刑法(殺人罪)

殺人罪(23) ~正当防衛・過剰防衛④「侵害行為が終了しているように見える場合の正当防衛・過剰防衛の成否」を解説~

侵害行為が終了しているように見える場合の正当防衛・過剰防衛の成否

 正当防衛・過剰防衛の成立が認められるには、侵害行為が

  • 現に存在する
  • 目の前に差し迫っている

ことが必要であり(これを「急迫不正の侵害」といいます)、

  • 侵害行為が終わった後に反撃した場合

は、侵害行為が現に存在する・差し迫っているとはいえず、正当防衛・過剰防衛は成立しません(詳しくは前の記事参照)。

本題

 防衛行為の瞬間には、被告人が侵害者より優位に立つなどして侵害行為が終了しているように見えても、一連の行為を全体として観察すると、急迫不正の侵害が継続しているものと評価される場合があります。

 急迫不正の侵害が継続しているものと評価されれば、正当防衛・過剰防衛の成立が認められます。

 この点について、参考となる裁判例として、以下のものがあります。

東京高裁判決(平成6年5月31日)

 被害者から拳で殴られるなどの暴行を受け、揉み合いの末、被害者を転倒させて、その背中に馬乗りとなった状態で、被害者の頸部を締め続けて殺害した事案です。

 急迫不正の侵害が終了したと速断することはできないとして、過剰防衛の成立が認められました。

 裁判官は、

  • 被害者Cは、被告人から馬乗りになられる直前の段階まで、被告人に対し、茶の間において、飲みかけの焼酎を顔にかけ、ガラス製灰皿を投げつけ、顔面を殴打するなど一方的な暴行を加え、更に茶の間から廊下へ逃れた被告人の後を追い、廊下において被告人の腰付近をつかんで被告人と揉み合い、両者が廊下続きの座敷にもつれ込んだ後も被告人の襟首をつかんで、脅し文句であるにせよ、被告人に対し、「殺してやる。」などという言辞を述べるなど攻撃的な行動に出ているのである
  • 当時、Cの運動能力がかなりの程度低下していたとしても、なお、Cは、右時点まで相当の攻撃能力を有していたと推認されるところである
  • そして、Cが被告人に馬乗りになられた段階で、にわかにその直前まで有していた運動能力を失ったとは認めがたく、現に、Cは、苦し紛れの行動と解する余地が大きいにせよ、その段階においても、前記のように、被告人の左手の甲を引っかいて傷を負わせたり、両足をはたばた動かしたりしていたのであるから、それなりの攻撃能力を保持していたと推認するのが、むしろ合理的であり、右段階において、被告人がCに対し、その背後から馬乗りになるという優位な体勢にあったとしても、被告人においてCの攻撃を完全に制圧したとまでは断じがたい
  • そして、そもそも本件が、Cの一方的な暴行に端を発したものであること、Cは常々飲酒しては被告人に暴力を振るっていたもので粗暴な性癖を有すること、被告人が背後からCに馬乗りになった以降においても、Cの日頃の粗暴癖から考えて、その行動が自由になれば、Cにおいて、被告人から反撃されたことに激高して、被告人に対し、更に強力な攻撃を加える危惧がなかったとはいえないこと、短い時間のうちに生じた一連の出来事であり、本件において、被告人がCに馬乗りになった段階の行為のみをその直前のものと分断して考察するのは必ずしも適切とは思われないことなどを考えると、被告人が、Cを転倒させ、背後から馬乗りになった後においても、Cの被告人に対する急迫不正の侵害が終了したと速断することはできない
  • したがって、被告人が、Cに馬乗りになった段階においても、同人による被告人の身体に対する侵害の急迫性が存続していたものと認めるのが相当である
  • 被告人がCに馬乗りになった以降の段階においては、少なくともCは、被告人に対し、その手を引っかいて受傷させるなどしたものの、右は頸部を締められたCの苦し紛れの行動と解する余地が大きく、Cによる積極的で強力な加害行為はなされておらず、被告人とCとの体勢からいっても、Cが被告人に対し、強力な侵害行為に及ぶことは困難な状況にあったことが明らかであり、被告人は、右当時、防衛の意思を併有していたとはいえ、同時にこの機会にCを殺害しようという意思を抱き、前記のように、Cの背後からその前頸部に自己の右腕を回し、自分の右頬部をCの左頭部に押しつけて、が首を動かすことができないように固定し、左手で相手の首に回した右腕をつかみ自分の方に引きつけながら、両腕に力を込めて頸部を締め続けてCを扼殺したものである
  • 右のような被告人の行為が全体として著しく相当性を欠くものであることは明らかであり、これが防衛の程度を著しく超えたものであることに疑いはなく、被告人の行為は過剰防衛に当たるというべきである

