刑法論文(1)~平成27年司法試験の刑法論文問題から学ぶ~
平成27年司法試験の刑法論文問題から学ぶ
平成27年司法試験の刑法論文問題の答案を作成してみました。
この論文からは以下のテーマが学べます。
1⃣ 窃盗罪(刑法235条)
「他人の財物」「窃取」の定義、占有、占有の移転、不法領得の意思
2⃣ 建造物侵入罪(刑法130条前段)
「建造物」「人が看守する」「侵入」の定義
適法に住居や建物の一部に立ち入った後でも、住居者又は看守者の意思に反して他の部分に立ち入れば侵入となること
3⃣ 強盗罪(刑法236条)
強盗罪における暴行の定義
業務・横領の定義
4⃣ 器物損壊罪(刑法261条)
損壊の定義
不法領得の意思の有無と窃盗・器物損壊の区別
5⃣ 刑法総論
故意、自救行為、正当防衛、誤想防衛、共同正犯、共謀共同正犯、抽象的事実の錯誤、故意責任、身分犯の共犯(刑法65条)、法定的符合付合説
問題文
以下の事例に基づき、甲、乙及び丙の罪責について、具体的な事実を摘示しつつ論じなさい(特別法違反の点を除く。)。
1⃣ 甲(53歳、男性、身長170センチメートル、体重75キログラム)は、医薬品の研究開発・製造・販売等を目的とするA株式会社(以下「A社」という。)の社員である。
A社には、新薬開発部、財務部を始めとする部があり、各部においてその業務上の情報等を管理している。各部は、A社の本社ビルにおいて、互いに他の部から独立した部屋で業務を行っている。
2⃣ 某年12月1日、甲がA社の新薬開発部の部長になって2年が経過した。甲は、部長として、新薬開発部が使用する部屋に設置された部長席において執務し、同部の業務全般を統括し、A社の新薬開発チームが作成した新薬の製造方法が記載された書類(以下「新薬の書類」という。)を管理するなどの業務に従事していた。新薬の書類は、部長席の後方にある、暗証番号によって開閉する金庫に入れて保管されていた。
3⃣ 甲は、同日、甲の大学時代の後輩であり、A社とライバル関係にある製薬会社の営業部長乙(50歳、男性)から食事に誘われ、その席で、乙に、「これはまだ秘密の話だが、最近、A社は新薬の開発に成功した。私は、新薬開発部の部長だから、新薬の書類を自分で保管しているのだよ。」と言った。すると、乙は、甲に、「是非、その書類を持ち出して私に下さい。私は、その書類を我が社の商品開発に活用したい。成功すれば、私は将来、我が社の経営陣に加わることができる。その書類と交換に、私のポケットマネーから300万円を甲先輩に払いますし、甲先輩を海外の支社長として我が社に迎え入れます。」と言った。
甲は、部長職に就いたものの、A社における自己の人事評価は今一つで、そのうち早期退職を促されるかもしれないと感じていたため、できることならば300万円を手に入れるとともに乙の勤務する会社に転職もしたいと思った。そこで、甲は、乙に、「分かった。具体的な日にちは言えないが、新薬の書類を年内に渡そう。また連絡する。」と言った。
4⃣ 甲は、その後、同月3日付けで財務部経理課に所属が変わり、同日、新薬開発部の後任の部長に引継ぎを行って部長席の後方にある金庫の暗証番号を伝えた。
甲は、もし自己の所属が変わったことを乙に告げれば、乙は同月1日の話をなかったことにすると言うかもしれない、そうなれば300万円が手に入らず転職もできないと思い、自己の所属が変わったことを乙に告げず、毎月15日午前中にA社の本社ビルにある会議室で開催される新薬開発部の部内会議のため同部の部屋に誰もいなくなった隙に新薬の書類を手に入れ、これを乙に渡すこととした。
5⃣ 甲は、同月15日、出勤して有給休暇取得の手続を済ませ、同日午前10時30分、新薬開発部の部内会議が始まって同部の部屋に誰もいなくなったことを確認した後、A3サイズの書類が入る大きさで、持ち手が付いた甲所有のかばん(時価約2万円相当。以下「甲のかばん」という。)を持って同部の部屋に入った。そして、甲は、部長席の後方にある金庫に暗証番号を入力して金庫を開け、新薬の書類(A3サイズのもの)10枚を取り出して甲のかばんに入れ、これを持って新薬開発部の部屋を出て、そのままA社の本社ビルを出た。
