刑法(殺人罪)

殺人罪(33) ~「殺人罪において、責任能力がないとして無罪が言い渡された事例」を解説~

殺人罪において、責任能力がないとして無罪が言い渡された事例

責任能力とは?

 まず最初に、責任能力を説明します。

 責任能力とは、

犯罪の行為時において、自分が実行した犯罪行為の是非善悪弁別し、かつ、その是非善悪の弁別に従って行動し得る能力

をいいます(より詳しくは前の記事参照)。

 責任能力がない人は、たとえ殺人罪などの凶悪犯罪を行ったとしても、処罰されません。

 責任能力がない人を「心神喪失者」といいます(より詳しい説明は前の記事参照)。

 責任能力がない状態とは、心身喪失の状態であると考えればよいです。

 高度の精神病者や知的障害者は、心神喪失者になり得ます。

殺人罪において、責任能力がないとして無罪が言い渡された事例

 殺人罪において、犯人の責任能力が問題になることは多いといえます。

 そして、心神喪失を理由として無罪が言い渡される殺人罪の事例も少なくありません。

 これは、殺人罪が、犯罪の性質上、精神医学的あるいは人格的に問題がある犯人によって引き起こされる場合が少なくないことが理由として考えられます。

 殺人罪において、責任能力がないとして無罪が言い渡された近年の事例として、以下のものがあります。

東京地裁判決(平成元年5月19日)

 両親を殺害した64歳の男性について、内因性躁うつ病うつ状態であり、程度も重かったとして、心神喪失を認めた事例です。

 裁判官は、

  • 被告人は、かねてより内因性躁うつ病に罹患しており、うつ病相、躁病相を経てきたところ、春ころからまたもやうつ病相が始まり、本件当時には右躁うつ病に起因する高度の抑うつ気分に支配されるに至り、不眠、食欲不振、取越苦労、行動の抑制等のうつ病相特有の諸病状に苦しむとともに、高齡の親とはいえ、それまでさして苦にしていなかった両親の世話を急に非常に大きな負担と感じるなど、当時の状況を過度に悲観するようになっていた、本件当日の早朝になって、両親を道連れに自殺しようといういわゆる「拡大自殺」の衝動が右のような病的抑うつ気分に基づいて発作的に発現し、その結果、右の衝動のおもむくまま何ら躊躇することなく、一気に本件各殺害行為に及んだものであって、その精神障害の程度は右のとおり重く、正常人の精神状態との間には非連続な隔絶があったことが認められるので、被告人は、本件当時、是非善悪を判断し、これに従って行動する能力を欠いていたことが明白であり、刑法上の心神喪失の状態にあったと言うべきである

と判示し、無罪を言い渡しました。

大阪高裁判決(平成4年10月29日)

 精神分裂病による妄想から妻を殺害した事例です。

 裁判官は、

  • 被告人は妄想形成を中核とする精神障害に罹患しているが、次第に妄想の世界を体系化して行き、その中につかり込み、その強固な妄想のゆえに外界から迫害されているとの思いを深め、妻もそうした迫害者の仲間であると思い込んでしまったところから、ますます苦悩を強くし、その苦悩をとっさに払いのけようとしたが果たすことができず、ついに発作的、衝動的に長年連れ添った妻を殺害するに至ったものと認められる
  • 犯行はまさに被告人が構築した妄想の世界の中で、その妄想のゆえに妄想に導かれて発作的、衝動的に行なわれたものである
  • 言い換えると、精神病によってもたらされたカの強い病的情動が被告人を犯行に駆り立てたのであって、それ以上の殺害の動機は了解不能である
  • 犯行後の被告人の態度をみても、被告人は犯行当時の自己の妄想についての病識を現在に至るまで持っことができないし、妻を殺してしまったことを情緒的に悲しんだり、倫理的に反省しているとも見受けられない
  • こうしたことも、犯行に際しての被告人の病的異常の強さを物語るものと考えられる
  • また、被告人はこれまで妻と落ち着いた夫婦関係を築いて、かわいい一人娘のB子に大学教育を受けさせるなど家族を大切にしてきたし、B子が大学を卒業して家計が楽になったら家を新しく建て直したうえ、B子に良縁を得て家族皆で楽しく生活したいというのが妻との共通した将来の夢であった
  • このたび精神分裂病が発病するまで被告人が、社会においてはもとより、家庭内においても、ことに妻に対しても、特に暴力的な傾向があったとは認められない
  • その被告人が妻を殺害したのであるが、その凶行は被告人の精神分裂病、その活発な陽性症状である妄想のなせる業としか受け取りようがないのである
  • 犯行当時被告人は妄想型の精神分裂病の影響によって物事の是非善悪弁別する能力及びこれに従って行動する能力を欠いて心神喪失の状態にあったと認めるのが相当である

