刑法(保護責任者遺棄罪)

保護責任者遺棄罪(12) ~「殺人罪と保護責任者遺棄致死罪の関係」を説明~

 前回の記事の続きです。

殺人罪と保護責任者遺棄致死罪の関係

殺人罪が成立するときは、保護責任者遺棄罪等は成立しない

 遺棄行為と要扶助者の死亡結果との間に因果関係があり、かつ行為者に殺意があるときは、殺人罪(刑法199条)のみが成立し、吸収関係により保護責任者遺棄罪(刑法218条)、遺棄罪(刑法217条)、遺棄致死罪(刑法219条)、保護責任者遺棄致死罪(刑法219条)は成立しません。

 ただし、この場合、遺棄または生存に必要な保護をしない行為が、殺人罪の実行行為にあたるものでなければならないことから、殺意はあるが殺人罪の実行行為とはいえない場合は、殺人罪ではなく、遺棄致死罪又は保護責任者遺棄致死罪が成立するにとどまる余地はあります。

 殺人未遂罪については、行為態様が遺棄であっても、殺意があり、また殺人罪の実行の着手があるといえれば殺人未遂罪が成立し、保護責任者遺棄(致傷)罪は成立しません。

殺人罪と保護責任者遺棄致死罪との区別は殺意の有無による

 殺人罪と保護責任者遺棄致死罪との区別は殺意の有無によることを判示した以下の判例があります。

大審院判決(大正4年2月10日)

 養育義務者がもらい受けて養育していた幼児(生後6か月未満)に食事を与えず死亡させた事案です。

 裁判所は、

  • 養育の義務を負う者が殺害意思をもって、ことさらに被養育者の生存に必要なる食物を給与せずしてこれを死に致したるときは、殺人犯にして刑法第199条に該当し、単にその義務に違背して食物を給与せず、よってこれを死に致したるときは、生存に必要なる保護を為さざるものにして刑法第218条第219条に該当す
  • 要は、殺意の有無によりこれを区別すべきものとす

と判示し、殺人罪と保護責任者遺棄致死罪との区別は殺意の有無によるとしました。

保護責任者遺棄致死罪ではなく、殺人(未遂)罪が成立するとした事例

 保護責任者遺棄致死罪ではなく、殺人(未遂)罪が成立するとした事例として、以下のものがあります(死亡事案ではいずれも殺人罪を肯定)。

① 養育義務に違反し、乳児等に対し養育等をしなかった類型

大審院判決(大正15年10月25日)

 実父が内縁関係の女性との間に生まれた嬰児を引き取った後、授乳を行わず餓死させた事案で、殺人罪が成立するとしました。

② 先行行為のある類型(ひき逃げ以外)

前橋地裁高崎支部判決(昭和46年9月17日)

 被告人は身体障害により歩行不能の被害者から所持金を奪おうと企て、自動車で山中に連れ出して現金を奪取した後、凍死又は川に落ちて溺死するかもしれないことを認識しながら、やむを得ないと決意し、山中に放置して立ち去った事案で(被害者は自力で救助を求めて助かった)、殺人未遂罪が成立するとしました。

東京地裁八王子支部判決(昭和57年12月22日)

 経営者夫婦が同居女性従業員に傷害を負わせたが、医師の治療を受けさせず、若干の薬を与えただけで死亡させた事案で、裁判所は、暴行によって重傷を負わせたこと、強い支配服従関係、救助を引き受けて支配領域内に置いていたことを挙げ、殺人罪が成立するとしました。

最高裁決定(平成17年7月4日)

 シャクティパットと称する独自の治療を行っていた被告人が、脳内出血で倒れて病院に入院した被害者の治療を、その息子から依頼されて引き受け、主治医の警告を無視して被害者を入院中の病院からホテルの部屋まで運び出させ、そのまま医療措置を受けさせないで被害者を放置して死亡させた事案で、殺人罪が成立するとしました。

 裁判所は、

  • 被告人は、自己の責めに帰すべき事由により患者の生命に具体的な危険を生じさせた上、患者が運び込まれたホテルにおいて、被告人を信奉する患者の親族から、重篤な患者に対する手当てを全面的にゆだねられた立場にあったものと認められる
  • その際、被告人は、患者の重篤な状態を認識し、これを自らが救命できるとする根拠はなかったのであるから、直ちに患者の生命を維持するために必要な医療措置を受けさせる義務を負っていたものというべきである
  • それにもかかわらず、未必的な殺意をもって、上記医療措置を受けさせないまま放置して患者を死亡させた被告人には、不作為による殺人罪が成立し、殺意のない患者の親族との間では保護責任者遺棄致死罪の限度で共同正犯となると解するのが相当である

と判示し、最高裁として初めて不作為の殺人罪の成立を認めました。

③ ひき逃げの類型

 いずれも救助目的で被害者を自車に乗せた後に遺棄の意図が生じた事案です。

東京地裁判決(昭和40年9月30日)

 過失運転により通行人に頭蓋骨骨折等の重傷を負わサた被告人は、病院に搬送すべく被害者を自車に乗せたが、途中で発覚を恐れて気が変わり、即時、救命措置をとらなければ被害者が死亡するかもしれないことを予見しながら、やむを得ないと考え29キロメートル走行している間に車内で死亡させた事案で、殺人罪の成立を認めました。