甲は、甲のかばんを持ってA社の本社ビルの最寄り駅であるB駅に向かいながら、乙に、電話で、「実は、先日、私は新薬開発部から財務部に所属が変わったのだが、今日、新薬の書類を持ち出すことに成功した。これから会って渡したい。」と言ったところ、乙は、甲に、「所属が変わったことは知りませんでした。遠くて申し訳ありませんが、私の自宅で会いましょう。そこで300万円と交換しましょう。」と言った。
6⃣ 甲が向かっているB駅は、通勤・通学客を中心に多数の乗客が利用する駅で、駅前のロータリーから改札口に向かって右に自動券売機があり、左に待合室がある。待合室は四方がガラス張りだが、自動券売機に向かって立つと待合室は見えない。待合室は、B駅の始発時刻から終電時刻までの間は開放されて誰でも利用でき、出入口が1か所ある。自動券売機と待合室の出入口とは直線距離で20メートル離れている。
7⃣ 甲は、B駅に着き、待合室の出入口を入ってすぐ近くにあるベンチに座り、しばらく休んだ。そして、甲は、同日午前11時15分、自動券売機で切符を買うため、甲のかばんから財布を取り出して手に持ち、新薬の書類のみが入った甲のかばんを同ベンチに置いたまま待合室を出て、自動券売機に向かった。
待合室の奥にあるベンチに座って甲の様子を見ていた丙(70歳、男性)は、ホームレスの生活をしていたが、真冬の生活は辛かったので、甲のかばんを持って交番へ行き、他人のかばんを勝手に持ってきた旨警察官に申し出れば、逮捕されて留置施設で寒さをしのぐことができるだろうと考え、同日午前11時16分、ベンチに置かれた甲のかばんを抱え、待合室を出た。この時、甲は、自動券売機に向かって立ち、切符を買おうとしていた。丙は、甲のかばんを持って直ちにロータリーの先にある交番(待合室出入口から50メートルの距離)に行き、警察官に、「駅の待合室からかばんを盗んできました。」と言って、甲のかばんを渡した。
甲がB駅の待合室に入ってから丙が甲のかばんを持って待合室を出るまでの間、待合室を利用した者は、甲と丙のみであった。
8⃣ 甲は、同日午前11時17分、切符の購入を済ませて待合室に戻る途中で、甲のかばんと同じブランド、色、大きさのかばんを持って改札口を通過するC(35歳、男性、身長175センチメートル、体重65キログラム)を見たことから、甲のかばんのことが心配になって待合室のベンチを見たところ、甲のかばんが無くなっていたので、Cが甲のかばんを盗んだものと思い込んだ。
甲は、Cからかばんを取り返そうと考え、即座に、「待て、待て。」と言ってCを追い掛けた。
甲は、同日午前11時18分、改札口を通過してホームに向かう通路でCに追い付き、Cに、「私のかばんを盗んだな。返してくれ。」と言った。しかし、Cは、自己の所有するかばんを持っていたので、甲を無視してホームに向かおうとした。甲は、Cに、「待て。」と言ったが、Cが全く取り合わなかったので、「盗んだかばんを返せと言っているだろう。」と言ってCが持っていたC所有のかばんの持ち手を手でつかんで引っ張ってそのかばんを取り上げ、これを持ってホームに行き、出発間際の電車に飛び乗った。
Cは、甲からかばんを引っ張られた弾みで通路に手を付き、手の平を擦りむいて、加療1週間を要する傷害を負った。
答案
第1 甲の罪責
1 A社開発部室から書類を持ち出した点について、窃盗罪(刑法235条)が成立しないか。
⑴ 本件書類は、新薬の製造方法が記載されているという情報に経済的価値があるところ、情報は財物ではないが、その情報を記録した紙は財産的価値を有することから、本件書類は経済的価値を有する情報を化体した「財物」といえる。
甲はA社の新薬開発部の元部長であり、本件書類の入っている金庫の暗証番号を知っていたものの、甲は財務部経理課に所属が変わり、後任部長に暗証番号を伝えており、本件書類の管理は後任部長に承継されており、本件書類の占有は後任部長に移っているといえる。
