前回の記事の続きです。
前回の記事では、中止未遂(中止犯)と障害未遂の違いを説明しました。
今回の記事では、「着手未遂と実行未遂の違い」「殺人未遂罪(着手未遂の場合で中止未遂)の裁判例」を説明します。
殺人罪における中止未遂(中止犯)
殺人罪における中止未遂(中止犯)を説明します。
これから、中止未遂を中止犯と言って説明します。
中止犯は、犯罪の実行に着手した者が
自己の意思により、犯罪を中止したとき
に認められ、必要的に刑が減軽又は免除されます(刑法43条ただし書)。
殺人未遂罪の内容が、傷害罪の既遂が成立するものであっても、殺人未遂罪の中止犯として、刑の免除(刑を軽くすること)ができます。
例えば、Aを殺そうとしてナイフで切りつけたが、Aが腕で防御したため、Aの腕に切り傷を負わせた後、反省の念からAの腕を止血し、病院に運んで医師の手当てを受けさせた殺人未遂罪の中止犯の事案において、Aの腕に切り傷を負わた傷害罪と見た場合は傷害罪の既遂ですが、殺人未遂罪として認定する場合は、殺人未遂罪の中止犯が成立し、刑の免除ができます。
中止犯は、未遂犯の一種であって、犯罪を「中止した」ことが必要なので、被害者の死亡の結果が発生したときは、中止犯の成立の余地はありません。
初めから結果発生の危険性がなかった場合、例えば、心中目的で子供に睡眠薬を飲ませた後、後悔して医者を呼び治療を受けさせたが、飲ませた睡眠薬の量ではもともと死亡する危険はなかったというような場合でも、中止犯の成立を妨げないと解されます。
着手未遂と実行未遂
未遂は、
① 実行行為そのものが終了しなかった場合(着手未遂)
→詳しく説明すると、殺害行為を実行したが、実行した殺害行為が終了していない場合
② 実行行為は終了したが結果が発生しなかった場合(実行未遂)
→詳しく説明すると、殺害行為を実行し、殺害行為を実行しきったが、被害者死亡の結果が発生しなかった場合
とに分けられます。
中止行為は、この区別に従い、
とされます。
殺人未遂罪(未遂内容:着手未遂の場合で中止未遂)の裁判例
今回の記事では、殺人未遂罪(未遂内容:着手未遂の場合で中止未遂)の裁判例を紹介します。
※ 殺人未遂罪(未遂内容:実行未遂の場合で中止未遂)の裁判例は、次回の記事で紹介します。
東京高裁判決(昭和51年7月14日)
被告人B、Cが、Aの殺害を共謀し、Bの意を受けたCが日本刀でAの右肩辺りに1回切りつけ、さらに二の太刀を加えて息の根をとめようとした際、BがCに「もういい、Cいくぞ」と言って次の攻撃を止めさせ、Cもこれに応じて攻撃を断念し、BはDやEにAを病院に連れていくように指示し、病院で治療を受けさせたため、Aの右肩に長さ約22cmの切創を負わせるにとどまった事案です。
裁判官は、B、CのA殺害の実行行為がCの加えた一撃で終了したとは認められず、Cの一撃により出血多量で死亡する危険があったことも認めるに足りる証拠がないとし、本件は着手未遂の場合であるとした上、自己の意思による中止であることも認めて、殺人未遂罪(未遂内容:着手未遂の場合で中止未遂)としました。
東京高裁判決(昭和62年7月16日)
被告人が殺意をもって牛刀で被害者Aの左側頭部付近を切りつけ、Aが左手で防ぐなどしたため左前腕切傷を負わせたが、その直後、Aから「勘弁して下さい。私が悪かった。命だけは助けて下さい。」などと何度も哀願されたため憐憫の情を催して、それ以上の実行行為をしなかった事案で、殺人未遂罪(未遂内容:着手未遂の場合で中止未遂)が成立するとした事例です。
裁判官は、中止未遂を認めるにあたり、原判決が実行未遂であって障害未遂であるとしたのに対し、
- 被告人は被害者を牛刀でぶった切り、あるいは減多切りにして殺害する意図を有していたものであって、最初の一撃で殺害の目的が達せられなかった場合には、さらに追撃に及ぶ意図があったことが明らかであるから、牛刀で一撃を加えたものの、殺害に奏功しなかったという段階では、未だ実行行為は終了しておらず、本件は着手未遂である
旨判示し、殺人未遂罪(未遂内容:着手未遂の場合で中止未遂)が成立するとしました。
名古屋高裁判決(平成19年2月16日)
被害者に自動車を衝突させ、転倒させて動きを止めた上、刃物で刺し殺すとの計画を立て、自動車を被害者に衝突させて傷害を負わせたが、その段階で翻意して刃物で刺すことを断念した事案で、実行行為が完全に終了していないとして殺人未遂罪(未遂内容:着手未遂の場合で中止未遂)を認めた事例です。
裁判官は、
