刑法(殺人罪)

殺人罪(30) ~「殺人罪における緊急避難・過剰避難」を解説~

殺人罪における緊急避難・過剰避難

緊急避難とは?

 緊急避難(刑法37条)とは、

自分または他人の生命、身体、自由もしくは財産に対する現在の危険を避けるために、やむを得ずにした避難行為であって、避難行為によって生じた害が、避けようとした害の程度を超えなかったもの

をいいます。

 緊急避難による行為は、違法性が阻却されて、犯罪を構成せず、処罰されません(詳しくは前の記事参照)。

 緊急避難は、自分と傷つける相手が「正対正」の関係にある点がポイントになります。

 善良な他人を、自分の身を守るために殺した場合に、緊急避難が認められるかは、答えが簡単に出せない難しい問題となります。

過剰避難とは?

 過剰避難とは、

行き過ぎた緊急避難行為

をいいます。

 緊急避難が認められるためには、

  • 危険を避けるための必要な唯一の方法であって、ほかに方法がなかったこと(補充の原則)
  • 避難行為によって侵害された法益(守られるべき権利)が、避難行為によって危険から免れた法益よりも大きくなかったこと(法益権衡の原則)

が必要になります。

 平たくいうと、緊急避難が成立するためには、避難行為が必要最小限である必要があります。

 避難行為が必要最小限の限度を超えると、過剰避難となります。

 過剰避難になると、違法性が阻却されず、犯罪は成立しますが、情状によって、刑を減軽または免除(犯罪は成立するが、刑が科されない)されることがあります(刑法37条1項ただし書き)。

殺人罪における緊急避難・過剰避難の成否

一般的な考え方

 殺人罪において、緊急避難として、違法性が阻却され、殺人罪の成立が否定されることがありえてよいかという点については議論があります。

 道徳的な見方として、人の命に優劣はなく、人の命に差別を設けることは許されません。

 なので、緊急時とはいえ、法の世界においては、Aの生命はBの生命より価値があるとして、Bの生命を犠牲にするという思考方法は採用されません。

 また、多数の生命を救うために、少数の生命を犠牲にすることを肯定する思考方法も採用できると断言するのは難いといえます。

刑法37条を軸とした考え方

 緊急避難を規定する刑法37条は、緊急避難の対象として、生命対生命の場合を除外していません。

 なので、法益の均衡を欠かない限り、処罰されないという結論になると考えられます。

 法益の均衡とは、

  • 避難行為によって生じた害が、避けようとした害の程度を超えなかったものであること
  • 避難行為によって侵害された法益(守られるべき権利)が、避難行為によって危険から免れた法益よりも大きくなかったこと

をいいます。

 緊急避難をして相手を殺してした場合、その緊急避難行為をしなければ、自分が死んでいたという状況が必要になるということです。

 例えば、山登りをしていて、山頂から大きな岩が転がってきて、隣にいた友人を谷に突き落として殺さなければ、自分は転がってきた岩に押しつぶされて死ぬといった状況が、法益が均衡している状況といえます。

 殺人罪において、緊急避難を認めるには、何の落ち度もない人の命を奪うことから、極めて高度の厳格性が要求されることになります。

事例

 殺人罪において、緊急避難の成立は否定されたものの、過剰避難の成立が認められた以下の裁判例があります。

東京地裁判決(平成8年6月26日)

 平成7年3月の地下鉄サリン事件の発生後に明るみに出た一連のオウム真理教団関連事件の一つである殺人事件において、緊急避難の成立は否定されたものの、過剰避難の成立が認められた事例です。

 事案は、オウム真理教元信者の被告人Aが、被害者Bとともに、教団施設から母親を連れ出そうと教団施設内に入ったところを見つかって教団施設内の一室に連行され、両手錠を掛けられ教団幹部らに取り囲まれる中、Aが、幹部らがその命令を絶対のものと受け止めている教祖から「Bを殺さなければAも殺す」と言われ、幹部らが押さえつけているBの首にロープを巻きつけて締めつけ、窒息死させて、AがBを殺害したという殺人罪の事案です。

 裁判官は、あくまで被害者Bの殺害を拒否した場合、被告人A自身が殺害された可能性も否定できないとしつつ、

  • 生命対生命と緊急避難の場合には、その成立要件について、より厳格な解釈をする必要がある

と述べた上で、直ちに被害者Bが殺害されるという具体的な危険性が高かったとは認められないから、現在の危難は存在せず、緊急避難は成立しないとしたが、被告人Aの身体の自由に対する現在の危難を避けるためにしたやむを得ない行為であったことは認め、ただ法益の均衡を欠いていたとして、過剰避難が成立するとしました。

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