刑法(殺人罪)

殺人罪(29) ~正当防衛・過剰防衛⑩「殺人罪における誤想防衛、誤想過剰防衛」「盗犯等防止法1条2項の誤想防衛」を解説~

殺人罪における誤想防衛、誤想過剰防衛

誤想防衛とは?

 誤想防衛とは、

侵害行為が存在しないのに、存在すると誤信して行った正当防衛行為

をいいます(詳しく前の記事参照)。

誤想過剰防衛とは?

 「①誤想防衛」と「②過剰防衛」を合わせた防衛行為を「誤想過剰防衛」といいます(詳しくは前の記事参照)。

 「①誤想防衛」の定義は、上記のとおりです。

 「②過剰防衛」の定義は、

正当防衛の程度を超えた防衛行為(やり過ぎてしまった防衛行為)

です。

 誤想過剰防衛の定義は、

急迫不正の侵害がないのに、侵害があるものと誤信して反撃し(誤想防衛)、しかも、その反撃が不相当である防衛行為(過剰防衛)

となります。

殺人罪における誤想過剰防衛の事例

 殺人罪につき誤想防衛、誤想過剰防衛を認定した事例として、以下のものがあります。

最高裁決定(昭和41年7月7日)

 事案は、被告人の長男Aが、Bに対し、Bがまだ何の侵害行為に出ていないのに、Bに対しチェーンで殴りかかったうえ、なお攻撃を加えることを辞さない意思をもって、包丁を持ったBと対峙していた際に、Aの叫び声を聞いて自宅内から猟銃をつかんで表道路に飛び出した被告人は、右のような事情を知らず、AがBから一方的に攻撃を受けているものと誤信し、Bに対し、至近距離から未必の殺意をもって猟銃を発射し、散弾10発をBに命中させて加療1か月を要する銃創を負わせた殺人未遂の事案です。

 最高裁は、原判決(高裁判決)が「被告人の行為は誤想防衛であるが、Bの侵害は未だ包丁を擬する程度にとどまっていたのであるから、防衛行為の程度を超えていた」として、誤想過剰防衛の成立を認めた判断を是認しました。

静岡地裁判決(昭和41年12月22日)

 マグロ漁船の乗組員が、被害者から、なたので頭部を殴られるなどの暴行を受けたが、その後、被害者が、被告人の傍から離れて引き続き攻撃に出る態勢になく、急迫不正の侵害がなくなったのに、このままでは被害者から殺されるのではないかと誤想し、被害者めがけて包丁を投げつけて心臓に達する刺創を与え、失血死させた行為について、殺人罪の誤想過剰防衛が成立するとしました。

大阪高裁判決(昭和54年11月16日)

 スナックで飲酒中、暴力団員から絡まれ「いてしもたろか」(「痛めつけてやろうか」)などと言われて、 ジャンパーから何かを取り出す素振りや胸倉をつかまれるなどの挙動をされたので、ビンを割った破片で相手の顔面・頭部を突き刺し、さらに未必の殺意をもってペティナイフで顔面・頭部を突き刺して殺害した事案です。

 裁判官は、

  • 相手が拳銃か刃物を取り出して侵害を加えてくるものと誤信していた

と認めて誤想過剰防衛が成立するとしました。

札幌高裁判決(昭和63年10月4日)

 被告人は、暴力団員である被害者から押し掛けてくることを電話で予告され、けんかになることも予想し、包丁を隠し持って待ち構えていたところ、他の暴力団員ら2人とともに押し掛けてきた被害者から、いきなり拳で頭部を殴られたため、当然所持しているに違いない凶器を使って3人がかりで襲ってくると思い込み、前記包丁を取り出し、未必の殺意をもって被害者の顔面、胸部等をめった突きにして殺害したが、実際は被害者は凶器を所持しておらず、連れの2人は被告人に危害を加える意思はなかったという事案につき、誤想過剰防衛の成立を認めました。

東京地裁判決(平成5年1月11日)

 けんか後、いったん和解したものの、被害者の背後を通り過ぎようとした際、被害者が片足を引いて向きを変えようとしたので、自分を殴ろうとしたものと誤信し、包丁で突き刺して殺害した事案で、誤想過剰防衛に当たるとしました。

東京地裁判決(平成20年10月27日)

