刑法(殺人予備罪)

殺人予備罪(4) ~「殺人未遂罪ではなく、殺人予備罪が成立するにとどまるとされた事例」を解説~

殺人未遂罪ではなく、殺人予備罪が成立するにとどまるとされた事例

 殺人行為の実行の着手がないため殺人未遂罪は成立せず、殺人予備罪が成立するにとどまるとされることがあります(実行の着手の有無と殺人未遂の成否についての詳しい説明は前の記事参照)。

 参考となる裁判例として、以下のものがあります。

神戸地裁姫路支部判決(昭和34年11月27日)

 刺身包丁を携え、被害者宅に押し入って被害者を探し歩いたが、被害者が物音に驚いて逃走したため発見できなかった事案で、裁判官は、

  • 被害者及びその家族は、被告人侵入の際の物音に驚いてすでに表戸を開いて逃走していたので、被害者はもちろん、その家族の姿も見付けることができなかったのであって、その間、何ら被害者のための実行行為に及んでいないことが認められる
  • 本件のような場合、被告人が刺身包丁を携帯して被害者宅に侵入し、被害者の姿を探し求めて屋内を通り歩いた行為自体をもっては、未だ殺人の実行行為ということはできない
  • 従って、殺人未遂については証明が無かったことに帰するが、殺人予備を認めたので無罪の言渡をしない

と判示し、実行の着手がなく、殺人未遂罪は成立しないが、殺人予備罪が成立するとしました。

広島地裁判決(昭和39年11月13日)

 殺意をもって腹巻きに差し込んでいたあいくち(ナイフ)を抜こうとして手をかけたが、被害者がそれを見て身の危険を感じ逃走したため、あいくちさやから抜くまでにいたらなかった行為について、殺人の実行の着手はなく、殺人未遂罪は成立しないとし、殺人予備罪を認定した事例です。

 裁判官は、

  • 被告人は、殺意をもってあいくちに手をかけたが、未だ抜かなったことが認められる
  • 従って、被告人の殺意に基づく行為は、未だ殺人の実行に着手したものではなく、殺人の予備の段階にとどまったものと解するのが相当である

と判示しました。

宇都宮地裁判決(昭和40年12月9日)

 被告人の父と弟妹らの日常通行する農道の道端に農薬入りジュースを置き、同人らに拾わせて飲用させて殺害しようとしたが、ほかの家の者が拾って飲用して死亡し、父と弟妹らについては殺害の目的を遂げなかった事案です。

 ほかの家の者を死亡させた点について殺人罪が成立し、父と弟妹らについては殺害の目的を遂げなかった点については、殺人の実行の着手がないとし、尊属殺人罪(現在は法廃止)の未遂罪の成立を否定し、殺人予備罪が成立するとしました。

