「ピークエンドの法則」と「持続時間の無視」
物語というのは、重大な出来事や、記憶に残る瞬間を紡ぐものであって、時間の経過(時間の長さ)を追うものではありません。
ドラゴンボールやワンピースで、1~2年間の修行を経て、いきなり強くなって、強敵を倒すというストーリー展開がありますが、読者としては、問題なく読むことができます。
なぜなら、物語というのは、出来事の瞬間を紡ぐものだからです。
物語において、時間の経過(時間の長さ)の無視はごく普通のことです。
多くの場合、感情が動く瞬間(ピーク時)と、エンディング(エンド時)が物語の性格を決定づけます。
これは、人間の脳が、物語や出来事において、感情が動く瞬間(ピーク時)と、最後の瞬間(エンド時)を記憶として保存するメカニズムになっているためです。
物語や出来事のピーク時とエンド時を記憶する脳の活動法則を、「ピークエンドの法則」といいます。
ピークエンドの法則は、時間の経過(時間の長さ)を評価の対象外にします。
時間の経過(時間の長さ)を評価の対象外にする働きを、「持続時間の無視」といいます。
「ピークエンドの法則」と「持続時間の無視」が人生の評価を支配する
「ピークエンドの法則」と「持続時間の無視」は、人生という物語にも当てはまります。
心理学者エド・ディーナーは、「ピークエンドの法則」と「持続時間の無視」が、人生の評価を支配することについて調べました。
実験
まず、ジェンという名前の架空の人物の人生を設定する。
ジェンは、子供のいない独身女性であり、その人生は、ある日、自動車事故で少しも苦しまずに即死するというものである。
その上で、ジェンの人生は、第一シナリオと第二シナリオが用意されている。
第一シナリオでは、ジェンは、仕事や旅行を楽しみ、大勢の友人もあり、趣味にいそしむなどし、とても幸せな一生を送り、30歳または60歳で死ぬ。
第二のシナリオでは、そこに5年が加わり、35歳または65歳で死ぬ。
その5年間もまずまず楽しくはあるが、以前ほどではない。
被験者は、ジェンの人生の物語を読んだ上で、次の二つの質問に答える。
- ジェンの人生を全体として見たとき、どのくらい好ましく思いますか?
- ジェンが人生で経験した幸せ、または幸せの総量は、どの程度だと思いますか?
結果は、「ピークエンドの法則」と「持続時間の無視」が働いている証拠を明らかに示すものとなりました。
第一シナリオについて
ジェンの寿命が、30歳から60歳の倍になっても、人生の総合的な好ましさにも、幸せの総量の評価にも、まったく影響を及ぼしませんでした。
このことから、ジェンの人生は連続した時間としてではなく(持続時間の無視)、象徴的な時間によって代表されることが分かりました(ピークエンドの法則)。
第2シナリオについて
とても幸せな人生に「以前ほど幸せではない」5年間が加わっただけで、被験者は幸せの総量を大幅に減らしました。
大半の人が、この5年間のせいでジェンの人生は台無しなった、という直感的な判断を下しました。
人生全体の直感的な評価は、ピークエンドに左右され、持続時間は無視されました。
実験から分かること
この実験から分かることは、人生の評価とは、出来事の総和では決まらないということです。
言い換えると、人生の評価は、最後に起こった代表的な出来事で決まるということです。
人生中盤における幸せの総量が多くても、人生の最後が幸せでなければ、人生全体の評価は幸せではなかったという認知になるのです。
「ピークエンドの法則」、「持続時間の無視」の原則どおりの結末です。
評価は代表的な出来事で決まる
物語、人生の評価のほか、
- 職場における仕事の評価
- 人間関係における人間性の評価
など、さまざまな評価において、感情が動く瞬間(ピーク時)や最後の瞬間(エンド時)の出来事が強く記憶に残り、意識され、全体の評価になります(ピークエンドの法則)。
感情が動く瞬間(ピーク時)や最後の瞬間(エンド時)以外の出来事は、そこに膨大な時間が費やされており、評価されるべき出来事であっても、特別に意識が向けられない限りは、無視されます(持続時間の無視)。
残酷ですが、評価は代表的な出来事で決まるということです。
評価者がバカであればあるほど、評価は代表的な出来事で決まってしまいます。
他者評価のほか、自己評価も、「ピークエンドの法則」と「持続時間の無視」の原則に支配されています。
自分自身の人間性や、これまでの人生を評価しようとしたときに、記憶から思い出される評価材料は、感情が動いた出来事や、最後に起こった出来事になってしまいます。
感情が動いた出来事や、最後に起こった出来事でないと、記憶を喚起できる状態で覚えていないからです。
インパクトのない出来事は、記憶が喚起できる状態で保存されないため、思い出せないのです。
人は、感情が動いた出来事や、最後に起こった出来事に踊らされて、歪んだ価値判断をしながら、日々生きているのです。