刑法(業務上過失致死傷罪)

業務上過失致死傷罪(5) ~信頼の原則③「信頼の原則が適用される範囲(信頼の原則を基礎付ける条件が整っていない場合、相手方の不適切な行動について、予測が可能な場合)」を判例で解説~

 前回の記事の続きです。

 信頼の原則の適用範囲について類型を作って整理すると、

  1. 加害者(被告人)が交通法規に違反している場合
  2. 信頼の原則を基礎付ける条件が整っていない場合
  3. 相手方の不適切な行動について、予測が可能な場合
  4. 相手方が泥酔者、幼児、老人などで通常の判断能力を期待し得ない場合

となります。

 今回の記事では、

② 信頼の原則を基礎付ける条件が整っていない場合

③ 相手方の不適切な行動について、予測が可能な場合

について説明します。

② 信頼の原則を基礎付ける条件が整っていない場合

 信頼の原則を基礎付ける条件が整っていない場合(分かりやすくいうと、被告人に信頼の原則の適用するふさわしさがない場合)、相手に落ち度があったとしても、被告人に信頼の原則が適用されず、被告人の過失(注意義務違反)が認定され、業務上過失致死傷罪(刑法211条前段)の成立が認められ得ます。

 参考となる判例として、以下のものがあります。

最高裁決定(平成16年7月13日)

 自動車を運転する被告人は、信号機の設置された交差点の手前で対面信号が青から黄色に変わったので、信号の変わり目の間に右折しようと考え、停止線を越えたあたりで信号が赤色に変わるのを見ると同時に高速で対向直進してくる被害者運転の自動二輪車のライトを一瞬見たが、対向車線の対面信号も赤色に変わって同車がこれに従って停止するものと思い込み、同車の動静を注視せずに右折進行して衝突した(実際には、対面信号は時差式であり、被害車両は青信号に従って進行していた)業務上過失致死罪(現行法:過失運転致死罪)の事案です。

 裁判官は、

  • 被告人はA車が本件交差点に進入してくると予見することが可能であり、その動静を注視すべき注意義務を負うとした原判断(※原審の裁判所の判断)は、相当である
  • (被告人の弁護人は、)本件交差点に設置されていた信号機がいわゆる時差式信号機であるにもかかわらず、その旨の標示がなかったため、被告人は、その対面信号と同時にA車の対面信号も赤色表示に変わりA車がこれに従って停止するものと信頼して右折進行したのであり、そう信頼したことに落ち度はなかったのであるから、被告人には過失がないと主張する
  • しかし、自動車運転者が、本件のような交差点を右折進行するに当たり、自己の対面する信号機の表示を根拠として、対向車両の対面信号の表示を判断し、それに基づき対向車両の運転者がこれに従って運転すると信頼することは許されない

と判示しました。

③ 相手方の不適切な行動について、予測が可能な場合

 相手方が速度超過などの不適切な行動に出たとしても、交通状況において、そのような行動に出ることが既成事実化している場合など、容易に相手が不適切な行動にでることが予測可能な場合には、相手に落ち度があったとしても、被告人に信頼の原則が適用されず、被告人の過失(注意義務違反)が認定され、過失運転致傷罪の成立が認められる場合があります。

 参考となる判決として、以下のものがあります。

東京高裁判決(平成10年12月1日)

 交通閑静な住宅街にある交通整理の行われていない見通しの悪い十字路交差点で、一時停止の標識に従って停止線で一時停止した車両が、発進進行した際、これと交差する一方通行路を時速約30キロメートルで逆走してきた原動機付自転車と衝突した事案です。

 裁判官は、

  • 一方通行の規制があるからといって、信頼の原則により右方道路の交通の安全だけを確認すれば足りるというものではなく、軽車両あるいは規制無視の逆走車両の交通もあり得ることを予想して、左方道路の交通の安全も確認すべき注意義務があるというべきである
  • したがって、被告人は、左右道路の安全確認が可能な地点、すなわち、自車の運転席が一時停止線を越えて約2メートル前進した地点においても、左方道路の交通の安全を確認すべきであったにもかかわらず、一時停止した位置で左右を確認したことと、運転席がわずかに一時停止線を越えた地点で右方道路の交通状況を確認しただけで交差点を通過しようとしたものとして、交通安全を確認すべき注意義務を十分に尽くさなかったことになる

と判示し、被告人が、当該交差点付近を何回も通行したととがあること、自転車等の軽車両は一方通行の規制からはずされていることを認識していたこと、軽車両以外の車両の逆走を目撃したことがあることから、軽車両あるいは規制無視の逆走車両の交差点への進入もあり得ることを予想して、左右道路の交通の安全を確認して交差点を通過すべき業務上の注意義務があるとして、信頼の原則の適用を否定し、業務上過失致傷罪(現行法:過失運転致傷罪)が成立するとしました。

次回の記事に続く

 次回の記事では、信頼の原則の適用範囲の類型である

  1. 加害者(被告人)が交通法規に違反している場合
  2. 信頼の原則を基礎付ける条件が整っていない場合
  3. 相手方の不適切な行動について、予測が可能な場合
  4. 相手方が泥酔者、幼児、老人などで通常の判断能力を期待し得ない場合

のうち、

④ 相手方が泥酔者、幼児、老人などで通常の判断能力を期待し得ない場合

について説明します。

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