前回の記事の続きです。
保護責任者遺棄罪の故意
保護責任者遺棄罪(刑法218条)は故意犯です(故意についての詳しい説明は前の記事参照)。
保護責任者遺棄罪が成立するための故意として、
- 客体の認識
- 遺棄・不保護の認識
- 保護責任に関する認識
が必要になります。
以下でそれぞれを説明ます。
① 客体の認識
保護責任者遺棄罪が成立するための故意として、
被遺棄者あるいは保護すべきといわれている相手が、老年者、幼年者、身体障害者又は病者であって、扶助を必要としていることの認識(認容)
を要します。
② 遺棄・不保護の認識
保護責任者遺棄罪が成立するための故意として、
遺棄・不保護の認識
が必要です。
1⃣ 作為による遺棄(移置)では、
当該遺棄行為の認識(要扶助者と扶助者(自己又は他の扶助者)との間に場所的離隔を生じさせることの認識)
が必要です。
2⃣ 不作為による遺棄(置き去り)においては、
自己の立ち去りによって扶助者との場所的離隔が生じること、あるいは要扶助者が立ち去っていき扶助者との場所的離隔が生じることの認識
が必要です。
3⃣ 不保護(刑法218条後段)においては、
生存に必要な保護をしていないことの認識
が必要です。
4⃣ なお、作為可能性について錯誤があると故意は認められません。
例えば、救急車を呼ぶための携帯電話の連絡手段があるのに、携帯電話がないと誤信した場合が該当します。
5⃣ 遺棄・不保護に当たるには実質的な危険の存在が必要であり、
実質的な危険が生じるであろうとの認識
も必要です。
例えば、
- 確実に保護される施設であると誤信して、その施設の前に目に付く形で子供を捨てた場合
- 別の扶助者が保護すると誤信して子供を置いて立ち去った場合
- 安全な場所に行くものと誤信して子供が立ち去るのを放置した場合
- 別の扶助者が食事を与えていると誤信して食事を与えなかった場合
には、実質的な危険の認識を認めるのは困難になるといえます。
5⃣ 保護責任者がある程度の保護をしたが、その保護が客観的には不十分であったときに保護責任者遺棄罪(不保護)の故意が認められるか、阻却されるかが問題になります。
例えば、医学的には重症な子供を親が自宅で必死に手当てしていた場合は、故意が認められるか否かについて検討を要します。
外見上、単なる風邪にしか見えず、病院に連れて行かなくても大丈夫だと思っていたのであれば事実の錯誤であり、不保護の故意はないといえます。
やや症状が重く、病院に連れて行くべきかもしれないという不安があったとすれば、未必的な不保護の故意を認める余地がありあます。
もう少し様子を見ようと病院に行くことをためらうこともあり、どの程度の危険の認識をもって不保護の未必の故意を肯定すべきかは困難な問題となります。
③ 保護責任に関する認識
保護責任者遺棄罪が成立するための故意として、
自己の保護責任を基礎づける事実の認識
が必要です。
具体的には、例えば、
- 要扶助者との身分関係
- 要扶助者との契約関係
- 要扶助者の保護を引き受けた事実
- 相手を保護を要する状態にした先行行為の認識(例えば、自動車で人をひいてその人に重傷を負わせ(先行行為)、その人が要保護者となった認識)
などが必要です。
保護責任を基礎づける事実の認識を欠くときは、
- 作為による遺棄においては、刑法38条2項により、保護責任者遺棄罪(刑法218条)は成立せず、遺棄罪(刑法217条)の限度で犯罪が成立する
- 保護責任者のみが処罰の対象となっている保護責任者遺棄罪(不保護)(刑法218条後段)においては不可罰となり、犯罪が成立しない
ということになります。
行為者が自分は保護責任者に当たらないと誤解していた場合
行為者が自分は保護責任者に当たらないと誤解しても、それは法律の錯誤であるので故意を阻却せず、保護責任者遺棄罪の成立が認めれます。
保護責任者遺棄罪の故意が争点になった裁判例
故意を肯定し、保護責任者遺棄罪が成立するとした裁判例
福岡高裁判決宮崎支部(平成14年12月19日)