同時に、甲はもはや本件書類を管理する立場になく、甲は本件書類を占有する権限はないといえる。
したがって、本件書類は「他人の財物」に当たる。
⑵ 「窃取」とは、目的物の占有者の意思に反して、その占有を侵害し、その物を自己または第三者の占有に移すことをいい、「占有」とは、人が財物を事実上支配し、管理する状態をいう。
本件書類は、後任部長が金庫内で保管することで占有していたところ、甲は後任部長の許可を得ることなくライバル会社に所属する乙に渡す目的で、本件書類を金庫から取り出し、自己のかばんに入れている。
これにより、占有者たる後任部長の意思に反してその占有を排除し、本件書類を自己の占有に移転させたといえるから「窃取」に当たる。
⑶ 窃盗罪が成立するためには、不法領得の意思、すなわち、権利者を排除し、他人の物を自己の所有物と同様にその経済的用法に従い、これを利用し又は処分する意思が必要である。
甲は本件書類をA社に返すつもりはないから権利者排除意思が認められ、本件書類を乙に渡して300万円を得ようとしていることから、窃取した財物を自分のために利用して使う意思及びその財物から生ずる効用を享受する意思が認められることから、甲に不法領得の意思の存在が認められる。
⑷ よって、甲には本件書類についての窃盗罪が成立する。
また、後述のとおり、乙との間で共同正犯となる。
2 A社開発部室に立ち入った点について、建造物侵入罪(刑法130条前段)が成立しないか。
「建造物」とは、屋根を有し、壁や柱で支えられて土地に定着し、人の起居出入りに適した構造をもった工作物をいう。
同部室が「建造物」に当たることは明らかである。
「人が看守する」とは、人が事実上管理・支配することをいう。
同部室はA社の管理支配下にあり「人が看守する」といえる。
「侵入」とは、住居者又は看守者の意思に反する立入りをいい、立入りの態様は問わない。
いったん適法に住居や建物の一部に立ち入った後でも、住居者又は看守者の意思に反して他の部分に立ち入れば侵入に当たる。
甲は、A社の社員であることから、A社建物に立ち入ることは適法であったとしても、同部屋への立入りについては、同部室に保管されている本件書類を窃取する目的で立ち入っていることから、看守者の意思に反する立入りであり、「侵入」といえる。
よって、甲には建造物侵入罪が成立する。
また、本件書類についての窃盗と同様、後述のとおり、乙との間で共同正犯となる。
3 Cから同人所有のかばんを奪取した点が強盗罪(刑法236条1項)に当たらないか。
⑴ 強盗罪における「暴行」は、財物を強取する手段としての暴行であり、不法な有形力の行使のうち、被害者の反抗を抑圧するに足りる程度の行為であることを要する。
強盗罪が成立する暴行であったか否かは、客観的に判断されるので、身体的条件、行為態様、凶器の使用の有無、周囲の状況、犯人の態度等の外部的事情を考慮して決することとなる。
本件では、甲とCの体格差に大きな差はなく、甲は凶器を用いておらず、甲は窃取されたと誤信したかばんを取り返すためにかばんの持ち手を手でつかんで引っ張って取り上げたに過ぎない。場所も駅のホームのような危険な場所ではなく、助けを呼べる状況であった。
よって、甲の有形力の行使は、被害者の犯行を抑圧するに足りる程度の行為であったとはいえず、強盗罪における「暴行」に該当しない。
したがって、強盗罪は成立しない。
4 では、窃盗罪は成立するか。
⑴ CのかばんはCが所有し占有するものなので、甲の行為は窃取といえる。
⑵ もっとも、甲は、当該かばんは自己の所有物であると認識していたのであり、窃盗罪の故意が認められるかが問題となる。
故意とは、犯罪事実の認識・容認をいう。
そこで、甲の内心を基準として、甲の行為が窃盗罪の犯罪事実といえるか。
甲の認識は窃盗犯人からの自己の所有物の取返しである。
そこで、窃盗犯人の占有が窃盗の保護法益といえるかが問題となる。
刑法235条は、一次的には他人の所有権を保護しているといえる。