 被告人は、同棲中の男性である被害者から、しばしば暴力を振るわれていたところ、事件当日も執ような暴力を振るわれ、それが収まってからも口論をしていたが、布団に横になっていた被害者が、勢いよく布団をたたき、上体を起こして被告人の方を振り向こうとしたのを、直ちに被害者から暴行を受ける状況ではなかったのに、すぐさま自分に殴りかかったり、髪をつかんだりしてくるものと誤信し、未必の殺意で、布団の下に隠していた包丁で被害者の背部を1回突き刺したが、殺害するにいたらなかった殺人未遂の事案で、誤想過剰防衛に当たるとしました。

東京高裁判決(昭和54年5月15日)

 夫婦喧嘩に際し、妻が夫から突き飛ばされ、倒れているところを頸部を圧迫されたため、恐怖、狼狽のあまり「このままでは首を絞められてしまう」と誤信し、近くにあったはさみを逆手に持ち、殺意をもって夫の上体左側部分を力まかせに突き刺し揉み合ううち、夫が力尽き、床上に倒れ無抵抗状態となったのに、あえて攻撃を続けて殺害したという事案です。

 一審(東京地裁判決 昭和53年11月6日)が全体として誤想過剰防衛にあたるとしたのに対し、控訴審(東京高裁判決 昭和54年5月15日)は、

  • 合計150か所の傷の大部分が、夫が床上に倒れ無抵抗状態となったことを被告人も認識して誤想状態が消滅した後に加えられたものであるときは、全体として誤想過剰防衛にあたるとすることはできない

とし誤想過剰防衛の成立を否定した上、

  • もっぱら相手方に対する積極的加害の意思に基づいて、量的にも質的にも本件加害行為の大部分を反復継続したものと認められる
  • 被告人の行為を防衛の意思に基づく行為であるということは到底できず、被告人の行為を全体として防衛行為でるとは認め難い

とし、正当防衛、過剰防衛の成立も否定し、殺人罪の成立を認めました。

東京高裁判決(昭和62年1月19日)

 日頃から暴力を振るっている実父が、「お前から先に殺してやる」と言いながら攻撃に出るような態度をとったので、鈍器で実父の頭部を殴って殺害した事案で、一審判決が誤想過剰防衛としたのを、被告人は、急迫不正の侵害が存在しないのに存在すると誤想したのではなく、急迫不正の侵害は実在していたことから誤想ではなく、通常の過剰防衛が成立するとしました。

 裁判官は、

  • 本件所為につき、被告人の誤想に基づく過剰防衛を認めた原判断は、単に被告人がAによる急迫不正の侵害があると誤想したことに基づく防衛行為と認めた点において首肯し難い点がある

とし、誤想過剰防衛の成立を否定しつつも、被告人の行為は過剰防衛に当たるとし、過剰防衛の成立を認めました。

東京高裁判決(平成6年7月20日)

 一審判決が誤想過剰防衛が成立するとしたのを、急迫不正の侵害が継続していたとして、一審判決を破棄し、過剰防衛が成立するとした事例です。

 裁判官は、

  • 被告人は、Aから突然足蹴りを受けて倒された後、立ち上がろうとするところをつかみかかられ、その後、制止に入ったBに上から押さえ込まれた際には、Aからス工ットパンツを脱がされそうになったり、股間を殴打されたりしたのであるから、右段階において、被告人に対する急迫不正の侵害は継続していたと認めるのが相当である
  • したがって、本件については、誤信したBの侵害との関係で誤想過剰防衛が成立するに止まらず、Aの侵害との関係では過剰防衛が成立すると解される
  • そうすると、Aとの関係においても、被告人の行為を誤想過剰防衛と認め、過剰防衛の成立を認めなかった原判決は、事実を誤認したものといわなけれはならない
  • もっとも、誤想過剰防衛が成立する場合にも、過剰防衛の規定が類推適用され、任意的に刑の減軽をし得るのであるから、単に誤想過剰防衛の成立のみを認めた場合と過剰防衛の成立をも認めた場合とで、処断刑に変わりはないが、被告人のAに対する攻撃が、現実に存在したAの急迫不正の侵害に対してもされたのか、単に、右侵害が存在しないのに存在するものと誤信してされたに止まるのかは、本件の犯情にかなりの差異をもたらすと考えられるから、この点の事実誤認は、判決に影響を及ぼすことが明らかなものというべきである

と判示しました。

東京高裁判決(平成22年7月14日)

 持続性妄想性障害罹患していた被告人が、被害者から危害を加えられるかもしれないと思い違いをして、被害者を包丁で刺殺したという事案です。

 裁判官は、

  • 被告人の誤想の原因となるような被害者からの侵害行為は存在しておらず、単に被告人が被害者から殺されるかもしれないと思い違いをしたとうに過ぎないのであって、その思い違いは、心神耗弱状態にあった被告人の被害妄想であると認めるのが相当であり、誤想過剰防衛は成立しないといわなければならない