と判示し、過剰防衛の成立を認めました。

名古屋地裁判決(平成7年7月11日)

 酒に酔った内縁の夫からゴルフクラブで頭部を殴られるなど一連の暴行を受けた被告人が、被害者が目を閉じて仰向けに横たわっていた際に、被害者の頸部をナイフで刺して殺害した事案です。

 急迫不正の侵害は継続していたものと認めるのが相当であるとし、被告人の正当防衛の成立の主張を認めなかったものの、過剰防衛の成立を認め、被告人の刑を免除する判決を言い渡しました。

 裁判官は、

  • 被害者Aは、被告人に対し、その首をシャツで巻いて絞めつけ、ゴルフクラブで頭部等を殴打するなどの暴行を加えているものの、ゴルフクラブによる攻撃の後、約3分間は攻撃を加えておらず、被告人の刺殺行為時においても、布団の上に仰向けに横たわって目を閉じていたことが認められるから、加害行為は一旦終了しており、急迫不正の侵害は存在していないかのような外観を呈している
  • しかし、証拠によれば、以下の事実が認められる
  • すなわち、もともと酒乱の傾向があり、かつ、被害妄想状態にあったといってよいAは、飲酒しつつ何の落度もない被告人に対し、理由もなく暴行を開始し、これを断続的に継続したこと、被告人がAを刺すまでの間、Aは、被告人がペティナイフを構えると、目を閉じ、布団の上に仰向けに横たわり、結局、被告人が刺せずにいると、その度に、殴る蹴るの暴行を加えた上で(しかも、この暴行は普段より強力で執拗であった)、1回目は首を絞め、2回目はゴルフクラブで後頭部を殴打するなどの生命侵害の危険性を伴う強度の暴行を加えたこと、Aは、暴行の途中で被告人に対し、「お前の命も今日限りだ」と言っていること、一升瓶にはまだ半分程の焼酎が残存しており、その酒乱ぶりが一層悪化するおそれがあったこと、そして、右事実にかんがみ、Aの一連の暴行を一体として全体的に考察すると、暴行そのものが一旦収まっていても、引き続きこれを反復する危険はなお現存していたものと言うべきであるから、Aの暴行による法益侵害が間近に押し迫っている状態、すなわち被告人の生命・身体に対する急迫不正の侵害は継続していたものと認めるのが相当である
  • 被告人は、いよいよAの頸部を突き刺すに際し、これまでのAの度重なる約束違反や数々の暴行を思い出し、「あなたが悪いんだからね」と、憎悪の念も交えて殺害に及んだことが認められるものの、Aの暴行を断続的に受け続け、最終的にはゴルフクラブによる後頭部の殴打によって「もう我慢できない。やらなきや、やられる」と思い詰め、Aに殺されないためにはAを殺害するしかないとの気持ちも併存して本件犯行に及んだことが明らかであるから、急迫不正の侵害を認識し、これを避けようとする意思、すなわち防衛の意思をもって刺殺行為に及んだものと認定するのが相当である
  • 侵害者に対するペティナイフの使用自体が防衛行為として是認される場合もあり得ようが、本件では、被告人の防衛行為は、Aの侵害行為を一時的にでもやめさせれは足り、そのため生命侵害の危険を避けるため、ペティナイフは身体の枢要部を避けて使用することを考えるべきであり、その後のAの反撃行為に対しては、被告人においてペティナイフやゴルフクラブを手にして、Aを脅かすなどして逃走し、あとは警察の手に委ねることも十分期待できたと考えられる
  • したがって、今回、被告人によって選択された、人体の枢要部たる頸動脈に対するペティナイフによる刺突・殺害という手段は、社会通念に照らし、客観的に適正妥当として容認される程度を逸脱したものであり、「やむことを得ざるに出でたる行為」の程度を超えていると言わざるを得ない

