害悪の告知が、一般人にとっては畏怖心を生じさせるに足りるとはいえない程度のものだが、小心者の被害者にとっては畏怖心を生じさせたという場合における恐喝罪の成否
脅迫罪(刑法222条)における害悪の告知は、一般に人に畏怖心を生じさせるに足りる程度のものであればよく、実際に被害者が畏怖することを要しません(詳しくは前の記事参照)。
ここで、害悪の告知が、一般人にとっては畏怖心を生じさせるに足りるとはいえない程度のものであるが、被害者にとっては畏怖心を生じさせたという場合において、恐喝罪が成立するかどうか問題になります。
たとえば、脅迫内容が、一般人にとっては畏怖心を生じさせるようなものでないとしても、被害者が小心者や迷信家であった場合は、その脅迫に畏怖する場合があります。
このような場合に、脅迫罪が成立するのかという問題です。
結論として、この点について明確に判示した判例は見当たらず、判例において明確な答えは出されていません。
なので、学説の考え方を参考にすることになります。
脅迫罪は成立しないとする説(否定説)
否定説の考え方として、以下の指摘があります。
- 迷信家に対して馬鹿馬鹿しい吉凶禍福を説くようなことまでも含むとすれば、広きに失する
- 被告人が被害者の迷信深さを知っていたか否かの主観によって、畏怖させるに足りない害悪告知行為の客観的危険性に変化が生じるわけでもない
- 脅迫罪の成立を肯定すると、通常人を畏怖させるに足りる害悪という脅迫の概念の客観性が失われるおそれがある
- 刑法の介入を根拠づける以上、相手方の事情は一般的意義を持つものであることを要求すべきである
脅迫罪が成立するとする説(肯定説)
肯定説の考え方として、以下の指摘があります。
- 通常人においては恐怖心を生じない程度の害悪でも、相手方が特に小心者、迷信家などで、その特殊の心理状態において恐怖心を生じるとみられる場合に、行為者がそれを知りつつ告知したときは、刑法上の保護を否定する理由がなく、脅迫となりうる
- 迷信家や小心者であっても、恐怖心を生じさせられ、意思の自由が危険にさらされる場合には、刑法の保護の対象とされるべきである
- 害悪告知が畏怖するに足りる程度のものであるかどうかは、通常人を基準に判断すべきであるが、その際には、害悪告知行為までの経緯、犯人との関係、被告知者の肉体的・心理的状況などの個別的事情をも考慮に入れるべきであり、特に過敏、小心であるとか、迷信などを信じやすい性格などの事情も考慮に入れるべきである
- 通常人においては、畏怖心も生じない程度の害悪でも、相手の特殊な心理状態などの個別的事情を考慮して、そのような者を脅迫するに適した手段であるかどうかという観点から客観的に判断し、畏怖心を生じるとみられる場合には、行為者がこれを知りつつ告知したときは、脅迫となりうる