前回の記事の続きです。
焼損の概念
放火罪、失火罪において、焼損は、
放火罪・失火罪の構成要件的結果であり、その既遂の要件
です。
※ 既遂の説明は前の記事参照
放火罪の既遂時期(独立燃焼説)
放火罪の既遂時期について、学説では、
- 独立燃焼説(放火罪の本質を公共の危険に重きを置いて比較的早い時期に既遂を認める説)
- 効用喪失説(財産的侵害に重きを置いて比較的遅い時期に既遂を認める説)
があります。
判例は、放火罪の既遂時期について、独立燃焼説の考え方をとっています。
独立燃焼説は、
火勢が放火の媒介物を離れて目的物に移り、独立して燃焼作用を継続しうる状態に達したことをもって焼損とし、建造物の焼損の発生により放火罪は既遂に達し、目的物の効用が害されることを必要としない
とする考え方です。
建造物から取り外しが容易にできる畳、建具、家具等のみが燃焼したにとどまるときは、いまだ建造物の独立燃焼とはいえず、放火罪の既遂は成立しない
建造物の
天井板、屋根、庇、板壁などの取り外しの容易でない部分
が燃焼した場合は、建造物に焼損の結果が発生したと認められ、放火罪の既遂が成立します。
しかし、建造物の
畳、建具、家具などの建造物から取り外しが容易にできる部分のみ
を焼損したにとどまるときは、いまだ建造物の独立燃焼とはいえず、建造物に焼損の結果が発生したとは認められず、放火罪の既遂は成立せず、放火罪の未遂の成立が認めら得るにとどまります(最高裁判決 昭和25年5月25日)。
具体的公共危険罪の既遂時期は「公共の危険が発生したとき」である
放火罪でも、具体的公共危険罪(公共の危険が特に犯罪の構成要件として規定されている犯罪→条文に「公共の危険」という文言が記載れている犯罪)である以下の①~⑤の罪については、その既遂時期は、「建造物が焼損したとき」ではなく、
「公共の危険が発生したとき」
とされるので、誤解のないよう申し添えます。
- 犯人の自己所有物件に対する非現住建造物等放火罪(刑法109条2項)
- 建造物等以外放火罪(刑法110条)
- 犯人の自己所有物件に対する失火罪(刑法116条2項)
- 犯人の自己所有物件に対する激発物破裂(刑法117条1項後段)
- ガス漏出罪(刑法118条1項)
独立燃焼説に関する判例
判例は、放火罪の既遂時期の認定について、独立燃焼説の考え方をとっています。
大審院判決(大正7年3月15日)
裁判官は、
- 放火罪は静謐に対する犯罪なれば、いやしくも放火の所為が一定の目的物の上に行われ、その状態が導火材料を離れ、独立して燃焼作用を営み得べき場合においては、公共の静謐に対する危険は、既に発生せるをもって、たとえその目的物をして全然その効用を喪失せしむるにおよばざるも、刑法にいわゆる焼燬(焼損)の結果を生じ、放火の既遂に達したるものといわざるべからず
と判示しました。
大審院判決(明治35年12月11日)
裁判官は、
と判示し、放火罪の既遂時期について独立燃焼説を採用する立場をとりました。
大審院判決(明治43年3月4日)
裁判官は、
- 刑法第108条にいわゆる焼燬(焼損)とは、犯人のとぼしたる火がその媒介物たる燃料を離れ、建造物その他同条列記の物件に移り、独立してその燃焼が継続する事実を指称す
- 従って、これらの目的物が焼燬のため、その存在を亡失するに至ることは、放火罪の既遂となる条件にあらず
と判示しました。
大審院判決(昭和9年11月30日)
裁判官は、
- 人の住居に使用する建造物を焼燬(焼損)する罪の既遂たるには、火が犯人の共用したる媒介物より建造物の一部に延焼し、爾後、該媒介物の火力を借らざるも、独立して建造物焼燬の作用を継続し得る状態にあるをもって足るものとす
と判示しました。
裁判官は、
- 原判決はその挙示する証拠を総合して、被告人が原判示家屋の押入れ内壁紙にマッチで放火したため、火は天井に燃え移り右家屋の天井板約1尺4方を焼燬(焼損)した事実を認定しているのであるから、右の事実自体によって、火勢は放火の媒介物を離れて家屋が独立燃焼する程度に達したことが認められるので、原判示の事実は放火既遂罪を構成する事実を充たしたものというべきである
- されば、原判決が右の事実實に対し、刑法第108条を適用して放火既遂罪として処断したのは相当である
と判示しました。
焼損の結果の発生を認めた限界的事例
どの程度の焼損であれば、焼損の結果が発生した認められ、放火罪の既遂が認められるかが疑問になります。
そこで、一般建造物(コンクリートビルなどの難燃性建造物ではない建造物)に対し、判例が焼損の結果の発生を認めた限界的事例を挙げます。