と判示し、過剰防衛が成立するとしました。

東京地裁判決(平成9年2月19日)

 被告人が、逃げ出した被害者を追いかけ、その背部を包丁で突き刺して殺害した事案について、盗犯等防止法1条1項の「現在の危険」が消滅したとはいえないとしつつ、同法1条1項の正当防衛は相当性を欠き成立しないが、刑法36条2項の過剰防衛が成立するとした事例です。

 裁判官は、

  • 被害者Bが覆面や手袋をして被告人の居室に侵入した上、被告人にナイフを突き付けており、右行為が被告人の生命及び身体に対する急迫不正の侵害または盗犯等の防止及処分に関する法律1条1項にいう「現在の危険」に当たることは明らかである
  • しかし、被告人が本件行為に及んだのは、被告人の居室から約4.5メートル離れた□荘2階の階段踊り場であり、また、この時点では、Bは、既に被告人に対してナイフを突き付けるのを止め、被告人に背を向けていたことが認められる
  • 検察官は、この点を捉えて、被告人は、逃げ出したBを追いかけて包丁を突き刺したものであり、右時点においては、Bが被告人を攻撃するような状況にはなかったのであるから、急迫不正の侵害または「現在の危険」は既に消滅していたと主張する
  • 確かに、Bが被告人の居室から走り去り、全く振り向かない状態で被告人に背中を刺されていることからすると、Bは被告人が包丁を手にしたのを見て、被告人の居室から逃げ出したものと認められる
  • しかし、被告人の居室と階段踊り場の間はわずか約4.5メートルの距離にすぎず、Bが逃げ出してから被告人がBを刺すまでの時間も、せいぜい数秒間である
  • そして、その直前のBの行為は、隣室の住人らが留守の白昼の共同住宅に、覆面、手袋姿で被告人の居室に侵入した上、折り畳み式ナイフの刃先を被告人の腹部付近に突き付け、被告人がナイフを奪い取ろうとしたことに対しても、これに屈せず、被告人ともみ合いになり、その際、被告人の手指に傷を負わせたというものであり、被告人の生命、身体への危険性が高度なものであった
  • また、Bは、被告人の居室から逃げ出した際も、自己の行為について、被告人に対して、謝罪したり、今後加害する意図がない旨を表明するなどの言動にでたとは認められない上、被告人に向けるのはやめたとはいえ、なおナイフを持ったままであった
  • そうすると、本件において、Bが背中を向けて被告人の居室から走って逃げたという一事をもって、直ちに急迫不正の侵害または「現在の危険」が消滅したとはいえない
  • また、被告人の刺突行為は、右のような短時間での一連の行為としてなされたもので、被告人に危険の排除以外に右行為に及ぶ動機が認められない以上、防衛または危険排除の意思でされたものと認められる
  • そして、被告人が刺突行為に及んだ階段の踊り場は、被告人の居室の外ではあるが、居室からわずか約4.5メートル離れているにすぎず、構造上、□荘の一部である上、右階段は□荘2階の各部屋から外へ出るための唯一の通路であることなどに照らせば、被告人の刺突行為は、盗犯等の防止及処分に関する法律1条1項3号にいう「故なく人の住居」に「侵入したる者」の「排斥」の行為と認められる
  • そこで、防衛行為としての相当性についてみるに、被告人の刺突行為の際には、既にBは被告人に背を向けて逃げ出し、階段を下りようとしていたのであるから、Bが被告人の居室に侵入してナイフを被告人に突き付けた時点と比べれば、「現在の危険」が微弱なものになっており、被害者が振り向いて被告人を刺突するほどの強度の危険はなかったものと認められる
  • しかも、被告人は、Bが、被告人の方を振り向くこともなく走り去ろうとしていることを認識していたもので、右のような強度の危険のないことを分かりながら、被害者の背中という身体の枢要部を包丁で強く突き刺したことが認められ、右危険の程度に照らし、被告人の刺突行為は防衛行為としての相当性を欠いていたと言わざるをえない
  • 結局、被告人の行為は、防衛行為の相当性を欠き、盗犯等の防止及処分に関する法律1条1項の正当防衛の適用はなく、刑法36条2項の過剰防衛が成立するに留まる