- 被告人は、自動車をAに衝突させてAを転倒させ、その場でAを刃物で刺し殺すという計画を立てていたところ、その計画によれば、自動車をAに衝突させる行為は、Aに逃げられることなく刃物で刺すために必要であり、そして、被告人の思惑どおりに自動車を衝突させてAを転倒させた場合、それ以降の計画を遂行する上で障害となるような特段の事情はなく、自動車を衝突させる行為と刃物による刺突行為は引き続き行われることになっていたのであって、そこには同時、同所といってもいいほどの時間的場所的近接性が認められることなどにも照らすと、自動車をAに衝突させる行為と刺突行為とは密接な関連を有する一連の行為というべきであり、被告人が自動車をAに衝突させた時点で殺人に至る客観的な現実的危険性も認められるから、その時点で殺人罪の実行の着手があったものと認めるのが相当である
- 被告人がAに自動車を衝突させた時点で既に実行の着手は認められ、一定の傷害は発生しているものの、重いものではなく、結果として被害者の生命に危険が生じるほどのものではなかった
- なお、関係証拠によれば、被害者が治癒するまで50日間程度要していることが認められるものの、これは、Aが長く疼痛を訴えたためであって、当初は加療約10日間程度の傷害と診断されていたほどで、結果が軽傷であったとの認定を左右する事情にはならない
- そして、被告人の計画が転倒させた被害者を刃物で刺し殺すというものであったことに照らせば、本件では、実行行為が完全に終了する前に未遂に終わったということができる
- 被告人が被害者を刃物で刺すことを断念した理由、原因は、責任能力に対する判断の過程で認定したとおり、Aへの一種の憐憫の情が湧いたか若しくは自己の行動についての自責の念が起きたためと認めるのが合理的であって、その後の被告人の行動は、刃物を自動車に残したまま降車し、Aに「ごめんなさい。」等の言葉を掛けただけで、Aに暴行や脅迫に及んでいない以上、被告人は自己の意思により殺人の実行行為を途中で中止したものと認めるのが相当である
と判示し、殺人未遂罪(未遂内容:着手未遂の場合で中止未遂)が成立するとしました。
青森地裁弘前支部判決(平成18年11月16日)
被害者から別れ話を持ち出され、考え直すよう迫ったものの拒絶されたため、殺意をもって頸部を強く締めつけて失神させることを数回にわたって繰り返し、被害者が急激に失神した様子を見て死亡したものと誤信し、頸部から手を離したが、その後、大変なことをしてしまったと考え、被害者が呼吸をしていることを確認して未だ死亡していないことを認識しながら、更に頸部を締めるなどの行為に及ばなかった事案です。
裁判官は、
- そのまま被害者を放置しても死の結果は生じなかったことは明らかで、被害者が未だ死亡するにいたっていないことを認識した時点では、殺人の実行行為は終了していない
とし、殺人未遂罪(未遂内容:着手未遂の場合で中止未遂)が成立するとしました。
着手未遂に近い場合としつつ、実行未遂的な要素をも考慮して殺人未遂罪の中止犯(中止未遂)の成立を認めた裁判例
着手未遂に近い場合としつつも、実行未遂的な要素をも考慮し、殺人未遂罪の中止犯(中止未遂)の成立を認めた裁判例があります。
横浜地裁川崎支部判決(昭和52年9月19日)
強度の被害妄想が完治しないままの妻を精神病院から退院させた被告人が、妻を殺害して自殺しようと決意し、ウィスキー瓶で寝ていた妻の左前額部を1回殴り、さらに裁ち鋏の刃先の部分で妻の咽喉部から右頬にかけて十数回突き刺し、電気炊飯器用のコードで頸部を絞めつけたが、出血を見て驚愕するとともに憐憫の情を抱き、その後の行為を止めたため、加療約2週間の左前額部挫創、咽喉部等刺創の傷害を負わせるにとどまった事案です。
裁判官は、
- 本件は強固な殺意に導かれてなされたものではなく、妻に対する憐欄の情等の心理的葛藤の中でためらいながら行われたもので、いずれの攻撃も強度のものでなく、与えた傷害の程度も重大でなかったことなどの事実を考慮し、客観的には殺害可能であったのに、妻をいとおしむ気持ちが先立ち、急所を刺し得ず、決定的な殺害行為に及ばないうちに、自己の意思により止めたものと認めた
- 本件は、着手中止の色彩が強いばかりか、その後、直ちに救急車を呼んでおり結果防止に真摯な努力をしなかったとはいえず、その結果、被害者は確実に死を免れたのであって、その面では実行中止の要素もある
とし、着手未遂に近い場合としつつも、実行未遂的な要素をも考慮し、殺人未遂罪の中止犯(中止未遂)が成立するとしました。
次回の記事に続く
今回の記事では、殺人未遂罪(着手未遂の場合で中止未遂)の裁判例を紹介しました。
次回の記事では、殺人未遂罪(実行未遂の場合で中止未遂)の裁判例を紹介します。
①殺人罪、②殺人予備罪、③自殺教唆罪・自殺幇助罪・嘱託殺人罪・承諾殺人罪の記事まとめ一覧