と判示し、侵害行為が存在していなのだから、誤想過剰防衛は成立しないとし、殺人罪の成立を認めました。

盗犯等防止法1条2項の誤想防衛

 盗犯等防止法1条2項の規定は、誤想防衛の場合についての規定です。

 盗犯等防止法1条2項は、1項各号の場合において、自己又は他人の生命・身体・貞操に対する現在の危険がないときでも、恐怖・驚愕・興奮・狼狽により現場で犯人を殺傷したときは、これを罰しないとしています。

 1項各号の場合とは、

  1. 盗犯を防止し、又は盗贓を取還しようとする場合
  2. 凶器を携帯し、門戸等を乗り越え、損壊するなどして住居等に侵入する者を防止しようとする場合
  3. 故なく住居等に侵入した者又は要求を受けて退去しない者を排斥しようとする場合

をいいます。

 盗犯等防止法1条2項の規定は、1項各号の場合において、自己又は他人の生命等に対する現在の危険がないのに、恐怖・驚愕等により、現在の危険があるものと誤信した場合に適用されるものです。

 なので、行為者に、1項各号の場合でないのに、上記のような現在の危険があるとの誤信した場合は、盗犯等防止法1条2項の適用はありません(最高裁決定 昭和42年5月26日)。

 1項各号の事由がない場合で、誤想防衛をした場合は、通常の誤想防衛(刑法36条2項)が成立することになります。

 盗犯等防止法1条2項が適用され、無罪が言い渡された事例として、以下の裁判例があります。

神戸地裁判決(昭和42年5月30日)

 不法侵入者を排除しようとして、相手Aの包丁を奪い取り、その胸部を刺した殺人未遂の事案で、被告人の行為は、相当な程度を逸脱しているが、興奮・恐怖・狼狽のあまりの行為で宥恕すべき事情があったとして無罪を言い渡しました。

 裁判官は、

  • 被告人のAに対する所為は、形式的には盗犯等の防止及処分に関する法律第1条第1項第2号及び第3号に該当するが、右の規定は、刑法第36条第1項の正当防衛の範囲を拡張しているとはいえ、その構成要件を形式的に具備する場合には、常に殺傷行為を正当とする趣旨とは解されず、具体的事情に照し、殺傷行為が防衛行為として相当と認められる場合においてのみ、これを許容したものと解すべきである
  • 而して、いかにAの攻撃が連続的で激しかったとはいえ、被告人がAより包丁を奪い取ってしまえば、Aは既に素手であり、その上、当夜は相当に飲酒し、頭部に数個所の切創まで受けている身であるから、客観的には被告人の生命に対する危険の現存かつ切迫の程度は減弱したものと認められ、Aに対して優位に立つ被告人が、包丁で更にAの胸部を深く突き刺し、重傷を負わせたことは当時の情況からして許容された防衛行為としての相当な程度を逸脱したものと認められる
  • しかしながら、今一度、被告人が当時おかれていた情況について考察するに、被告人は脱出の困難な、しかも狭隘な船室内でAの予期しない矢つぎばやの攻撃によって、自己の生命を危険にさらされたばかりでなく、逃げ出す余裕もないまま、右攻撃によって身体に受傷する等の急迫な事態に直面して驚愕の極著しい恐怖、興奮、狼狽の状態にあったことが十分看取されるとともに、Aは酒癖が悪く、酔っては他人に乱暴する性向があり、傷害罪で罰金刑に処せられた前歴を有する者で、本件当夜もかなり酒気を帯びその執拗、理不尽なる行動よりして容易にその不法侵入又は暴行を中止すべくもない情勢に至っていたのである
  • かかる状況下において、被告人が右手を依然Aにつかまれていたことと相俟って、自己の生命・身体に対する危険を多少過大に感じたとしてもやむを得ないものというべく、そのため当時被告人に対し、自己を抑制して刺創行為をなさざるべきことを期待するのは極めて酷であって、被告人が興奮、恐怖、狼狽のあまり、防衛の目的でAを刺すに至ったと認められる本件は、その所為につき宥恕すべき事情があったといわなければならない
  • されば、被告人の本件所為は盗犯等の防止及処分に関する法律第1条第2項の適用によってその責任を阻却され、罪とならないものと判断する
  • (同項は誤想防衛の場合について規定しているが、過剰防衛の場合にも、もちろん適用があると解しなければならない)

と判示しました。

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