そして、刑法242条によってその保護を本権の伴わない事実上の占有にも拡大していると考える。
なぜなら、所有と占有関係が複雑化した現代では、単なる占有も保護する必要があるし、法律は基本的には侵害に対する救済は国家によりなされるべきという立場をとっていることから自力救済が否定される以上、その合理性があるからである。
よって、窃盗犯人の占有も刑法235条により保護されるべきであり、その占有を侵害・移転する行為は窃取といえる。
窃盗犯人からの財物の取返しが窃取である以上、甲には窃盗罪の犯罪事実の認識・容認があるといえ、故意が認められる。
⑶ 次に、甲の内心は、窃盗犯人からの即時の取返しであることから、正当防衛(刑法36条)の認識があるとも考えられる。
正当防衛とは、急迫不正の侵害に対して、自分または他人を守るために、やむを得ずにした反撃行為をいう。
もっとも、甲は自己のかばんをCが盗んだものと勘違いし、「急迫不正の侵害」の存在を誤信していることから誤想防衛である。
誤想防衛とは、侵害行為が存在しないのに、存在すると誤信して行った正当防衛行為をいう。
誤想防衛であるにしても、第一に正当防衛の成否が問題となる。
この点、故意責任の本質は、規範に直面し、犯行を思いとどまるという反対動機を形成できる状況にありがら、あえて犯罪行為に及んだことに対する道義的非難にあるところ、「急迫不正の侵害」という違法性を基礎付ける事実に錯誤がある場合、規範に直面し得ないため、故意が阻却される。
では、甲の内心を基準として正当防衛状況にあったといえるか。
「急迫不正の侵害」とは、違法な法益侵害が現に存在するか、目の前に差し迫っていることをいう。
そして、窃盗犯人が窃取を終えた場合であっても、「急迫不正」といい得る場合があると解する。
本件では、Cはかばんの占有を取得しており、窃取を完了している。
そして窃取後1分経っており、待合室を出て改札を越えてしまっている。
すでにCは占有を確実なものにしたといえ、「急迫不正の侵害」はないというべきである。
よって、甲に「急迫不正の侵害」の認識はなく、正当防衛の認識はない。
⑷ もっとも、窃盗犯人からの取返しの場合、自救行為として違法性が阻却される余地がある。
そして、取返しという正当な目的のもと、緊急性及び正当性が認められる場合には自救行為が成立し、違法性が阻却されると解する。
本件は、甲は取返し目的であるが、周囲に人が多くいる駅の通路であるから、駅員を呼ぶなどの行為が可能であり、自力救済でなければならない緊急性はなく、突然かばんを奪取し、Cを負傷させる行為に対して相当性は認めれらない。
よって、甲の内心を基準にしても自救行為として違法性は阻却されない。
⑸ 以上から甲の窃盗罪の故意は阻却されない。
したがって、甲には、Cのかばんに対する窃盗罪が成立する。
5 甲はCのバックを奪取した際に、Cに対して加療1週間の傷害を負わせている。
この点、前述の窃盗罪と同様に、正当防衛、自救行為は成立せず、違法性阻却事由は認められないことから、傷害罪(刑法204条)が成立する。
6 以上より、甲には①A社書類の窃盗罪の共同正犯、②A社開発部室へ建造物侵入罪の共同正犯、③Cのかばんへの窃盗罪、④Cへの傷害罪が成立する。
①②は目的手段の関係にあるから牽連犯(刑法54条1項後段)となる。
③④は社会通念上1個の行為から生じているから観念的競合(刑法54条1項前段)となる。
第2 乙の罪責
1 甲の行ったA社書類の持ち出しについて、甲との間で窃盗罪の共同正犯(刑法235条、60条)が成立しないか。
⑴ 乙は何らの実行行為を分担していない。
しかし、共同正犯の処罰根拠は、結果に対し因果性を及ぼす点にあり、実行行為を分担していなくても、犯罪の共同実行の意思を連絡し、他の共犯者に影響を及ぼし、果たした役割が重要であり、他の共謀者の行為を利用し、一体となって自らも犯罪行為を行おうとする意思があるなど、正犯と評価するに足りる寄与をしている場合は、乙のような実行行為を分担してない者についても共同正犯が成立する。
