体罰、パワハラとは「恐怖の条件付け」である

しつけ、指導という名の体罰、パワハラ

 家庭において、親が子どもに対し、暴力を振るっていることが明るみになった時、親は、暴力を振るったのはしつけのためと弁解します。

 職場において、上司が部下に対し、暴言や人格否定などのパワハラを行っていたことが問題になった場合、上司は、パワハラではなく指導であると弁解します。

 しつけ、指導は、正当性のある正しい行為であると社会全体が認識しているので、体罰、パワハラを、しつけ、指導という言葉で押し込んでしまえば、自己を正当化できるわけです。

 体罰、パワハラは、閉鎖的な環境で行われる場合が多く、第三者が介入しにくいことに加え、体罰なのかしつけなのか、パワハラなのか指導なのかを合理的に判断することが難しいため、あいまいなまま問題が流されてしまうケースが多くなります。

 それどころか、立場の強い親、上司の圧力に圧倒されて、立場の弱い子ども、部下は何もすることができず、体罰、パワハラが問題化されないのが実情です。

体罰、パワハラの本質

 そもそも、体罰、パワハラの本質は何なのか。

 私は、体罰、パワハラの本質は、相手に肉体的、精神的な苦痛を与え、恐怖体験を記憶に刻み付けることで、相手を心理コントロールすることにあると考えています。

 体罰、パワハラをする人は、相手に肉体的、精神的苦痛を与えれば、相手を簡単に自分の思うようにコントロールできるようになることを経験から知っています。

 相手がある行動をした時に、相手に肉体的、精神的苦痛を与え、相手の心に恐怖を植え付け、相手がその行動を恐怖心で実行できなくなるように仕向けることを「恐怖の条件付け」といいます。

 体罰、パワハラの本質は、「恐怖の条件付け」にあるといえます。

 なお、しつけ、指導のレベルでも、「恐怖の条件付け」は悪質ではない程度によく行われています。

 親が勉強しない子どもを怒ることも、上司が仕事でミスをした部下を怒ることも、勉強をしなかったり、仕事でミスをしたら怒られるという恐怖を植え付けて、心理をコントロールするものなので、「恐怖の条件付け」になります。

まとめ

 体罰、パワハラを行う人を、「恐怖の条件付け」をして、人を心理コントロールしようとする人だと認識できるようになると良いと思います。

 体罰、パワハラを行う人は、しつけ、指導という正義の言葉を盾にして、あたなを攻撃してきます。

 体罰、パワハラを受けて自分に非があると考えて精神を病むのではなく、恐怖で人の心理をコントロールしようとしてくる相手に非や卑しさがあることに気づいて反発し、または、攻撃をスルーして精神ダメージを受けないようにすることが大切です。

 しつけ、指導も、「恐怖の条件付け」をして、人を心理コントロールしようとするものである場合があるので、ケースに応じて、このしつけや指導は、「恐怖の条件付け」をしようとするものではないかを考えてみることが大切です。

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