浦和地裁判決(昭和45年10月22日)、控訴審:東京高裁判決(昭和46年3月4日)

 過失運転により通行人に意識不明を伴う加療6か月の重傷を負わせた被告人は、病院に搬送すべく被害者を自車に乗せたが、途中で発覚を恐れて気が変わり、放置すれば被害者が死亡するかもしれないと認識したのに、深夜の道路外に下ろして逃走し、その後、被害者は発見救助された事案で、殺人未遂罪の成立を認めました。

横浜地裁判決(昭和37年5月30日)

 過失運転により被害者に加療3か月の傷害を負わせた被告人は、救護すべく自車に乗せ走行したが、発覚を免れるため、被害者が死に至るかもしれないことを認識しながら、やむなしと決意し、被害者を夜明け前の人通りのない畑の中の路上に放置し逃走し、その後、被害者は救助された事案で、殺人未遂罪の成立を認めました。

殺人(未遂)罪の成立が否定された事例

 上記事例とは反対に、殺人(未遂)罪の成立が否定された事例として、以下のものがあります。

盛岡地裁判決(昭和44年4月16日)

 自動車を運転中、過失により歩行者をはねて頭部損傷等の瀕死の重傷を負わせたが、犯行の発覚を免れるため救護を断念して逃走を図り、被害者を自車に乗せて約89kmの間、なんらの救護措置も採らず走行し、その間に被害者を傷害により死亡させた事案です。

 裁判官は、被害者を事故後、直ちに最寄りの病院に運んで救護措置を受けたとしても死の結果を回避することができたとは認め難く、かつ、被告人が救護可能性を認識しながらあえて本件行為に出たとも認められないとして、不作為による殺人罪の成立を否定した上、救命可能性が認められないので、保護責任者遺棄致死罪の成立も否定し、業務上過失致死罪(現行法:過失運転致死罪)と保護責任者遺棄罪が成立するとしました(両罪は併合罪になるとした)。

岐阜地裁大垣支部判決(昭和42年10月3日)

 被告人は、無免許運転をし、橋の上で自動車を被害者Aの乗っていた自転車に追突させ、その結果、被害者を自転車もろとも約2.3メートル下の水深50センチメートルの川に転落させ、被害者に加療約5か月を要した右臀部腰部挫傷等の傷害を負わせながら、無免許運転が発覚するのを恐れ、なんらの救護措置も採らずそのまま逃走したが、被害者は他人によって救助されたという事案です。

 裁判所は、

  • 本件はいわゆる不真正不作為犯の殺人罪として起訴されたものであるが、被告人は自己の過失により被害者の自転車に自動車を追突させ川中に転落させて、その結果、被害者に判示の重傷を負わせそのまま放置して現場を離脱したものであり、かつ、その際、被害者を被告人において救護することは可能であったのであるから不作為の殺人罪の客観的要件としての作為義務はそなわっているというべきであるが、この場合、主観的要件としては、結果発生の積極的意欲が必要であるか、あるいは未必の故意で足るかは法解釈上の一つの問題ではあるが、未必の故意で足るものと解するとしても、構成要件に該当する外形的且積極的な行為自体において通常殺意の表動が認められ、従って行為自体殺意の推定をもたらすとともに犯意(殺意)認定の保障的機能を果しているとみるべき定型的作為による殺人犯の場合と異なり、「放置して現場を離脱した」という不作為(いわゆる「ひき逃げ」)それ自体には通常殺意の表動が認められる(従ってそれが殺意の推定をもたらす)という性質のものとはいえないのであるから、未必の故意による殺意の認定は具体的事情を十分検討して慎重にこれをしなければならないと考える

と述べ、諸情況を検討した上で、

  • Aを被告人において直ちに救護せず逃走したとしても、死亡の結果発生の蓋然性が高度のものであったとまでは認め難く、またその認識を被告人が有していたとは認め難い
  • もっとも前記認定のような状況で転落すれば被害者が相当の負傷をするであろうことは通常一般に予見できる範囲に属し、被告人もこの点の認識は自認しているのであるが、被告人としては被害者が自転車もろとも橋上から川に転落したことは予想外の出来事でもあり、かつ無免許のことでもあり、驚愕、恐怖の念にかられて夢中で逃走したという被告人の供述する当時の心理状態も十分肯認できるところであり、また同人の死亡を認容して逃走しようとするだけの明かな動機も認められないことを考え合わせると、前記未必的犯意を肯定する供述は、検察官から理詰めで追求された結果、後から考えて犯行当時死を予見することも可能であったという趣旨を供述したのではないかとの疑いが濃い
  • したがって、被告人の前記供述のみによって、ただちに被告人に未必的故意による殺意があったと認定することはできないし、前記認定の事実および諸情況からもこれを認め難く、他に右殺意を認めるにたりる証拠はない
  • そうだとすると、本件公訴事実中、殺人未遂の点については、結局、犯罪の証明がないことになるから、刑訴法336条により被告人に対し無罪の言渡をする

と判示し、作為義務はあったが殺意を認めるに足りる証拠がないとして、殺人未遂罪は成立しないとしました(なお、道路交通法違反(無免許)と傷害罪で有罪を言い足している)。

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