人間関係において、「この人とは関わりたくないな」とか「この人とは距離をとりたいな」と思わせる嫌悪感を感じさせる人がいると思います。
嫌悪感とは、邪悪なものを避け、それから逃げ出したいという気持ちを即座に起こさせる強力な感情です。
他人に対して本能的に嫌悪感を感じるのは、人間に備わっている警報システムが発動し、「こいつとは関わるな!」と自分自身に警告を発するからです。
嫌悪感を感じるということは、あい対している人が、邪悪性を持っている人間だということを意味し、あなたが健全な人間であれば、そこから逃げ出す判断をしなければなりません。
邪悪な人間は、長期にわたって健全な人を汚染し、破滅するからです。
邪悪な人間に会ったときにとるべき最良の道は、邪悪な人間を避けることに尽きます。
邪悪な人の特徴
人が嫌悪感を感じる‷邪悪な人″の特徴について説明します。
あるものに対して、的確な名称を与えることで、それを特定し、認識することができるようになるため、私たちは、それに対処する必要な力を身につけることができます。
‷邪悪な人″とは、どのような人を指すのかを特定することによって、‷邪悪な人″に対処しようとすることができるようになります。
他人に責任を転嫁する
邪悪な人は、自責の念に耐えることができません。
邪悪な人は、自分のプライド(完全性自己像)を守るために、自分の邪悪性を否定しなければなりません。
したがって、何か問題が起こったときに、その問題が起きたのは、周りの人間が間違っていたり、無能だからだと考えます。
他人に責任を転嫁することを真っ先に考えるのです。
邪悪な人間は、自分を批判の対象外にするため、自分の接する人に対し、威圧的で攻撃的なマウントをとる発言をし、自己の優位性を相手に印象づける演出をします。
例えば、失敗や問題が起こったとき、「ちゃんと確認しないからこうなるんだ」などと、自分のことは棚に上げて、他責を発言をし、自分には否がないことを相手に印象づける立ち回りを平然とやってのけます。
邪悪な人は、自分のプライド(完全性自己像)を守るために、簡単に他人を犠牲にします。
人としての健全性を保つために、失敗や問題は、反省と自己批判をうながすものであると認める覚悟が必要ですが、邪悪な人は、その覚悟をする気がありません。
愛を装う
邪悪な人は、他人を犠牲にするとき、愛をよそおいます。
「君のためを思って言っている」など言うなど、うわべを取り繕うやり方で、愛のある行動をよそおいます。
自分の邪悪性を他人に悟られないようにする技術にたけているのです。
愛は、邪悪と正反対の関係に位置するため、愛を演出することは、自己の邪悪性を隠すための手段として優れているからです。
邪悪な人は、よそおった愛で、邪悪を隠すことを繰り返すため、自分は愛のある人間だと錯覚して生きています。
たちが悪いことに、自分が邪悪だということに無自覚なのです。
ゆえに、邪悪な行動を繰り返します。
外見をよそおう
邪悪な人は、自分自身の弱さや欠陥を認めることを拒否します。
そのため、邪悪な人は、外見をよそおわなければなりません。
邪悪な人は、自分より弱く、カモにできそうな人たちをターゲットに、彼らのマウントをとり、自分が絶えず物事を支配しているかのように外見をよそおうのです。
邪悪な人は、自分より弱い人からマウントをとることを躊躇しないので、結果、多数の人からマウントをとっている彼らを見ると、一見、彼らは有能なように見えます。
しかし、それは有能なように見えるだけであって、単なる外見、見せかけにすぎません。
邪悪な人の犠牲になる人の特徴
邪悪な人の犠牲になる人は、
- 邪悪な人から逃げ出す力を持っていない
- 邪悪な人から逃げ出さなければいけないという発想がない
という2つの要素を持っています。
人間関係を取り繕うために、邪悪な人との付き合いを続けてしまうのです。
とはいえ、職場の人間関係など、邪悪な人との付き合いをゼロにできない場合があります。
その場合は、
- 邪悪な人とは必要最小限のコミュニケーションになるように立ち回る
- 物理的に関係を切ることが難しくても、心理的には関係を切る(邪悪な人の顔色をうかがわない、心の中では「絡んでくんなよ」などと思ってキレる)
ことを実行していく必要があります。
まとめ
100%邪悪でなくても、時々、邪悪性が発現してしまう人を含めると、 邪悪な人というのは世の中にあふれています。
邪悪な人と付き合うと、自分自身に害悪がもたらされます。
そうならないためにも、まず、邪悪な人に対しは、‶邪悪な人″という名前を与えることが大切になります。
名前を与えることで、邪悪な人を認知できるようになり、対処することができるようになるからです。
ただし、‶邪悪な人″と名前を付けるのは、真にその人の邪悪性を判断した場合に限ります。
軽率に他人を‶邪悪な人″と名付けてしまうと、あなた自身が、自分の不都合を他人の邪悪性のせいにして責任を転嫁する‶邪悪な人″になってしまうからです。