傷害致死罪における「事実の錯誤」
傷害致死罪(刑法205条)を犯すに当たり、暴行を加える相手を間違ったり、犯人がけがを負わすつもりでなかった者にまでけがを負わせた上、死に至らしめることがあります。
この状況を「事実の錯誤」といいます。
「事実の錯誤」とは、犯人が認識していた犯罪事実と、実際に発生した犯罪事実が食い違う場合をいいます。
たとえば、
夫を殺すつもりで食事に毒をもったのに、友人が毒をもった食事を食べてしまい、友人を殺してしまった…
というケースの場合、犯人が認識していた犯罪事実と、実際に発生した犯罪事実とが食い違うので、「事実の錯誤」となります(詳しくは前の記事参照)。
「事実の錯誤」の結論として、事実の錯誤があったからといって犯罪は不成立とはならず、きちんと犯罪は成立します。
つまり、殺す相手を間違えても殺人罪は成立します。
傷害致死罪における事実の錯誤について、判例を紹介して説明します。
(なお、傷害罪における事実の錯誤については前の記事参照)
傷害致死罪における事実の錯誤の判例
大審院判決(大正11年5月9日)
この判例で、裁判官は、
- 人に対し、故意に暴行を加え、その結果人を傷害し、又は死に致したるときは、たとえその暴行によれる傷害又は致死の結果が、被告の目的としたる者と異なり、しかも被告において毫も意識せざりし客体の上に生じたるときといえども、暴行と傷害又は致死の結果との間に因果関係の存すること明なれば、その行為は傷害罪又は傷害致死罪を構成すべく、過失傷害罪若しくは過失致死罪をもって律すべきものにあらず
と判示し、弟と口論格闘の末、弟に対し重量物を投げつけたところ、近くに病臥している母親に当たり、母親を死亡させた事案について、傷害致死罪の成立を認めました。
大審院判決(昭和2年6月8日)
母を杖で殴ろうとしたところ、母に抱かれていた子どもに当たって死亡させた事案で、裁判官は、
- 被告人の暴行にして、故意に出たる以上は、よって生じたる傷害致死の結果が犯人の目的としたる者と異なりたる客体の上に生じたる場合といえども、傷害致死罪を構成し、過失致死罪をもって問擬(もんぎ)すべきものにあらずと
判示し、母ではなく、誤って子どもを殴って殺した行為について、過失致死罪ではなく、傷害致死罪が成立するとしました。
傷害致死罪における「因果関係の錯誤」
事実の錯誤は、錯誤がどの要素に対して起こっているかで、
- 客体の錯誤
- 方法の錯誤
- 因果関係の錯誤
に分類されます。
客体の錯誤とは?
客体の錯誤とは、
Aを殺すつもりだったのに、人違いをしてBを殺してしまった…
というように、犯罪行為の客体に錯誤があった場合の錯誤
のことをいいます。
方法の錯誤とは?
方法の錯誤とは、
Aを殺すつもりで拳銃を発砲したが、Aの近くにいたBに弾が当たってしまい、Bを殺してしまった…
というように犯罪行為の向き・方向に錯誤があった場合の錯誤
のことをいいます。
因果関係の錯誤とは?
因果関係の錯誤とは、
Aを殺そうと思って首を絞めた。死んだと思ったので屋外に放置したところ、実は死んでおらず、屋外に放置したことで凍死した…
というに、犯罪行為者が認識していた因果関係の経路と、実際に発生した因果関係の経路との間に食い違いがあった場合の錯誤
のことをいいます。
(客体の錯誤、方法の錯誤、因果関係の錯誤のより詳しい説明については前の記事参照)
前置きが長くなりましが、傷害致死罪において、因果関係の錯誤に関する判例があるの紹介します。
大阪高裁判決(昭和44年5月20日)
暴行を加えた結果仮死状態に陥った被害者を死亡したものと誤信して、犯跡隠ぺいの目的で水中に投棄して死亡させた事案において、およそ犯人が被害者に暴行を加え、重篤な傷害を与えた結果、被害者を仮死的状態に陥らせ、これが死亡したものと誤信して犯跡隠ぺいの目的で、山林、砂中、水中等に遺棄し、よって被害者を凍死、窒息死、溺死させるに至ることは、自然的な通常ありうべき経過であり、社会通念上相当程度ありうるもので、犯人の予想しえたであろうことであるとして、暴行と死亡との間に因果関係を認めました。