 裁判官は、

  • 実行の着手については、従来学説上種々の対立があり、判例また学説と必ずしも軌を一にしないけれども、当裁判所としては、行為が結果発生のおそれある客観的状態に至った場合、換言すれば、保護客体を直接危険ならしめるような法益侵害に対する現実的危険性を発生せしめた場合をもって実行の着手があったと解するもので、この考えは殺人罪における実行の着手に関する左記諸判例から必然的に帰納されたものである
  • (1)「毒殺罪については、殺意をもって毒薬を調合し、これを服用せしめんとする人に渡したる所為は、未だ実行に着手したるものに非ず。現に毒薬を服用せしめ又は目的の人が服用すべき状況に毒薬を供したる時において始めて実行の着手あるものとす」(大審院明治36年6月判決)
  • (2)「刑法第293条(旧法)の罪を構成するには、被害者に対して毒物を施用したる事実あるを必要とす。而して本件被告が選びたる塩酸モルヒネは、人をして服用せしむるによって殺害の目的を達すべきものなるをもって、被告にてこれを被害者の服用すべき状態に置きたる事実、すなわち例えば、人に対し飲食物として贈与するか然らざれはその使用すべき食器にこれを装置し、あるいは飲食物を措くべき場所にこれを提供するか、いずれの場合を問はず必然人の飲食すべき状態に毒物を提供する事実あるを要す」(大審院明治37年6月24日判決)
  • (3)「特定人を殺す目的をもって人を殺すに足る毒物を含有するまんじゅうをその者の家に持参し、毒物含有の事実を秘して、その者に交付したる場合に在りては、犯人において毒殺の実行手段をつくしたりものなれば、その者が未だ現実該まんじゅうを食せずとするも、既に殺人の着手ありたりというべく、従って本件において、原判決が被告人が毒薬黄燐を含有する猫いらずと称する殺鼠剤定価十銭のもの約3分の1をまんじゅう7個に混入し、Y方へ赴き、Y及びその家人の食することあるべきを認識しながら、これをYに交付したるところ、Yがこれを食せざるに先ち、事発覚してY殺害の目的を遂げざりし事実を認定し、被告人の行為を刑法第203条、第199条に問擬したるは正当にして…」(大審院昭和7年12月12日判決)
  • (4)「被告は毒薬混入の砂糖をKに送付するときは、S又はその家族においてこれを純粋の砂糖なりと誤信して、これを食用し、中毒死に至ることあるを予見せしにかかわらず、猛毒薬昇汞封度を白砂糖1斤に混じ…歳暮の贈品たる白砂糖なるが如く装い、小包郵便に付してこれをSに送付し、Sはこれを純粋の砂糖なりと思惟し受領したる後、調味のため、その1さじを薩摩煮に投じたる際、毒薬の混入し居ることを発見したるため、S及びその家族は、これを食するに至らざりし」(事実につき)「他人が食用の結果中毒死に至ることあるべきを予見しながら毒物をその飲食し得べき状態に置きたる事実あるときは、これ毒殺行為に着手したるものにほかならざるものとす」「右毒薬混入の砂糖はSがこれを受領したる時において、S又はその家族の食用し得べき状態の下に置かれたるものにして既に毒殺行為の着手ありたるものというを得べきこと上文説明の趣旨に照らし、寸毫も疑なきところなりとす」(大審院大正7年11月16日判決)
  • 「実行の着手」なる概念については行為が犯罪構成要件の一部を実現することであるとし、また法益侵害の一般的、抽象的な危険の発生をもって実行の着手があるとする説もある
  • かような見地からすれば、本件の場合は、被告人が毒入りジュースを農道に分散配置した時において既に犯罪の実行の着手ありとすることになろうし、また常識も一般的にこれを肯認するであろう
  • しかしながら、農道に単に食品が配置されたというだけでは、それが直ちに他人の食用に供されたといえないことは明らかである
  • すなわち、農村においては野ねずみ、害虫等の駆除のため毒物混入の食品を農道に配置することもあるであろうし、道に棄てた物を必ずしも人が食用に供するとは限らないからである
  • もっとも本件のようにビニール袋入りのジュースでは、これを他人が発見した場合、右のような目的に使用された毒物混入食品とは思わないであろうから、比較的に拾得飲用される危険は成人はともかく、幼児などについては相当大きいといわなければならない
  • 被告人は、自分の家族なればこそ以前に他人の棄てた食品を拾得して食用に供した経験があるからこれを拾得するだろうが、自分の家族以外の他人がかようなことをするはずはないと述べるけれども、本件毒物を配置した場所は自分の居宅敷地内ではなく道路であり、居宅の付近であるが、弟妹らが平素よく遊びに出掛ける箇所であるとはいえ、居宅から約400mも離れており、また以上いずれの箇所も他人が通行する場所であるのだから、他人にも拾得される危険の存することは論をまたないところである
  • ただ左様な危険の存するからといって、ただちに本件被告人の行為をもって犯罪実行の着手と認めることができないのは前示のとおりであるばかりでなく、前記引用の諸判例に示された法律上の見解からすれば、なおさら本件被告人の行為をもって他人の食用に供されたと見ることはできないからである
  • 以上の次第で、本件においては毒入りジュースの配置をもって尊属殺および普通殺人の各予備行為と解し、ただ本件被害者らによって右ジュースが拾得飲用される直前に普通殺人について実行の着手があり、殺害によって普通殺人罪が既遂に達しこれと尊属殺人の予備罪とは観念的競合となると解する

と判示しました。

大阪地裁判決(昭和44年11月6日)

