前回の記事の続きです。
故意がなければ、犯罪行為を行っても犯罪が成立しません(この点については前の記事参照)。
そして、故意があると認定するためには、犯罪事実の認識・容認が必要になります。
しかし、ときに、犯人が認識していた犯罪事実と、実際に発生した犯罪事実が食い違う場合があります。
これを「事実の錯誤」といいます。
事実の錯誤は、錯誤がどの要素に対して起こっているかで、
- 客体の錯誤
- 方法(打撃)の錯誤
- 因果関係の錯誤
に分類されます。
今回の記事では、殺人罪における「③因果関係の錯誤」を説明します。
因果関係の錯誤とは?
因果関係の錯誤とは、
Aを殺そうと思って首を絞めた。死んだと思ったので屋外に放置したところ、実は死んでおらず、屋外に放置したことで凍死した…
というに、犯罪行為者が認識していた因果関係の経路と、実際に発生した因果関係の経路との間に食い違いがあった場合の錯誤のことをいいます。
殺人罪における因果関係の錯誤
因果関係の錯誤とは、行為者の予見していたのと異なった経過をたどって結果が発生した場合であり、
例えば、
- Aを殺害する意思で拳銃を発射したが、弾は当たらず、Aがショック死した場合
- Aを殺害する意思で拳銃を発射したが、Aが弾を避けようとして足を踏み外し、転落死した場合
が因果関係の錯誤に該当します。
因果関係の錯誤は、殺人の故意の成立に影響を与えず、殺人罪を成立させるというのが判例の考え方です。
因果関係の錯誤の事案で、特に問題とされるのは、因果関係の進行過程で被告人自身の行為が介入し、予見とは異なった経路で結果が発生した場合です。
この種の事案に関する判例として、以下のものがあります。
大審院判決(大正12年3月23日)
被害者を崖の上から川に突き落として殺害しようとしたが、その生死を確かめるため崖を下りたところ、崖の中腹に人事不省に陥っている被害者を発見し、後日の弁解のため、あたかも誤って墜落した被害者を救助するもののように装い、被害者の身体に手を掛けて支えたところ、自分も一緒に転落しそうになったので、手を離し、そのため被害者は川に転落して溺死したという事案です。
崖の中腹にとどまっていた被害者は、結局、身体が弛緩して水中に転落し死亡するのを免れない状態にあったから、本件死の結果はその状態の自然の転帰にほかならないとして、殺人の実行行為と死の結果の因果関係と殺人の故意を認め、殺人罪が成立するとしました。
大審院判決(大正12年4月30日)
被告人は殺意をもって被害者の頸部を縄で絞めたところ、身動きしなくなったので、既に死亡したものと思い、犯行の発覚を防ぐため、数百メートル離れた海岸砂上に被害者を運んで放置した結果、砂を吸引して死亡した事案で、殺人の実行行為と死の結果の因果関係と殺人の故意を認め、殺人罪が成立するとしました。
被告人らが、車の水中転落事故に見せかけて被害者を殺害し生命保険金を詐取しようと企てた事案です。
裁判で争点になったのは、
- 被害者を自動車内に誘い込み、クロロホルムを吸引させて被害者を失神させた上、約2キロメートル離れた港まで運んで車ごと海中に転落させたのであるが、被害者の死因は、溺死であるのか、それともクロロホルム吸引による呼吸停止、心停止、窒息、ショック又は肺機能不全であるのか特定できず、被害者は海中に転落させられる前に死亡していた可能性があった点
- クロロホルムを吸引させた行為は客観的には人を死にいたらしめる危険性の相当高い行為であったが、被告人らはその行為で被害者が死亡する可能性があるとの認識を有していなかった点
です。
最高裁は、クロロホルムを吸引させる行為を開始した時点で殺人罪の実行の着手があったと認めた上で、
- クロロホルムを吸引させて失神させた被害者を自動車ごと海中に転落させるという一連の殺人行為に着手して、その目的を遂げたのであるから、たとえ、被告人らの認識と異なり、海中転落行為の前の時点でクロロホルムを吸引させて失神させる行為により被害者が死亡していたとしても、殺人の故意に欠けるところはなく、殺人の既遂が成立する
としました。
次の記事に続く
①殺人罪、②殺人予備罪、③自殺教唆罪・自殺幇助罪・嘱託殺人罪・承諾殺人罪の記事まとめ一覧