祈祷類似行為を施していた被告人2名が、難病にかかっていた6歳の男児の病気治療を親から引き受けたが、祈祷類似行為などを繰り返すのみで、男児の病態が悪化しても必要な医療措置を受けさせるととなく放置して死亡させた事案で、保護責任者遺棄致死罪の成立を認めた事例です。
裁判所は、
- 保護責任者遺棄致死罪(不保護致死罪)の故意が認められるためには、保護責任者性を基礎づける事実、対象者が要扶助状態にあること、及び対象者に対する必要な保護を欠いていることの各認識があれば足りるところ、被告人両名は、被害者がネフローゼ症候群に罹患し、医師による投薬治療を受けていたこと、自ら積極的に母親らに働きかけ母親の承諾を得て被害者を被告人らの施設で生活させることにしたこと、同所での被害者の生活が被告人らの意向に沿って行われ、母親がこれに異議を唱えることなく従っていたこと、及び被害者が同施設で生活するようになってから、その病状が日を追うごとに悪化していることを十分認識しながら、被害者に医師の診療を受けさせずにいたのであるから、故意が認められることは明らかである
としました。
京都地裁判決(平成21年10月6日)
生後2週間足らずの子の両親が、その子が母乳等を飲めなくなって衰弱しているのを認識したのに、霊や生命に関する独自の考えから、母乳等を飲めないのは霊障と戦っている等の特殊な解釈をし、医師の診療を受けさせずに放置して死亡させた事案で、両親は子が医療措置を必要とする状態であることを認識していたとし、保護責任者遺棄罪が成立するとしました。
広島地裁判決(平成22年11月9日)
被告人は、同居の実母が軒下で生活し、極度に衰弱しているのを認識したが、これを放置し、医療措置を受けさせずに栄養消耗症及び熱中症により死亡させた事案で、実母が医療措置を必要とする状態であることを被告人が認識していたとし、保護責任者遺棄罪が成立するとしました。
故意を否定し、保護責任者遺棄罪は成立しないとした裁判例
東京高裁判決(昭和60年12月10日)
泥酔状態の内妻が水風呂に入っているのを放置し、内妻が死亡した事案です。
裁判所は、
- 内妻は従前から酔いをさますために水風呂に入っていたことがあり、被告人としては、直ちに介護しなければ内妻の生命・身体に危険が生ずるであろうという認識は全くなかった
とし、内妻が扶助を要する状態にあったことも否定した上、
- 本件は寒冷期とはいえ家屋内の出来事であり、浴槽内の温度も当初はぬるま湯程度であったとも考えられ、また内妻はそれまでにも酔いをさますために水風呂に入った経験があって、今回も自分の意思で浴槽内に入っており、少なくとも一定の時点までは自らの意思と行動により浴槽外に出ることが可能だったと認められる
- 内妻が泥酔状態であったとしても、極度に衰弱しきっていたという証明はなく、直ちに介護しなければ生命・身体に危険が差し迫っている客観的状況にあったとするには疑問がある
として、内妻は従前から酔いをさますために水風呂に入っていたことがあり、被告人としては、直ちに介護しなければ内妻の生命・身体に危険が生ずるであろうという認識は全くなかったと認定し、保護責任者遺棄致死罪の成立を否定し、重過失致死罪(刑法211条後段)の限度で有罪としました。
名古屋地裁判決(平成19年7月9日)
被告人夫婦が生後79日の乳児である実子を、パチンコ店駐車場に駐車した自動車内に1人放置して夫婦でスロット遊技をし、数時間後に車内で熱中症により死亡させた事案です。
裁判所は、
- 被告人両名が被害者を車内に残しただけでは、生存に必要な保護をしていないという故意は認められず(被害者に生じうる危険についての意識を弛緩させていたために)、被告人両名には車内が高温になるという認識もなかったことなどから、不保護の故意は認められない
とし、保護責任者遺棄致死罪の成立を否定し、予備的訴因である重過失致死罪の成立を認めました。
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