刑法(殺人罪)

殺人罪(47) ~殺人未遂罪③「殺人罪における不能犯」「未遂犯と不能犯の区別」を解説~

不能犯とは?

 不能犯とは、

犯罪の実行行為と見られるような行為をしたが、その行為では、犯罪行為を実現する可能性(危険性)がなかったために、犯罪結果が発生しなかった場合

をいいます。

 たとえば、夫に早く死んでほしいと思っている妻が、夫を殺すために、道端に生えている雑草を入れた料理を夫に食べさせたとしても、この行為では、殺人罪を実現する可能性がないので、不能犯となります。

 犯罪行為の実行があったといえるためには、その行為が犯罪を実現できる性質のものでなければなりません。

 犯罪の実現が客観的に不能な行為は、犯罪の実行があったとはいえません。

未遂犯と不能犯を区別する観点からの不能犯の定義

 未遂犯と不能犯を区別する観点から、不能犯を定義すると…

 実行の着手に当たるような行為が行われても、その行為に結果を発生させる実質的危険性がないため、未遂犯として処罰できない場合を不能犯と呼ぶ

となります。

(なお、未遂犯の成否が、犯罪の実行の着手があったか否かで判断されることについては前の記事参照)

判例における不能犯の定義

 判例は、不能犯の定義について、以下のように述べています。

最高裁判決(昭和25年8月31日)

 裁判官は、

いわゆる不能犯とは犯罪行為の性質上、結果発生の危険を絶対に不能ならしめるものを指す

と判示しました。

殺人罪において不能犯かどうかが争点になった事例

 殺人罪について、不能犯であるとした事例は2つにとどまり、その他はすべて不能犯であることを否定したものとなっています。

不能犯を肯定した事例

大審院判決(大正6年9月10日)

 事案は、硫黄粉末5を密かに汁鍋中に投じて被害者に供し、数日後さらに硫黄粉末を混入した水薬を飲ませたが、予期した効果がなかったので、遂に被害者を絞殺したというものです。

 原判決が傷害罪と殺人罪の連続犯としたのに対し、大審院において、硫黄で殺害しようとした行為は殺人行為の一部であるから別に傷害罪を構成しない旨が争われました。

 大審院判決は、

  • 硫黄で殺害しようとした行為は、「その方法絶対不能に属し」殺人罪としては不能犯であるから、原判断は相当である

とし、硫黄粉末を密かに飲ませる行為で人を殺害する行為は、絶対に不能であるから、殺人罪は成立せず、傷害罪が成立するにとどまるとしました。

東京高裁判決(昭和29年6月16日)

 4年間箱に詰めて地中に埋没しておいた元陸軍兵器の手榴弾を投げ付けて人を殺害しようとしたという事案です。

 裁判官は、

  • 手榴弾の主爆薬であるピクリン酸は格別変質していなかったものの、点火雷管と導火線との結合が悪く、導火線自体も湿気を吸収して質的変化を起こしていたため、手榴弾本来の性能を欠いており、たとえ安全装置を外し、撃針に衝撃を与えても爆発力を誘起し得ないもので、これを爆発させるには工場用の巨大なハンマーを使用し急激な摩擦を与えるか、あるいは摂氏200度以上の熱を加えるのでなければ不可能だというのであって、人を殺害する危険状態を発生するおそれはないから、殺人未遂罪の成立する根拠はない

としました。

不能犯を否定した事例

 殺人罪の不能犯が否定され、殺人未遂罪が成立するとした事例を紹介します。

 事例のほとんどは、殺害方法の不能かどうかが争われ、不能犯であることが否定された事例です。

被害者に毒物を提供した事案

 不能犯かどうかが争われた事例は、毒殺型のものが多いです。

大審院判決(大正8年10月28日)

