ルールは、人の意志力を奪う
ルールを作ると、他人の意志や思考を支配して、都合よく動かすことができます。
たとえば、『コロナウィルスの感染拡大防止のため、飲食店の営業時間は20時まで』というルールを作ったとします。
多くの飲食店経営者は、強い不満を持ちつつも、「ルールだから仕方ない」という思考に行きつき、20時で店を閉めるという意思決定をします。
これが、ルールの力です。
ルールは、人の意思や思考をコントロールして支配する力をもっているのです。
法律、決まり事、約束などのルールを設けられると、人は、「そういう決まりだから…」と考えて納得し、自分自身で考えた答えを出すことをやめ、ルールに従うのです。
ルールとは、個々人の意志を無力化し、思考停止状態にさせて、ルールを作った者の思惑どおりに、人に意思決定をさせる「意思決定の自動化措置」なのです。
ルールを設けると大衆をコントロールできます。
ルールとは、他人を都合よくコントロールするための有能なツールなのです。
ルールは、脳の前頭前野を動かし、理性的な意思決定をさせる
ルールを作ると、脳の前頭前野を味方につけることができます。
前頭前野は、本能や感情反応を抑え込み、人間的思考・理性的思考・論理的思考を行う脳の部位です。
ルールが作られると、人は、本能や感情反応に突き動かされる衝動を、前頭前野の働きにより、理性をもって制することができるようになります。
たとえば、
- 3日間なにも食べてなくて腹が減っている状態でコンビニにいる(金はない)
- 陳列棚におにぎりがある
という状態において、本能に従えば、目の前のおにぎりを食べるという選択になりますが、ほとんどの人は食べません。
金を払わないで、おにぎりを食べると、窃盗罪という社会のルール違反(犯罪)を犯すことになるからです。
ルールがあるおかげで、脳の前頭前野が「犯罪を犯してはいけない」という意志力を自動で作り出してくれ、理性的な意思決定をさせてくれるのです。
ルールは、意志力の代用品である
ルールを作ることによって、意志力に頼ることなく、目的達成ができるようになります。
たとえば、「(ダイエットのため)お菓子は絶対に食べない」というルールを作ることによって、お菓子を食べたいという欲求と、その欲求に抵抗する堅い意志とのあいだに起こる葛藤を回避できます。
「お菓子は絶対に食べないというルールがあるから、お菓子は食べない」という思考です。
ルールを理由にすることで、「お菓子が食べたい…。でもダイエットしてるからお菓子は食べちゃだめた…。でもお菓子が食べたい…。」という意志力に頼った葛藤をしないようにするのです。
不安定な意志力に頼ることなく、ルールという構造を用いて、誘惑や魅力的な刺激と対決するというわけです。
この点において、ルールとは、人の意志力の代わりになるもの(代用品)なのです。
意志力の代わりにルールを用いて行動を制御していると、ルールに基づく行動が当たり前のものになり、習慣化し、意志力なしの思考停止状態でルールに従った行動がとれるようになります。
習慣化した自分の行動に疑問を持つこともなくなり、息をするように気持ち良く同じ行動を繰り返すことができるようになります。
だから、ルールは意志力の代用品といえるのです。
人をコントロールしたければルールを作る
ルールは、
- 人の意志力を奪う
- 思考停止にさせる
- 行動に疑問をもたせなくする
という洗脳性があります。
つまり、ルールを使えば、人をコントロールできるわけです。
他人をコントロールして、自分の言うことを聞かせたければ、ルールを作るのが有効な手段になります。
相手を自分の作ったルールにはめ込むことで、相手が自分の意に反する行動をしたときに、ルール違反を指摘して責めることができます。
洗脳のはじまりです。
もしかしたら、私たちもすでに誰かに洗脳され、行動をコントロールされているかもしれません(働く、税金納める、結婚する etc…)。
まとめ
私の会社では、
- 決まりだから
- そういうもんだから
という理由で、若手社員が朝早く出勤してゴミ捨てをするなどのルール(社風)があります。
それに対して、誰も疑問は持ちません。
ルールは、人の思考を停止させて行動させる大衆洗脳ツールだからです。
ルールにより個々人の意志力が無効化されている事案は結構あります。
たとえば、
- 結婚したら夫と同じ姓を名乗る
- 家事や育児は女性がするもの
などなど。
私は、ルールにより、あたかもそれが正しいことのように思わされていないか、注意して世の中を観察してみることを心掛けています。