- 住宅の屋根横約121cm、縦182cm、屋根下桁木121cmを焼いた場合に、焼損の結果の発生を認め、放火罪の既遂を認定しました(大審院判決 明治43年3月4日)
- 屋根長さ約30cm、約25cm、幅約121cmほどを焼いた場合に、焼損の結果の発生を認め、放火罪の既遂を認定しました(大審院判決 大正5年9月19日)
- 便所入口の板戸の経約60cmとこれに取り付けてある約3cm角の柱の下方31cmほどを焼いた場合に、焼損の結果の発生を認め、放火罪の既遂を認定しました(大審院判決 昭和6年2月12日)
- 住宅の板壁約6平方メートルを焼いた場合に、焼損の結果の発生を認め、放火罪の既遂を認定しました(大審院判決 昭和7年5月5日)
- 住宅押入れの天井板約1m四方を焼き抜き、その上部の屋根裏約6.6平方メートルを燻焼(くんしょう)させた場合に、焼損の結果の発生を認め、放火罪の既遂を認定しました(大審院判決 昭和7年12月9日)
- 台所の柱、外囲板及び屋根裏の一部を焼いた場合に、焼損の結果の発生を認め、放火罪の既遂を認定しました(大審院判決 昭和8年9月16日)
- 住宅の柱、庇、庇受けの一部を焼いた場合に、焼損の結果の発生を認め、放火罪の既遂を認定しました(大審院判決 昭和9年11月30日)
- 家屋の押入れ内壁紙に放火して、天井板約30cm四方を焼いた場合に、焼損の結果の発生を認め、放火罪の既遂を認定しました(最高裁判決 昭和23年11月2日)
- 家屋の一部である3畳間の床板約30cm四方、押入れ床板及び上段各約1m四方を焼いた場合に、焼損の結果の発生を認め、放火罪の既遂を認定しました(最高裁判決 昭和25年5月25日)
- 屋根裏を全部で目測約6.6平方メートルほど焼いた場合に、焼損の結果の発生を認め、放火罪の既遂を認定しました(東京高裁判決 昭和30年2月28日)
- 二重になった羽目板の外部が約48cm~84cmの幅で、高さ約3mの屋根庇まで焼け、内張り板が一部家屋の内側に焼け抜けた場合に、焼損の結果の発生を認め、放火罪の既遂を認定しました(東京高裁判決 昭和32年7月4日)
- 屋根板のうち長さ約23cm、幅約5cmの部分と長さ約8cm、幅約10cmの部分の2箇所を焼いた場合に、焼損の結果の発生を認め、放火罪の既遂を認定しました(東京高裁判決 昭和34年2月23日)
- 根太の上に置かれただけで釘付けされていない床板の一部と床の間の床枠の一部を焼いた場合に、焼損の結果の発生を認め、放火罪の既遂を認定しました(東京高裁判決 昭和34年11月5日)
- 居室の引き戸に接する柱の一部を約1ミリの深度に、引き戸の敷居を長さ約25センチほど約3ミリの深度に、それぞれ炭化させた場合に、焼損の結果の発生を認め、放火罪の既遂を認定しました(東京高裁判決 昭和37年5月30日)
- 家屋の土台木のうち約0.034平方メートルを深さ3~7ミリにわたり炭化させた場合に、焼損の結果の発生を認め、放火罪の既遂を認定しました(東京高裁判決 昭和39年3月19日)
焼損の結果の発生を否定した事例
焼損の結果の発生を否定し、独立燃焼に至らないとされた事例として、以下のものがあります。
- 枯茅をこたつに押し込み点火したが、こたつやぐら、布団、畳などの建具類が焼失したほかは、なげし、壁代用のベニヤ板の一部を焦がした程度で、その少部がわずかに炭化しただけにすぎず、独立燃焼の程度に達していないとし、現住建造物等放火罪の既遂は成立せず、現住建造物等放火未遂罪が成立するとしました。
- 壁の窓の外部に釘付けされた換気用網戸の外枠の下枠12.3cm、縦枠2.3cmの部分が炭化したものの、ガソリンを浸した脱指綿が炎を上げて落下する際にこれと接触して燃え上がり、そのうち自然に消えた程度の火勢であり、未だ独立燃焼の程度に達していないとし、現住建造物等放火罪の既遂は成立せず、現住建造物等放火未遂罪が成立するとしました。
- 厚さ3mmの板壁に穴があく程度燃焼していても、これが導火材料である紙くず入り炭俵の火力によって燃焼し、炭俵が燃え尽きるとともに自然に鎮火した場合は、独立燃焼の程度に達していないとしました。
- 火炎瓶を投げ、そのガソリンの燃焼により自動車の運転台座席被覆の一部を焼損したが、自動車自体に燃え移り、自動車自体が独立燃焼の程度に達しないときは、刑法110条の放火罪(建造物等以外放火罪)は成立しないとしました(最高裁判決 昭和33年9月16日)
難燃性建造物に対する放火罪の既遂時期
難燃性建造物(コンクリートビルなどの燃えにくい建造物)の焼損の時期についても、判例は独立燃焼説に従って判断しています。