刑法60条の「共謀して」とは、正犯意思をもって、相互的意思連絡を形成すること、すなわち共謀の成立をいう。
乙は、新薬開発情報が記載された本件書類を手に入れて自ら利益を図ろうとしている。
また、自ら甲に犯罪を持ちかけており、積極性が認められる。
甲への報酬300万円も用意しており、乙には正犯意思が認められる。
そして、乙が甲に書類の持ち出しを提案し、それに対して甲は「わかった」と了解しており、甲と乙の間に相互的意思連絡が形成されたといえる。
従って、乙は、甲と犯罪の共同実行の意思を連絡し、甲に影響を及ぼし、重要な役割も果たしており、甲の共謀者の行為を利用し、一体となって自らも犯罪行為を行おうとする意思が認められ、正犯と評価するに足りる寄与をしている。
従って、乙に共同正犯の成立が認められる。
⑵ では、乙に共謀成立の前提としていかなる故意が認められるか。
乙の内心は、A社開発部長甲が自ら管理していた書類の持ち出し行為であるから、業務上横領罪(刑法253条)の故意が問題となる。
業務上横領罪における「業務」とは、委託を受けて他人の物を管理(占有・保管)することを内容とする事務を社会生活上の地位に基づいて反復又は継続して行うことをいう。
A社開発部長の事務は、A社の委託を受け、同部を指揮監督し、書類等を保管するから「業務」であり、保管する書類の「占有」も認められる。
「横領」行為とは、委託の任務に背いた権限逸脱行為であり、不法領得の意思を発現する一切の行為をいう。
A社開発部の新薬に関する情報が記載された書類をライバル社に持ち込めば、A社に大きな損害をもたらす。
よって、乙には横領行為を行う認識があるといえる。
以上より、業務上横領罪の故意が認められる。
⑶ では、共同実行したといえるか。
共同実行したといえるためには、結果に対する重大な寄与及び共謀に基づいた共犯者による実行行為が必要となる。
乙は前述のとおり犯罪実現に大きな利益を有し、甲に犯罪を持ち掛け報酬も用意していることから、重大な寄与が認められる。
しかしながら、甲は窃盗罪を行っていることから、共謀に基づく行為といえるかが問題となる。
これは因果性が及んでいるか否かの問題であり、具体的には、日時、場所、犯行態様等の事情を総合考慮して判断する。
甲の行為は窃盗罪であるが、A社開発部室から本件書類を持ち出すという当初の予定通りの行為を行った点に違いはない。
また、甲に所属変更があった場合は犯行を中止するといった取り決めはなく、甲の報告に乙も動揺しておらず予定通りであったことをうかがわせる。
よって、甲の行為は甲乙の共謀に基づいた実行行為といえる。
よって、共同実行したといえる。
⑷ 以上より、乙は業務上横領罪の故意で窃盗罪を実現させたことになる。
⑸ 故意責任の本質は、反対動機形成可能性にあり、構成要件の範囲内の認識にずれがあっても反対動機形成は可能である。
したがって、業務上横領罪と窃盗罪の両構成要件に重なり合いが認められれば、軽い罪限度で故意責任を問うことも可能である。
構成要件の重要部分は行為と結果であるから、行為態様及び保護法益の共通性により重なり合いを判断する。
検討すると、占有移転があるか否かの違いはあるが、領得という点で行為態様は共通する。
また、財物の所有権を保護する点で保護法益も共通している。
よって、業務上横領罪と窃盗罪との間に重なり合いが認められる。
そして、業務上横領罪の法定刑は拘禁刑10年であり、窃盗罪の法定刑は拘禁刑10年又は罰金50万円であることから、罪の軽重は、罰金刑の選択刑がある窃盗の方が軽くなる。
よって、この段階では、業務上横領罪と窃盗罪とでは、刑の軽い窃盗罪の限度で重なり合いが認められる。
しかしながら、業務上横領罪(及び横領罪)は身分犯であるところ、甲が業務上横領罪を犯したという前提で考える場合において、刑法65条の身分犯の共犯の規定によって、共犯者の乙には、同条2項により、横領罪の刑が科されることになる。
横領罪(刑法252条)の法定刑は5年以下の拘禁刑につき、窃盗罪よりも軽い。