 Aを毒殺しようと黄燐含有の殺鼠剤をAの食用に供すべき味噌汁に投入したが、発覚してその目的を遂げなかった場合において、毒薬の分量が致死量に達しなかったとしても、不能犯ではないとし、殺人未遂罪が成立するとしました。

東京高裁判決(昭和25年11月9日)

 青酸カリの通常致死量にあたる分量をBに服用させたが、たまたま純度が低く致死量に達しなかったため死ななかった事案で、不能犯ではないとし、殺人未遂罪が成立するとしました。

高松高裁判決(昭和28年11月19日)

 白湯が入ったやかんに致死量の濃度33%の工業用塩酸11.1グラムを投入した以上、塩酸が白湯によって希釈され、直ちに致命的に作用するとは考えられないとしても、不能犯とはいえないとし、殺人未遂罪が成立するとしました。

毒物を被害者が摂取する可能性が低かったとされた事案

 異味、異臭などから、被害者が摂取する可能性が低いという事情で不能犯が否定された事例も多いです。

大審院判決(昭和15年10月16日)

 被害者方の洗米入り一升釜の中に黄燐を投入しておいたが、被害者が米を炊いたところ異臭と怪光とに驚いて食べなかったという事案で、黄燐含有量が煮沸等のため減少を来して致死量に達していなかったという事情もあり、不能犯ではないとし、殺人未遂罪が成立するとしました。

最高裁判決(昭和24年1月20日)

 炊飯釜中に青酸カリを入れた事案で、裁判官は、

  • 炊いた米飯が黄色を呈し、臭気を放っているからといって何人もこれを食べることは絶対にないと断定することは実験則上これを首認し得ない

とし、不能犯ではないとし、殺人未遂罪が成立するとしました。

最高裁判決(昭和26年7月17日)

 味噌汁に毒物であるストリキニーネを入れた事案で、裁判官は、

  • ストリキニーネを混入したフナの味噌煮が苦味を呈しているからといって何人もこれを食べることは絶対ないと断定し難い

とし、不能犯ではないとし、殺人未遂罪が成立するとしました。

高松高裁判決(昭和27年10月7日)

 裁判官は、

  • 殺人の目的で米麦飯に多量の猫イラズを投入し、そのため飯が強い臭気を放ち、よく見ると白煙が三筋ほど立っており、かつ2か所ほど赤味を帯びていて、人がこれを食するおそれは少ないとしても何人もこれを食することが絶対ないと断定することはできない

とし、不能犯ではないとし、殺人未遂罪が成立するとしました。

毒殺以外の方法に関する事案

 毒殺以外の方法に関するものとしては、以下の事例があります。

大審院判決(大正11年2月24日)

 凶器として懐中がまぐちに入れて携帯する小型の小刀を用い創傷を加えるにとどまったが、人を殺傷する可能性があり不能犯ではないとし、不能犯ではないとし、殺人未遂罪が成立するとしました。

静岡地裁判決(平成19年8月6日)

 くり小刀の木製のが付いたままであるのに、鞘が外れていると認識して、未必の殺意をもって被害者の腹部を強く突いた行為は、殺人の実行行為たり得るとし、不能犯ではないとし、殺人未遂罪が成立するとしました。

最高裁判決(昭和23年9月18日)

 バンドを頸部に掛けて締め付けたところ、バンドが紙製擬革品であったため切れて殺害の目的を遂げなかった事案で、裁判官は、

  • バンドが紙製擬革品であっても、右の方法をもってすれば、絶対に人を殺害することができないものではなく、殺害の結果を惹起する危険は十分あったのであるが、たまたまバンドが切れたために殺害の目的を遂げることができなかったというに過ぎない

と判示し、不能犯ではないとし、殺人未遂罪が成立するとしました。

広島高裁判決(昭和25年4月20日)

 右手で肩を押さえ左手でショールの前の方をつかんで斜め上に引っ張ることは、それによって被害者が一時失神状態に陥ったことに照らしても、殺人の不能犯といえないとし、殺人未遂罪が成立するとしました。

