刑法(業務上過失致死傷罪)

業務上過失致死傷罪(4) ~信頼の原則②「信頼の原則が適用される範囲(加害者(被告人)が交通法規に違反している場合)」を判例で解説~

 前回の記事の続きです。

『信頼の原則』が適用される範囲

 被害者などの相手に不適切な行動があったとしても、常に『信頼の原則』が適用されるわけではありません。

 『信頼の原則』の適用を認める判決において、相手が適切な行動をすることが期待できない場合(言い換えると、相手が適切な行動をしないことを予測できる場合)は、相手の行動を予見して回避する義務が生じるとしています。

 つまり、相手が不適切な行動をしてきたとしても、相手が不適切な行動をすることが予測できるのであれば、それを回避しなかった場合、過失が認められ、業務上過失致死傷罪の成立が認められ得るということです。

 参考となる判決として、以下のものがあります。

東京高裁判決(平成21年5月11日)

 普通貨物自動車を運転して信号機により交通整理が行われている交差点を直進する際、対向車線から同交差点を右折して進行しようとした普通自動二輪車と衝突した事案です。

 裁判官は、

  • 双方の進路からすれば、道路交通法上、被害者車両には被告人車両の進行妨害をしてはならない義務があるのであるから、優先関係にある被告人においては、被害者車両を発見したとしても、通常は、被害者車両は被告人車両の進行妨害となるような運転をしないものと期待して、被害者車両の動静に注意しつつ進行すれば足りる

と一般的に信頼の原則が適用される場面であるとした上で

  • 被告人において被害者車両が被告人車両の進路に進入しようとしていることを認識し、又はこれを予測できたなど、被告人において被害者車両が被告人車両の進行妨害となるような運転をしないものと期待することが相当でない特段の事情が認められる場合に初めて、衝突回避が可能であることを前提として、被告人に衝突回避の措置をとるべき自動車運転上の注意義務が発生する

としました。

 この判決がいうような信頼の原則の適用の範囲を画する「特別の事情」の有無は、個別の事件ごとに判断されることになります。

 信頼の原則の適用範囲について類型を作って整理すると、

  1. 加害者(被告人)が交通法規に違反している場合
  2. 信頼の原則を基礎付ける条件が整っていない場合
  3. 相手方の不適切な行動について、予測が可能な場合
  4. 相手方が泥酔者、幼児、老人などで通常の判断能力を期待し得ない場合

となります。

 まずは、「① 加害者が交通法規に違反している場合」について説明します。

① 加害者(被告人)が交通法規に違反している場合

 加害者(被告人)が信頼の原則の適用を受け、過失が否定されるためには(注意義務違反はなかったとされるためには)、加害者が行為者としてなすべき法令上の注意義務をすべて履行していること(加害者に法律違反がないこと)が必要かどうかというの問題があります。

 この点が特に問題となるのが、自動車事故について、運転者である被告人が交通法規に違反していた場合です。

 判例は、被告人に交通法規違反があり、事故との間に条件関係があっても、違反が事故発生の直接原因になっていないような場合には、被告人に交通法規違反があったというだけの理由で、信頼の原則の適用を排除し、被告人の過失(注意義務違反)を認め、業務上過失致死傷罪の成立を認めるという立場はとっていません。

 交通法規違反が事故に寄与した程度を考慮し、被告人の交通法規違反を含めた行動に照らし、信頼の原則を適用することが妥当か否かを判断しています。

 この点を示した判例として、以下のものがあります。

最高裁判決(昭和42年10月13日)

 被告人が原動機付自転車を運転し、当時の道路交通法に違反した方法で右折した際に、被告人の後ろから、交通法規に違反して高速でセンターライン右側にはみ出して追い越そうとした被害者運転の原動機付自転車に衝突し、被疑者を死亡させとして起訴された業務上過失致死罪(現行法:過失運転致死罪)の事案です(判決結果は無罪)。