 殺意をもち凶器を携え、被害者の居室に侵入したが、それ以上の行動に出なかった場合について、殺人の実行行為の着手があったと認められないとし、殺人未遂の成立を否定し、殺人予備罪が成立するとした事例です。

 裁判官は、

  • 殺人罪における実行の着手とは、人を殺害する意思をもって殺人の実行行為を開始することをいうのである
  • 被告人が被害者Mに対し包丁をもって切りつけ、また突き刺す行動に出なかったことはもちろん、さような態度にさえ出ようとする余裕のなかったことが明らかであるから、被告人の右動作はMに対する関係においては未だ殺害の実行行為を開始したものというをえないものと解するのが相当である
  • また被害者Nに対する関係においては、被告人は殺害の意思をもっていたとはいえ、包丁をもって単に室内に入っただけであって、それ以上の行動には出ていないのであるから、被告人がNに対し、殺害の実行行為を開始したといいえないことはもちろんである
  • されば、被告人の本件行為はM、N両名に対し、殺害の実行行為着手前の段階に属するものと解するのが相当であるから、被告人のM、N両名に対する殺人の予備と認定した次第である

と判示しました。

大阪高裁判決(昭和57年6月29日)

 夫婦喧嘩の末、被害者である妻Aが、子ども部屋に逃げ込み閉じこもったため、都市ガス(一酸化炭素の含まれていない天然ガス)を漏出させた上、点火して焼き殺す意図で、簡易ライターを手に持ちガス栓を開き15分間ガスを漏出させたが点火するにいたらなかった場合で、殺人の実行行為の着手があったと認められないとし、殺人未遂の成立を否定し、殺人予備罪が成立するとした事例です。

 裁判官は、

  • 原判決は「自宅1階4畳半の子供部屋にA子が逃げ込み、その長男Bと共に同部屋に閉じこもり、A子らに同部屋から出てくるように何度も呼びかけたが、これに応じないことに激高すると共に、A子の右態度からA子が浮気をしていて、その前夫と同様自分も捨てられるものと思いつめ、そうなるよりむしろ、ガスを漏出させてそれに点火してA子を焼殺し、自己も焼死して無理心中しようと企て、直ちに、右子供部屋に隣接している台所のガス栓に接続されているガスレンジ及びガス湯沸器のホースを引き抜きガス栓2本を開き、屋内に都市ガス(天然ガス)を約15分間にわたり漏出させ、これに所携の簡易ライターで点火することでA子を焼殺しようとし、その生命に危険を生ぜしめたが、ガスの元栓を閉鎖されて逮捕されたため、同女殺害の目的を遂げなかった」との事実を認定し、これにガス等漏出罪及び殺人未遂罪を観念的競合として適用している
  • そのガス等漏出罪の適用は正当であるけれども、殺人未遂の点につき、天然ガスには一酸化炭素が含まれていないから、これが漏出しても、いわゆるガス中毒死を招く危険はないものであるところ、本件において、被告人は屋内に充満したガスに点火して木造2階建の自宅を燃やし、A子を子供部屋で焼き殺すか、又は火に驚いて出て来ればこれを屋内でつかまえて焼き殺す意図をもって、ガスを漏出させた上、簡易ライターを手に持っていたことが認められ、原判決もこの事実を判示しているものと解される
  • そうすると、被告人は建造物に対する放火を手段として、その一室に閉じこもっているA子を焼殺しようと企て、その放火の準備として原判示ガスを漏出させたが、点火するには至らなかったのにほかならず、このように、建造物に対する放火が殺人の手段となっている場合においては、放火の着手が同時に殺人の実行行為の着手にあたるもので、至近距離に裸火があって、ガスを漏出すれば直ちに着火することが明らかであるような場合は格別、右放火の準備として屋内にガスを漏出した上、簡易ライターを手に持っていたにとどまる被告人の右行為は、いまだ殺人の実行行為に着手したものにあたらず、殺人を目的とした殺人予備の行為に該当すると解するのが相当である

と判示しました。

次の記事

①殺人罪、②殺人予備罪、③自殺教唆罪・自殺幇助罪・嘱託殺人罪・承諾殺人罪の記事まとめ一覧