東京高裁判決(昭和26年6月9日)

 本来、弾丸発射の機能を有する挙銃に実包を装填し、相手に向けて引金を引いたが、たまたま安全装置部分に故障があったため発射しなかった事案で、殺人の不能犯といえないとし、殺人未遂罪が成立するとしました。

福岡高裁判決(昭和28年11月10日)

 公務執行妨害で警察官に逮捕されようとした被告人が、警察官の拳銃を奪取して警察官の脇腹に銃口を当て2回にわたり引金を引いたが、たまたま当夜に限り弾を装填するのを忘れていたため、殺害の目的を遂げなかった事案で、殺人の不能犯といえないとし、殺人未遂罪が成立するとしました。

最高裁判決(昭和37年3月23日)

 静脈に空気を注入して殺そうとした事案で、裁判官は、

  • 静脈内に注射された空気の量が致死量以下であっても、被注射者の身体的条件その他の事情の如何によっては死の結果発生の危険が絶対にないとはいえない

と判示し、殺人の不能犯といえないとし、殺人未遂罪が成立するとしました。

ガス放出の事案

 ガス放出の事案で、不能犯とはいえないとして、殺人未遂罪が成立するとされた事例が2つあります。

 いずれも子ども道連れにした心中の事案です。

大阪地裁判決(昭和43年4月26日)

 家庭用プロパンガスを放出すれば、吸入者の身体状況その他の事情によって呼吸障害等による致死の可能性が絶対にないとはいえないのみならず、一般人はその量の多少にかかわらず部屋に寝ている者を死に致すに足りる極めて危険な行為であると社会通念上評価するものと解されるとして、不能犯とはいえないとして、殺人未遂罪が成立するとしました。

岐阜地裁判決(昭和62年10月15日)

 一酸化炭素を含まない都市ガス(天然ガス)を室内に漏出させた行為につき、中毒死のおそれはないものの、電気器具や静電気を引火源とするガス爆発事故の可能性があり、また、ガス濃度が高まれば酸素濃度が低下して窒息死の可能性があるから、死の結果発生の危険があったとし、不能犯とはいえないとして、殺人未遂罪が成立するとしました。

方法の不能ではなく、客体の不能が争点になった事例

 客体の不能が不能犯の成否の判断するに当たっての争点になった事例として、以下の著名な高裁判例があります。

広島高裁判決(昭和36年7月10日)

 暴力団組員Aが被害者を殺害しようと組事務所前の路上で拳銃を計3発発射し、胸腹部・頭部・背部等の各貫通銃創等を負わせたが、組事務所内で拳銃の発射音を聞いたBは、Aに加勢するべく日本刀を携えて現場に駆けつけ、被害者がまだ生きているものと信じ、とどめを刺すつもりで、上向きに倒れていた被害者の腹部・胸部を日本刀で突き刺し、背面に達する腹部刺創等を負わせた事案です。

 裁判官は、Bが日本刀で突き刺した時には、被害者はAによる銃撃により既に死亡していたとの鑑定結果を採用しました。

 その上で、

  • 被害者の生死については、専門家の間においても見解が分かれるほど医学的にも生死の限界が微妙な案件であるから、単にBが加害当時、被害者の生存を信じていたというだけでなく、一般人もまた当時その死亡を知り得なかったであろうこと、従ってまたBの加害行為により被害者が死亡するであろうとの危険を感ずるであろうことはいずれも極めて当然というべきである
  • かかる場合において、Bの加害行為の寸前に被害者が死亡していたとしても、それは意外の障害により予期の結果を生ぜしめ得なかったに止まり、行為の性質上、結果発生の危険がないとは言えないから、Bの所為は殺人の不能犯と解すべきではなく、その未遂犯をもって論ずるのが相当である

と判示し、Bの行為は殺人の不能犯ではないとし、Bに対し、殺人未遂罪が成立するとしました。

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