 裁判官は、

  • 車両の運転者は、互いに他の運転者が交通法規に従って適切な行動に出るであろうことを信頼して運転すべきものであり、そのような信頼がなければ、一時といえども安心して運転をすることはできないものである
  • そして、すべての運転者が、交通法規に従って適切な行動に出るとともに、そのことを互に信頼し合って運転することになれば、事故の発生が未然に防止され、車両等の高速度交通機関の効用が十分に発揮されるに至るものと考えられる
  • したがって、車両の運転者の注意義務を考えるに当たっては、この点を十分配慮しなければならないわけである
  • このようにみてくると、本件被告人のように、センターラインの若干左側から、右折の合図をしながら、右折を始めようとする原動機付自転車の運転者としては、後方からくる他の車両の運転者が、交通法規を守り、速度をおとして自車の右折を待って進行する等、安全な速度と方法で進行するであろうことを信頼して運転すれば足り、本件A(被害者)のように、あえて交通法規に違反して、高速度で、センターラインの右側にはみ出してまで自車を追越そうとする車両のありうることまでも予想して、右後方に対する安全を確認し、もって事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務はないものと解するのが相当である
  • なお、本件当時の道路交通法34条3項によると、第一種原動機付自転車は、右折するときは、あらかじめその前からできる限り道路の左端に寄り、かつ、交差点の側端に沿って徐行しなければならなかったのにかかわらず、被告人は、第一種原動機付自転車を運転して、センターラインの若干左側からそのまま右折を始めたのであるから、これが同条項に違反し、同121条1項5号の罪を構成するものであることはいうまでもないが、このことは、右注意義務の存否とは関係のないことである

と判示し、被告人が交通違反をしたことは認められるが、そのことを理由に信頼の原則が排除されるものでないとし、同じく交通違反をして追い越しをしてきた被害者の行動を予見して事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務は被告人にはなかったと述べ、業務上過失致死罪の成立を否定し、無罪を言い渡しました。

最高裁判決(昭和45年11月17日)

 被害者運転の自動二輪車が交差点の一時停止の場所で停止しないまま交差点内に進入してきたところ、被告人運転の貨物自動車が被害者に接触し、被害者を死亡させた業務上過失致死罪(現行法:過失運転致死罪)の事案です(判決結果は無罪)。

 裁判官は、

  • 本件被告人のように、交差する道路(優先道路を除く。)の幅員より明らかに広い幅員の道路から、交通整理の行なわれていない交差点には入ろうとする自動車運転者としては、その時点において、自己が道路交通法17条3項(※自転車道を通行した違反)に違反して道路の中央から右の部分を通行していたとしても、右の交差する道路から交差点に入ろうとする車両等が交差点の入口で徐行し、かつ、自車の進行を妨げないように一時停止するなどの措置に出るであろうことを信頼して交差点にはいれば足りる
  • 本件A(被害者)のように、あえて交通法規に違反して、交差点に入り、自車の前で右折する車両のありうることまでも予想して、減速徐行するなどの注意義務はないものと解するのが相当である

と判示し、被告人に自転車道を通行した交通違反があるとしても、それが理由が信頼の原則が排除されない趣旨の考え方をとり、被告人に注意義務違反はなかったとして、業務上過失致死罪の成立を否定し、無罪を言い渡しました。

最高裁判決(昭和45年12月22日)

 被告人が法定速度を超過して自動車を運転して交差点に進入し、一時停止すべきところ、一時停止しないまま交差点に進入してきた被害者運転車両と衝突し、被害者を死亡させた業務上過失致死罪(現行法:過失運転致死罪)の事案です(判決結果は、業務上過失致死罪につき無罪)。

 裁判官は、

  • 本件被告人のように、交差する左方の道路で、しかも、交差する道路(優先道路を除く。)の幅員より明らかに広い幅員の道路から、交通整理の行なわれていない交差点にはいろうとする自動車運転者としては、その時点において、自己が道路交通法68条に違反して時速80キロメートルで運転をしていたとしても、交差する右方の道路から交差点にはいろうとする車両等が交差点の入口で徐行し、かつ、自車の進行を妨げないように一時停止するなどの措置に出るであろうことを信頼して交差点にはいれば足る
  • 本件被害者のように、あえて交通法規に違反して、交差点に入り、無謀に自車の前を横切る車両のありうることまでも予想して、減速徐行するなどの注意義務はないものと解するのが相当である
  • そうとすると、本件業務上過失致死の公訴事実について、被交通法規と過失処罰の規定は、その目的を異にしており、信頼の原則の適用の場面においても、交通法規違反の有無から直ちに信頼の原則の適用の有無が決せられるものではない

と判示し、被告人に速度違反があったとしても、それが理由が信頼の原則が排除されない趣旨の考え方をとり、被告人に注意義務違反はなかったとして、業務上過失致死罪の成立を否定し、無罪を言い渡しました。

次回の記事に続く

 次回の記事では、信頼の原則の適用範囲の類型である

  1. 加害者(被告人)が交通法規に違反している場合
  2. 信頼の原則を基礎付ける条件が整っていない場合
  3. 相手方の不適切な行動について、予測が可能な場合
  4. 相手方が泥酔者、幼児、老人などで通常の判断能力を期待し得ない場合

のうち、

② 信頼の原則を基礎付ける条件が整っていない場合

③ 相手方の不適切な行動について、予測が可能な場合

について説明します。

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