したがって、刑の軽い横領罪の限度で重なり合いが認められることとなる。
よって、乙には横領罪の共同正犯が成立する。
なお、この場合、実際に行っていない横領を成立させることになるが、刑法38条2項がその成立を認めているので罪刑法定主義に反しない。
また、共同正犯は行為の共同に本質があるから、共犯者間で異なる共同正犯も成立する。
2 甲の建造物侵入罪も甲乙の共謀に基づいて実行されたといえるので、乙には建造物侵入罪の共同正犯も成立する。
3 甲によるCのかばんに対する窃盗罪、傷害罪は共謀とは無関係になされているので、乙は罪責を負わない。
4 以上より、乙には横領罪の共同正犯、建造物侵入罪の共同正犯が成立する。
両罪は目的手段の関係にあるから牽連犯となる。
第3 丙の罪責
1 丙に甲のかばんに対する窃盗罪が成立しないか。
⑴ 窃取が認められるか、甲にかばんの占有があったといえるかが問題となる。
占有の有無は、客観的な支配状況及び占有意思を考慮して社会通念に従い判断する必要がある。
具体的には、財物の形状、重さ等の特徴、置かれた場所、財物と占有者の場所的隔離の程度等を総合考慮する。
まず、本件かばんはA3サイズの書類が入る程度のサイズであり、持ち運びや隠匿は容易である。
本件当時、かばんに本件書類以外のものが入っていた事情はなく、かばんは軽かったと考えられる。
置かれた場所はB駅の待合室であり、誰でも入れる構造で、ガラス張りの開放的な空間であった。
財物の現実の支配は喪失しやすい場所であったといえる。
しかし、当該待合室は外から中の様子をうかがうことができ、甲のいた自動販売機からかばんの置いてあったべンチを見渡すことは容易にできたといえる。
また、甲とかばんの距離は20メートル程度で、時間にして1分程度であり、甲はかばんの握持を即時かつ容易に回復できる状況にあったといえる。
また、待合室のべンチの構造からべンチに荷物を置いて切符を買いに行く人は多いと考えられ、かばんについて占有意思が及んでいることも推認される。
以上より、甲は本件かばんの占有をいまだ失っていなかったといえる。
⑵ 丙の行為は、甲の占有を侵害し自己に移転させる「窃取」行為といえる。
丙は、甲の占有を認識しており、故意も認められる。
⑶ もっとも、丙に不法領得の意思が欠けるのではないか。
不法領得の意思とは、権利者を排除し、他人の物を自己の所有物と同様にその経済的用法に従い、これを利用し又は処分する意思をいう。
権利者排除意思は、窃盗既遂後の事情を考慮し、窃盗罪と違法性の乏しい一時使用窃盗を区別し、一時使用窃盗を不可罰にするために必要となる。
「その経済的用法に従い」とは、領得した財物自体から生み出される利用価値・交換価値を窃盗犯人が享受する使い方をいう。
利用処分意思は、「捨てる」という意味でなく「盗んだ物を売却する」「他人に譲り渡す」などの処分行為を意味し、財物領得罪と器物損壊罪を区別するために必要となる。
本件では、丙に権利者排除意思があることは明らかである。
しかし、丙はかばんを警察官に提出して逮捕される目的だったのであり、かばん自体から生み出される利用価値・交換価値を直接に享受する意思はない。
かばんの利用法は、警察に届けるというものであり、上記処分行為に当たらない。
よって、かばんを経済的用法に従い利用処分する意思は認められない。
以上より、丙には不法領得の意思は認められず、窃盗罪は成立しない。
⑷ もっとも、器物損壊罪(刑法261条)の成立が考えられる。
器物損壊罪における「損壊」とは、物質的に器物の形体を変更又は滅尽させることのほか、事実上又は感情上その物を再び本来の目的の用に供することができない状態にさせる場合を含め、広く物の本来の効用を喪失するに至らしめることをいう。
すなわち、財物の効用を害する一切の行為をいい、財物の隠匿もこれに含まれる。
丙の行為は、かばんを持ち去って甲の発見を困難にしてかばんの効用を害する隠匿に当たり、器物損壊罪における「損壊」に該当する。
よって、丙に器物損壊罪が成立する。