を開始しなくとも「人」であるとも言われている
  • これは生命、身体に対する直接の加害行為は一部露出の段階でも可能であり、将来成長の見込がなく、また単に仮死状態でも死と判定されない限り、これに対する加害行為は処罰に値するからである
  • しかし、胎児に過って傷害を与えたが、母体から一部露出した後には何らの加害行為が存在しないときに、従来の「人」の概念を直ちに前記見解にあてはめ、その後の結果について責任を問うのであれば問題を生ずる余地があると思われる
  • 少なくとも、前認定の本件分娩の経緯、分娩児の容態をみるならば、堕胎罪(これは自然の分娩期に先立って胎児を人為的に母体外に排出する行為で、その結果が死産であるか生産であるかを問わない。)との関連、特にこの過失犯が処罰されないことと対比すると、本件事案のもとで従来の「人」の概念を前記見解にあてはめ業務上過失致死罪の責任を問うのは、その構成要件を不当に拡大解釈するもので、罪刑法定主義見地からも許されないと考える
  • すなわち、一部露出の段階を経て、医学的には生産児の分娩と判定されても、胎児の際の過失により加害され、生活機能の重要な部分が損なわれ、自然の分娩期より著しく早く母体外に排出され(早産)、生活能力もなく、自然の成り行きとして出産後短時間で死に至ることが予測され、実際どんな医療を施しても生活能力を具備できず医学的にも死の結果を生じた本件事案のような場合には、刑法上右分娩児は「人」となったとは言えず、胎児の延長上にあり、胎児又は死産児に準じて評価するのが相当である

と判示し、胎児に対する業務上過失致死罪の成立を否定しました。

岐阜地裁判決(平成14年12月17日)

 この判例では、胎児に傷害を負わせたのを、胎児も母体の一部として業務上過失傷害罪の成立を認めました。

最高裁決定(昭和63年1月19日)

 妊婦の依頼を受け、妊娠第26週に入った胎児の堕胎を行った産婦人科医師が、堕胎により出生した未熟児に適切な医療を受けさせれば生育する可能性のあることを認識し、かつ、そのための措置をとることが迅速容易にできたにもかかわらず、同児を自己の医院内に放置して約54時間後に死亡するに至らせたときは、業務上堕胎罪に併せて保護者遺棄致死罪が成立するとしました。

 裁判官は、

  • 保護者遺棄致死の点につき職権により検討すると、原判決是認する第一審判決の認定によれば、被告人は、産婦人科医師として、妊婦の依頼を受け、自ら開業する医院で妊娠第26週に入った胎児の堕胎を行ったものであるところ、右堕胎により出生した未熟児(推定体重1000グラム弱)に保育器等の未熟児医療設備の整った病院の医療を受けさせれば、同児が短期間内に死亡することはなく、むしろ生育する可能性のあることを認識し、かつ、右の医療を受けさせるための措置をとることが迅速容易にできたにもかかわらず、同児を保育器もない自己の医院内に放置したまま、生存に必要な処置を何らとらなかった結果、出生の約54時間後に同児を死亡するに至らしめたというのであり、右の事実関係のもとにおいて、被告人に対し業務上堕胎罪に併せて保護者遺棄致死罪の成立を認めた原判断は、正当としてこれを肯認することができる

と判示しました。

大審院判決(明治43年5月12日)

 生存中である限り、無戸籍者、密入国者、失踪宣告を受けた者でも、傷害罪の客体となり得るのは言うまでもなく、死期切迫の病者、奇形等障害を負った者でも、傷害罪の客体となります。

 この判例は、早産のため発育不良で将来成長の希望ない嬰児であっても殺人罪の客体となることを示した判例です。

 裁判官は、

  • 殺人罪の客体たる人は、犯罪の当時に在りて、生活機能を保有したるものなるをもって足る
  • その健康状態が善良にして犯罪により侵害せられざりしならば、相当の天寿を受け得べかりし者なることを必要とぜず

と判示し、早産のため発育不良で将来成長の希望ない嬰児であっても殺人罪の客体となることを認めました。

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