脅迫罪の客体
脅迫罪(刑法222条)の行為の客体は「人」です。
「法人」は脅迫罪の客体にならない
「人」は自然人に限られるか、法人も含まれると解すべきかという議論があります。
結論として、判例は、恐喝罪の客体となる「人」に法人は含まないという立場をとっています。
この点について、以下の判例があります。
建設会社の土木管理部長らに対し、土木管理部長らの個人の生命、身体のほか、会社の営業等に加害する旨申し向けた事案で、裁判官は、
- 刑法222条の脅迫罪は、刑法体系上、生命身体に対する殺人の罪、傷害の罪に引き続き、身体の自由に対する罪として、逮捕・監禁の罪及び略取・誘拐の罪と並んで、それら両者の間に置かれ、人の意思活動の平穏ないし意思決定の自由をその保護法益とするものであることにかんがみ、さらに刑法222条各項の文言自体をも参照すると、刑法222条1項の脅迫罪は、自然人に対し、その生命、身体、自由、名誉又は財産に危害を加えることを告知する場合に限って、その成立が認められる
- 法人に対し、その法益に危害を加えることを告知しても、それによって法人に対するものとしての脅迫罪が成立するものではなく、ただ、それら法人の法益に対する加害の告知が、ひいてその代表者、代理人等として現にその告知を受けた自然人自身の生命、身体、 自由、名誉又は財産に対する加害の告知に当たると評価され得る場合にのみ、その自然人に対する恐喝罪の成立が肯定されるものと解される
と判示し、脅迫罪の客体は、自然人に限られ、法人に対しては恐喝罪は成立しないとしました。
なお、この高裁判決は、原審が、個人に対する脅迫罪を構成する事実と、会社自体に対する脅迫罪を構成する事実の2つを認定しているとして、原審の判決を破棄しました。
高松高裁判決(平成8年1月25日)
刑法222条の脅迫罪は、自然人を客体とする場合に限って成立し、法人に対し、その法益に危害を加えることを告知しても、法人に対するものとして脅迫罪が成立するものではなく、したがって暴力行為等処罰に関する法律1条の団体示威脅迫罪も成立しないとされた事例です。
裁判官は、
- 刑法222条の脅迫罪は、意思の自由を保護法益とするものであることからして、自然人を客体とする場合に限って成立し、法人に対しその法益に危害を加えることを告知しても、それによって法人に対するものとしての同罪が成立するものではない
- ただ、法人の法益に対する加害の告知が、ひいてその代表者、代理人等として現にその告知を受けた自然人自身の生命、身体、自由、名誉または財産に対する加害の告知にあたると評価され得る場合には、その自然人に対する同罪が成立するものと解され、このことは、同条を構成要件の内容として引用している暴力行為等処罰に関する法律1条の団体示威脅迫罪においても異ならない
- 原判決をみるに、その罪となるべき事実の判示において、脅迫行為の加害の対象を「A電力株式会社の営業活動等」とし、具体的な脅迫文言についても「B原発の反対運動を起こすぞ。」などともっぱら同社の営業等に向けられたと解されるものばかりを摘示し、害悪の告知を受けた相手方についても、個人ではなく同社の業務活動に関する役職者の表示と解される「A電力株式会社C支店副支店長D」としていること、そして、右の同社の営業活動等に対する加害の告知が、ひいて現にその告知を受けたD自身の法益に対する加害の告知にあたると評価され得ることを示すような事情は全く摘示していないことに照らすと、原判決は、もっぱら前記会社自体に対する団体示威脅迫の事実を認定、判示し、これに暴力行為等処罰に関する法律1条(同刑法222条1項)を適用したものと解するほかはない。
- そうすると、原判決は、罪とならない事実を犯罪事実として認定、判示して、これに刑罰法令を適用したことになり、法令の解釈、適用を誤ったものというべきで、その誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかである
と判示し、原審が、個人ではなく、法人に対して害悪の告知がなされているかのように事実認定をしたのは判断の誤りであるとして、原審に裁判のやり直しを命じました。
【学説の見解】
学説においても、脅迫罪の客体に法人は含まれないと解するのが多数意見となっています。
理由として、
- 脅迫罪の保護法益を、私生活の平穏・安全感とする立場から、被害者は自然人に限るのが素直である
- 脅迫罪は、個人の意思決定の自由を脅かす犯罪であり、法文上の文言も、「生命・身体」、「親族」と明記されている
といった点が挙げられています。
幼者、精神薄弱者、精神病者も脅迫罪の客体になる
脅迫罪は、人の自由に対する罪なので、行為の客体は意思能力者である必要がありますが、脅迫の内容となる言動の意味を理解することのできる程度であれば、
も脅迫罪の客体に含まれます。
不特定人に対する脅迫は脅迫罪を成立させない
不特定人に対する脅迫は、脅迫罪を成立させないとされます。
脅迫罪は個人的法益に対する犯罪なので、脅迫行為には相手方の存在が前提とされるべきとされるためです。
脅迫行為の相手方が全く特定しない場合には、脅迫罪における脅迫の実体を備えていないということになると考えられます。
この考え方は、強要罪(刑法223条)における脅迫の場合も同様です。
参考となる判例として、不特定人に対する脅迫行為が強要罪の脅迫に該当するかどうかについて問題となった判例があります。
大審院判決(昭和16年2月27日)
特定の姉妹に対する恨みを晴らすため、姉妹の悪評を流布させようとし、姉妹の素行の悪さを落し手紙に書き、その文中に「拾い主は理髪店に届けよ、同店主は文意を人に伝えよ、そうしなければ拾い主または理髪店主方(※方:家の意味)に放火する」などとしたためて、特定の店の店頭や民家の裏木戸に置くなどした事案です。
裁判官は、
として、落とし手紙を誰かが拾って理髪店に届ければ、落とし手紙が姉妹の目に触れるところとなるため、被害者が特定されるのだから、強要罪が成立するとしました。
この判例は、拾得された時点で被害者が確定するとした点については、表現として適切を欠くという指摘があります。
考え方を整理すると、落し手紙をした時点では誰が拾い主になるかは不確定的ではあるが、場所などの周囲の状況から店主や住人が手紙を拾得するであろうという予測のもとに落し手紙をしたともみることができ、特定人に対する強要罪を認めた事案と考えられています。