情報の内容に関心を示すが、情報源に関心を示さない
人は、
- 情報の内容に関心を示すが、情報源には、しかるべき関心を示さない
ことについて書きます。
例えば、ニュース番組の専門家の意見を聞くシーンで、「国際科学研究所の理事長が言うには〇〇です」という解説があった場合、その研究所が何なのか分からなくても、 ‶ へ~、そうなんだぁ ″ と納得します。
人は、情報の内容に真っ先に飛びつきます。
情報の内容に、矛盾や、おかしなところがなければ、ある程度信じます。
情報の内容に、矛盾や、おかしなところがあった場合は、疑り深く吟味することもあります。
しかし、情報の内容ではなく、情報源の方に注意を向け、疑り深く吟味することは稀です。
上の例でいえば、ほとんどの人は、国際科学研究所が何なのか、報道機関がどのような情報の仕入れ方をしているかなどを、深掘りして知ろうとはしません。
情報源の無視
『300人の高齢者を対象に電話調査を行ったところ、内閣の支持率は60%でした。』
という文章を読み、「高齢者は、内閣を支持しているでしょうか?」と問われたら、どのような答えが思い浮かびますか。
・・・
ほとんどの人は、 ‶ 高齢者は、内閣を支持している ″ という回答が頭に浮かんだことと思います。
しかし、その答えが浮かんだ人は、
- 標本数が300であること
- 調査が電話で行われていること
を無視して、答えを出してしまっています。
『内閣の支持率は60%』という情報の内容に関心が向いてしまったため、『標本数が300』『調査が電話』という情報源の信用性は、吟味することなく、無視してしまったということです。
情報源に関心が向かない人は、仮に、文章に記載される標本数が150や3000だったとしても、‶ 高齢者は、内閣を支持している ″ という同じ回答に着地すると考えられます。
情報源に関心が向いていないのであれば、情報源に使われる数値が変わっても、導き出される答えに影響がないからです。
上の文章に対して、情報源の信用性に関心がいった人は、「標本数、調査場所、調査方法によって結果は変わるため、高齢者が内閣を支持しているとは一概には分からない」といった答えに思い至ることができます。
情報源を疑わないのは、脳が楽をしたいから
脳は、楽をしたがる臓器です。
そのため、複数の解釈が可能だったとしても、複数の解釈をするといった しんどい作業 は避けます。
情報源を疑えば、複数の解釈が可能になってしまうので、脳にとってはNGです。
情報源は疑わずに、情報の内容から、つじつまの合う筋書きをすらすらと作ってしまえば、脳が楽をできます。
楽をしたがる脳は、情報の内容がすぐに嘘と分かるものでない限り、それが正しいものとして見なしてしまいます。
まとめ
人は、情報の内容に関心を示すが、情報源には関心を示さないという思考傾向を持ちます。
そのことを理解し、時に、情報源を疑う思考ができることが大切です。