前の記事の続きです。
刃物を用いた場合の殺意の認定
刃物を用いた殺人は、よく見られる犯行形態であり、殺意の有無が争われる事例も多いです。
刃物を用いた殺人の殺意の有無を認定するに当たり、
- 刃物の種類・形状・用法
- 被害者の創傷の部位・程度
が重要な要素となります。
致命傷を生じさせるに足りる形状・性能を有する刃物で、身体の枢要部に重大な刺切創を負わせる行為は、殺意を認定するについてプラスの要素となり、特別の事情のない限り、少なくとも未必の殺意の存在を推認させます。
殺意を認めた事例
①刃物の種類・形状・用法、②被害者の創傷の部位・程度から、殺意を認定した事例として、以下の判例があります。
逃走するため、包丁で看守のみぞおちを包丁で刺した事案で、裁判官は、
- 着衣下に忍ばせていた刃渡り22センチの肉切包丁で被害者である看守Aの心窩部を一気に突き刺し、同部に肝臓及び横隔膜を貫き、左肺下葉に達する刺創を負わせたというのであるから、この行為自体だけでも被告人に殺意のあったことを窺うに十分である
と判示しました。
大阪高裁判決(昭和28年5月26日)
裁判官は、
と判示しました。
広島高裁岡山支部判決(昭和30年6月16日)
刃渡り10センチ余にすぎない両刃のあいくちで腹部等を突き刺し、胃壁等を切断する深さ15センチの刺創を負わせて死亡させた事案で、殺意を認めました。
東京高裁判決(昭和36年11月21日)
刃渡り7.7センチの飛び出しナイフで左乳房下を突き刺し、深さ10センチの刺創を負わせて殺害した事案で、殺意を認めました。
被告人は被害者から首若しくは頭を押さえつけられ前かがみの姿勢にあったため、被害者の姿勢や包丁の当たる部位等に関して明白な認識はなかったが、包丁を振り回すなどすれぼ、その刃先が被害者の身体、場合によってはその枢要部に突き刺さることは当然予測できたとして、未必的殺意を認めました。
殺意を否定した事例
果物ナイフ、切り出し小刀等、小型で刃体の強靭さにも欠ける刃物の場合には、殺意を認定する際の消極的要素となり得えます。
ただ、刃物の種類・形状は、殺意を否定する際の一つの要素であるに過ぎないので、それが重要な要素であるといえるものではありません。
凶器が小型の刃物であったことが考慮され、殺意が否定された裁判例として、以下のものがあります。
東京高裁判決(昭和33年10月11日)
凶器が刃渡り6センチのナイフの殺人未遂の事案で、殺意を否定しました。
福岡高裁宮崎支部判決(昭和37年10月16日)
凶器が刃渡り約7センチの折り畳み式ナイフの殺人未遂の事案で、殺意を否定しました。
東京高裁判決(昭和42年6月20日)
凶器が刃渡り約9.5センチの果物ナイフの殺人罪の事案で、殺意を否定しました。
東京高裁判決(昭和43年5月27日)
凶器が刃を開いたまま固定する装置のない刃渡り約7センチの果物ナイフの殺人未遂の事案で、殺意を否定しました。
被害者の傷の部位・程度からの殺意の認定
被害者の身体の枢要部(頭部、頸部、胸部、腹部、四肢を除く身体の全部分)に創傷については、殺意があったことを認知する要素になります。
また、刺創が深いこと、創傷の数が多いことも、犯人の攻撃の回数、執拗さなどがあったことを認めることができ、殺意を認定するのにプラスに働くといえます。
殺意を認定した事例
福岡高裁判決(昭和29年10月12日)
刃渡り13.5センチのあいくちを用いた犯行で、左耳から唇にかけての切創もあるが、致命傷になったのは股動脈・静脈の切断を伴う左大腿上部刺創であった事案で、未必の殺意を認めました。
東京地裁判決(平成3年11月21日)
凶器の刃物が発見されない殺人の否認事件につき、情況証拠などを子細に検討し、被害者の受傷状況、現場の状況等から推認される犯行態様等に基づき、殺意を認定した事案です。
裁判官は、被害者に対し、刃物により突く、刺す、蹴る、踏みつけるなどの執拗で激しい加害行為が、被告人によって一方的になされ、それらは殺意を推認させるものであるから、殺人罪の成立が認められるとしました。
東京高裁判決(昭和40年8月25日)
ほぼ創傷の数、部位、程度だけで未必の殺意を認定しました。
東京高裁判決(昭和34年1月27日)
逃げる被害者を追いかけ、うずくまった被害者を背後から刺すなどした事例です。
胸でも腹でも顧慮せず、所かまわずくり小刀で突き刺し、左胸部に深さ7センチの心臓にいたる刺切創、胸腹部、背部に多数の創傷を負わせた事案で、殺意を認めました。
東京高裁判決(昭和52年11月16日)
工具用きりで布団の上から内妻の顔面、胸部等を約20回にわたって突き刺し、肺刺創等を負わせた事案で、殺意を認めました。
殺意を否定された事例
傷の程度が軽いことや、凶器の種類、動機の弱さ、とっさの出来事であることなどが考慮され、殺意が否定された事例として以下のものがあります。
東京高裁判決(昭和50年12月8日)