と判示し、過剰防衛が成立するとしました。

大阪高裁判決(平成9年8月29日)

 突然背後から包丁で背中を刺され、とっさに包丁を奪い取って相手を刺した事案につき、急迫不正の侵害の継続があるとして、過剰防衛の成立を認めた事例です。

 裁判官は、

  • 被告人が被害者Dから包丁を奪い取った後に限ってみれは、Dは、素手の状態であり、包丁を奪い返そうとしたり、新たな攻撃を加えたりするようなこともなく、一方的ともいえる被告人の攻撃(反撃)が行われており、加えて、Dとの間には、体格差、体力差があったというのであるから、被告人がDから包丁を奪い取った時点で、Dによる侵害行為は終了したのではないかとみる余地がないではない
  • しかし、Dが被告人を刺してから被告人が包丁を奪い、Dに反撃を加え、最終的に周りの者から制止されるまでのことは、その場に居合わせた相客や店の経営者らが、ほとんど気付かないかのように、ごく断片的な事象としてしか目撃されていないことからして、極めて短い時間での出来事といわざるを得ず、包丁を奪い取る前後で事態が変わったというよりは、一連の流れ、一体的なものとしてみるのが相当であり、これと、Dからの攻撃は被告人にとって全く予期しないものであったこと、被告人を刺した直後もなお、Dには包丁を構えて向かっていく様子があったことなどをも併せかんがみると、被告人と被害者との間の体格差、体力差を考慮に入れても、被告人がもみ合いの上、包丁を奪い取ったからといって、直ちに被害者の侵害行為は終わったととらえるのは、余りにも形式的な判断であるというべきである
  • そして、Dが包丁を奪われた後も被告人と対峙し続け、Dの方で侵害の意思を放棄するような言動が認められない本件の具体的状況の下では、その侵害の程度は包丁を持っているときと比べて格段に低下したものの、なお侵害行為は続いていると判断するのが相当である
  • そうだとすると、Dが被告人に対し、確定的殺意を有していたか否かや、被告人の受傷が致命傷ともいえる重大なものであったか否かを問うまでもなく、被告人が被害者に対し包丁で突き刺すなどする段階まで、Dによる急迫不正の侵害の継続はあったと認めるのが相当である
  • 被告人はDから何のいわれもなく突如包丁で刺されたのであり、それを知った被告人にDに対する腹立ち、憤り等がなかったとはいえないが、前示のような一連の事態の流れからすると、被告人の行動は、終始、Dに対する反撃であり、そこには、被害者による急迫不正の侵害に対する防衛の意思が強くあったことは明らかであるというべきである
  • 包丁を奪い取った後、一方的に攻撃を加えていることは、興奮のあまりのこととして理解することも可能であり、これをもって防衛の意思がなかったとはいえない

と判示し、過剰防衛が成立するとしました。

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