と判示し、無罪を言い渡しました。

福岡地裁判決(平成7年5月19日)

 路上において、女性2名を柳葉包丁で刺し、1人を殺害し、もう1人に重傷を負わた殺人罪と殺人未遂罪の事例(通り魔殺人の事例)です。

 裁判官は、

  • 被告人には、本件犯行及びその前後の状況について記憶の欠落が著しく、また、本件犯行について了解可能な動機を見出すことができず、本件犯行が幻覚に支配されて行われた可能性を否定することができない
  • 結局、本件犯行は被告人の人格と隔絶した行為というほかない
  • 被告人は、本件犯行当時、事物の理非善悪を弁別する能力及びその弁別に従って行動する能力を喪失した状態であった可能性が否定できす、責任能力の存在を認定することはできないというべきである
  • 本件公訴事実の行為については、いずれも心神喪失者の行為として罪とならないから、刑事訴訟法336条により無罪の言渡しをする

と判示しました。

大阪地裁判決(平成19年2月28日)

 自殺の道連れに、見ず知らずの通行人5名を自動車でひき、2名を殺害し、3名に重傷を負わせた殺人罪と殺人未遂罪の事例(通り魔殺人の事例)です。

 裁判官は、

  • 被告人の本件各犯行当時の精神病の病状に加え、犯行の動機、犯行の態様、犯行前後の被告人の行動、被告人の平素の人格、被告人の生活状況等を総合して考慮すると、被告人は、本件各犯行時、統合失調症が急激に重症化の一途をたどり、高度の幻覚妄想状態にあった上、被告人が「悪魔の命令」と称する幻聴に直接支配され、その圧倒的な影響を受けて本件各犯行に及んだものであって、被告人は、本件各犯行時、是非善悪弁別能力及び行動制御能力を失い、心神喪失の状態であったとの合理的疑いが残るといわざるを得ない
  • よって、被告人の本件各行為は、心神喪失者の行為として罪とならないから、刑事訴訟法336条前段により無罪の言渡しをする

と判示しました。

東京高裁判決(平成28年5月11日)

 悪魔に関する妄想の影響下に弟と祖母を殺害した事例です。

 裁判官は、

  • 本件の犯行態様に弟の頭部をハンマーで殴打し、外に逃げ出した同人の顔面を果物ナイフで突き刺すなどし止めようとした祖母を振り払って、敷地内に倒れ込んだ弟を果物ナイフで多数回突き刺し、引き続き祖母を果物ナイフで多数回突き刺し通行人から犯行を止めるように言われたが、弟及び祖母の間を行き来して刺し続け、弟に100か所以上、祖母に60か所以上の刺創を生じさせたという極めて執拗かっ殺害の目的を達するには過剰なものである
  • 弟及び祖母の眼球や頸部を狙って果物ナイフで徹底的に突き刺したことが認められ、攻撃の対象とした部位からも、単に殺害の目的を達成しようとするにとどまらない、悪魔の目的を打ち砕くことが天界からの使命であるなどという妄想の影響が相当に強かったことがうかがわれる
  • また、通行人から犯行を止めるように言われたが、無言で淡々かつ黙々と刺し続けていたという態様の異常さも、妄想の影響の強さをうかがわせるものである
  • 悪魔に関する妄想の圧倒的な影響をうかがわせる犯行態様の執拗性、過剰性、異常性に関する事情及び犯行に至る経緯における事情が多数認められる

とし、犯行当時、被告人は心神喪失であった疑いがあるとし、無罪を言い渡しました。

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