刃渡り約13センチの登山ナイフで1回突き刺し、深さ約5センチ加療約1か月の上腹部刺創を負わせた事案で、傷の程度や凶器を考えると、力いっぱい刺したとは認められないとし、殺意を否定しました。
大阪高裁判決(昭和61年11月4日)
刃体の長さ約173センチの包丁で1回突き刺し、深さ約6センチの腹部刺創を負わせた事案で、傷の程度や凶器を考えると、力いっぱい刺したとは認められないとし、殺意を否定しました。
大阪高裁判決(昭和61年11月6日)
前胸部の刺創が胸腔内にも達しない加療2週間程度の軽微なものであることと並んで、被害者がビール瓶を振り上げて殴りかかってきたので、頭を下げ狙いの定まらぬまま包丁を突き出したとの疑問を払拭できず、特定部位を積極的に狙ったとはいえないことを主たる要素とし、殺意を否定しました。
東京高裁判決(昭和29年4月28日)
ナイフで腹部を突き刺した事案で、相手方から組み伏せられ首を締められ、苦し紛れに相手を突き刺したのであって、腹部であることを意識して突き刺したものではなかったとして、殺意を否定しました。
東京高裁判決(昭和46年4月27日)
被害者からいきなり拳で殴られたため憤激し、咄嗟にナイフを奪い取って突き刺し、胸部・心臓刺創により即死させた事案で、左胸部を狙ったとは断じ難いとし、殺意を否定しました。
東京高裁判決(昭和62年12月1日)
同棲中の男性の腹部を包丁で刺して失血死させた事案で、被害者の冷淡な態度に被害者を傷付けてでもその情愛を得たいという焦慮等から犯行に及んだもので、殺害するまでの動機はなく、被害者の肩を傷つけるつもりであったのが腹部に突き刺さったものと認定し、殺意を否定しました。
函館地裁判決(平成9年1月21日)
刃体の長さ約21センチの刺身包丁で胸部左から心臓に達する刺創を負わせたが、刺創は被告人と被害者がもみ合う状況の中で形成されたことや、動機の不存在から、殺意を否定しました。
東京高裁判決(昭和42年6月20日)
興奮し喧嘩に不慣れで狼狽し、やみくもにナイフを突き出したので、胸部との認識は認定できないとし、殺意を否定しました。
東京高裁判決(昭和46年9月27日)
被害者から暴行を加えられたのに激昂し、刃渡り31センチの刺身包丁でへそ付近を突き刺し、背部皮下肺肪に達する刺創を負わせたが、突き刺した際、被告人と被害者の間にいた男の身体越しであったため、被害者の身体のどの部分を刺すかという認識はなかったとし、殺意を否定しました。
大津地裁判決(平成15年2月4日)
女性に刃体の長さ約3センチのペティナイフを突き付け金品を強取しようとしたが、被害者に大声をあげられたため何も取らずに逃走しようとした際、被害者の後方から右肩付近をナイフで1回突き刺したところ、刃先が右上腕を突き抜けて右側胸部に刺さり、加療約3週間の右上腕穿通創、右側胸部刺入創等の傷害を負わせた事案で、特に右胸部を狙って刺したものとは認められないとして、未必の殺意を否定しました。
横浜地裁判決(平成10年4月16日)
父親が、無断外泊をめぐって娘と口論し、娘の態度に憤慨のあまり、階段の約3メートル先を降りていく娘に対し、背後から出刃包丁を投げつけたところ、後頭部に命中し、小脳刺創等により死亡させた事案で、たまたま被害者の後頭部に包丁が命中して刺さったとはいえ、一般的にみて、このような行為により被害者の死亡という結果が発生する危険性はそれほど高くないことや動機の弱さを理由とし、殺意を否定しました。
動機や犯行後の行動が重視され、殺意が否定された事例
動機や犯行後の行動といった面を重視し、殺意の存在を否定した事例として以下の裁判例があります。
東京高裁判決(昭和48年7月19日)
日本刀で大腿深動脈の一部と静脈を切断するなどの創傷を与え、生命を一時危険な状態に陥れたという、凶器の種類や創傷の程度だけから見れば殺意を認めてもおかしくない事案で、夫婦間の痴話喧嘩が発端であって、犯行後早く病院に連れていくよう話していること等の事情を総合し、殺意を認めるには証拠不十分としました。
福岡高裁判決宮崎支部(昭和37年10月16日)
右利きの被告人が左手に持ったナイフで1回突き刺し、右前胸部乳線下に深さ1.2センチ加療約1週間の刺創を負わせた事案で、傷の程度や凶器を考えると、力いっぱい刺したとは認められず、被害者と一緒に病院に行って手当てを受けさせている事情から、殺意を否定しました。
東京高裁判決(昭和53年11月29日)
一緒に飲酒していた被害者の左胸部を果物ナイフで突き刺し、心臓刺創により死亡させた事案で、犯行時被告人は泥酔状態であったこと、刺したのは1回だけで、ことさら心臓部を狙ったものとは認められないこと、被害者と一緒に病院に行って手当てを受けさせていることから、殺意を否定しました。
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