難燃性建造物であっても、敷居、窓枠などの建造物の一部を構成する木製の可燃部分がある以上、建造物放火罪の客体となります。
難燃性建造物について独立燃焼を肯定して放火罪の成立を認めた事例として、以下のものがあります。
東京高裁判決(昭和52年3月31日)
新宿駅東口派出所は、鉄筋コンクリート造りの新宿駅ビルの北東隅にあり、外壁はブロック製、柱はステンレス製、1、2階の天井・内壁はコンクリート製であるが、敷居、なげし、階段下の部分、押入れ、畳の周囲の板敷、送風口外側の枠等は木製で、毀損しなければ取り外しができないもので、建造物の一部といえるから、これら派出所の木製の構成部分に燃え移る蓋然性がある以上、放火罪の客体となるとしました。
東京高裁判決(昭和52年5月4日)
新宿駅ビルの一部であるコンクリート造りで2階建不燃性建造物の警察署派出所に対して放火したが未遂にとどまった事案で、同派出所を独立の建造物と認定し、同派出所に対する現住建造物等放火未遂罪が成立するとしました。
裁判官は、
- 新宿駅東ロ派出所は新宿駅ビルの一部をなすコンクリート造りのニ階建不燃性建造物であるが、その内部は、一階に見張所と事務室の境にある敷居、鴨居、階段下の木造部分、一階東側の窓枠と窓の桟、ニ階に送風ロの枠、排水管のおおい、床の一部、押入等、建造物の一部を構成すると認められる木製の可燃部分があり、その他一階には片面板張りの引戸、書類、地図、木製腰掛、木箱等、ニ階には畳、布団、扉等の可燃物があったことが認められる
- ところで、右派出所内に火炎びんを投入した場合、その火炎は、直ちに又は右の可燃物に引火することによって、ニ階の右建造物の一部をなす木製部分に燃え移って、これを独立して燃焼させうるものであることは十分認められるところであるから、前記木製部分を取りはずし、交換の可能な付属物であるとし、これらは建造物の一部ではないことを前提として、東ロ派出所が放火罪の客体となりえない旨の所論主張(※弁護人の主張)は肯認できない
と判示し、現住建造物等放火未遂罪が成立するとしました。
札幌高裁判決(昭和47年12月19日)
北海道大学本館建物を火えん瓶で放火した事案につき、鉄筋コンクリート造りの堅固な建物であるからといって、その重要部分が燃え始めるとか、建物としての効用を失う程度に達することを要しないとしました。
東京高裁判決(昭和49年10月22日)
難燃性建造物の一部である可燃部分が独立に燃焼するころには、これが木造家屋に比し燃えにくい点からみて、火勢がかなり強くなっていることが多く、木造家屋と同様、他の可燃部分や可燃性の物件に燃え移る危険は大きいと思われ、難燃性建造物においても、その可燃部分が独立燃焼に至れば公共の静謐を害するという点では、木造家屋の場合と特に区別する必要がないとした上、東京大学工学部列品館の木製窓枠及び階段木製手すりを焼失あるいは炭化させた以上、放火罪は既遂となるとしました。
12階建集合住宅のマンション内部の設置されたエレベーターのかご内で、ガソリンをしませた新聞紙に点火して放火し、かごの側壁として使用されている化粧鋼板の表面の化粧シート(厚さ0.1~0.2ミリの塩化ビニール樹脂シートを主体とするもの)約0.3平方メートルを溶解、気化させて燃焼させ、一部は炭化状態にさせ、一部は焼失させた事案につき、マンション全体の現住建造物等放火罪が成立するとしました。
東京地裁判決(昭和38年5月13日)
客体は物置であり、難燃性建造物ではありませんが、その一部として張り出されたタキロン波板と称する塩化ビニール製庇約1.65平方メートルを焼損した事案で、裁判官は、
- 右波板は他の媒介物を離れては、独自に炎を出して燃焼しないという性質を有する塩化ビニール製建築材料であることが認められるが、同時に全くの不燃物でもない以上、熱に弱い性質を具有しており、放火により、変形変色し、物置の重要部分である庇としての使用に堪えない状態に至らしめたものであるから、焼損したものと解すことができ、このように解しても独立燃焼説をとる判例の趣旨に反しない
としました。
上記裁判例とは反対に、難燃性建造物について独立燃焼を否定した事例として以下の裁判例があります。
東京地裁判決(昭和59年6月22日)
地下4階、地上15階建ビルの東京交通会館の地下2階にある塵芥処理場の塵芥に放火し、コンクリート内壁表面モルタルの剥離・脱落及び天井表面に吹き付けた石綿の損傷・剥離などの焼損をもたらした事例につき、未だ独立燃焼の程度に達していないとして、現住建造物等放火罪の既遂ではなく、現住建造物等放火未遂罪を認定しました。
次回の記事に続く
次回の記事では、
刑法115条の差押え等に係る自己の物に関する特例
を説明します。