正解は最初から存在しない
「平気でうそをつく人たち(M・スコット・ペック著)」という本において、科学的知識の定義について、以下のように書かれていました。
われわれは科学を「真理」と見なすように習慣づけられている。
現実には、科学的知識といわれているものは、ある特定の専門領域で研究を行っている科学者たちの多数の判断によって、いま現在身近にあるものの中では最も真理に近いとされているもの、というだけのことである。
平気でうそをつく人たち(M・スコット・ペック著、草思社文庫)
科学的知識とは、確かな答えだと思っていましたが、どうやらそうではないようです。
科学ですら、確かな答えにたどり着かないのだから、私たちが、会社や私生活の中で問題解決のために求める答えについても、確かな答えにたどり着くはずがありません。
考え抜いた結果、「これが正解なんじゃね?」というところまで詰めて出した答えが私たちが出せる正解の限界です。
私たちの頭脳は、確かな答えを出せるほど万能ではなく、私たちが出せる正解は、頑張っても科学と同等の「もっとも正しい答えに近いとされるもの」程度ということです。
正解はどうやって作るのか
真理に至る正解なんてだれにも出すことができません。
出せる答えのクオリティは、「もっとも正しい答えに近いらしい」という程度のものです。
結局、正解なんて誰にも分からないのです。
「これが正解っぽい」という答えを出して終わりです。
「これが正解っぽい」という答えを、正解として認定して前にコマを進めているだけです。
とすれば、正解を作るのは、「これが正解っぽい」という答えを正解として認定する人、すなわち、正解の決定権者(権力者)です。
正解の決定権者が「このが正解っぽい答えが正解だ!」と言えばそれが正解になります。
部下に正解を出せと言ってくる上司は無理ゲーを強いているのと一緒
部下に正解を求める上司は、部下に無理ゲーを求めているのと一緒です。
部下は「これ正解っぽい」という答えを出すところまでが限界です。
上司は、決定権のある立場から、部下が出した「これ正解っぽい」という答えを正解として認定するのが仕事です。
もし、部下が出した「これが正解っぽい」という答えを不十分だとして正解として認定できないのであれば、上司自身が「これが正解っぽい」として考え出している答えを正解として認定すればよいのです。
または、部下を指導して、上司自身が考えている「これが正解っぽい」という答えを部下が出せるように導いて、再度、部下に「これが正解っぽい」という答えを出させてもよいでしょう。
ここで最悪なのが、上司自身が「これが正解っぽい」という答えを出せていないパターンです。
このパターンの場合、部下は、上司が満足いくその時まで、「これが正解っぽい」という答えを何個も何個も作って出し続けなければなりません。
部下には、「これが正解っぽい」という答えを正解として認定する決定権がないので、これは先の見えない無理ゲーです。
「これが正解っぽい」という答えを正解として認定する上司などの決定権者は、「これが正解っぽい」という答えを自分自身で出しておく必要があります。
それができる能力がないのであれば、決定権者の立場にいる資格はありません。