殺人罪における防衛の意思
殺人罪における防衛の意思について説明します。
正当防衛・過剰防衛が成立するには、「防衛の意思」が必要になります(詳しくは前の記事参照)。
大審院判決(昭和11年12月7日)は、「急迫不正の侵害ある場合といえども、これに対する行為が、防衛を為す意思に出たるものにあらざる限り、これを正当防衛又はその程度超越をもって目すべきものにあらず」と判示し、正当防衛・過剰防衛が成立するには、「防衛の意思」が必要であることを示しています。
防衛の意思の内容として、どの程度のものを要求するかについては、
① 侵害に対応する防衛行為であることの認識という最小限度のもので足りるという考え方
から、
② 専ら防衛の動機・目的に出たことまで要求するとする考え方
まで、様々なレベルのものが考えられます。
判例は、防衛の意思の内容について、①に近い考え方を採る傾向があります。
この判例は、
- 刑法36条の防衛行為は、防衛の意思をもってなされることが必要であるが、相手の加害行為に対し憤激または逆上して反撃を加えたからといって、ただちに防衛の意思を欠くものと解すべきではない
- 憎悪の念をもち攻撃を受けたのに乗じ、積極的な加害行為に出たなどの特別な事情が認められないかぎり、被告人の反撃行為は防衛の意思をもってなされたものと認めるのが相当である
と判示しました。
この判例から、憤激や逆上による反撃だとしても、少しでも防衛の意思があれば、正当防衛・過剰防衛の成立が認められる得ることが分かります。
防衛の意思がないとされるのは、専ら積極的な加害意思であった場合に限られるといえます。
最高裁判決(昭和50年11月28日)
被告人は、Aらから暴行を受けている友人を救出すべく散弾銃を持ち出し現場に引き返したが、Aらも友人も見当たらなかったので、たまたま出会ったAの妻から友人の所在を聞き出そうとしてAの妻の腕をつかんで引っ張ったりしたところ、Aの妻が悲鳴を上げたため、これを聞き付けたAが「この野郎、殺してやる」などと言って駆け寄って来て、5、6メートル逃げたが追いつかれそうに感じ、約5メートルに接近したAに対して、未必の殺意をもって散弾銃を発砲し、加療約4か月を要する腹部銃創等を負わせたという事案です。
最高裁は、被告人にはAらに対する攻撃の意思があったことを理由として防衛の意思を否定した高裁判決を否定し、
- 急迫不正の侵害に対し、自己又は他人の権利を防衛するためにした行為と認められる限り、その行為は、同時に侵害者に対する攻撃的な意思に出たものであっても、正当防衛のためにした行為にあたると判断するのが相当である
- すなわち、防衛に名を借りて侵害者に対し、積極的に攻撃を加える行為は、防衛の意思を欠く結果、正当防衛のための行為と認めることはできないが、防衛の意思と攻撃の意思とが併存している場合の行為は、防衛の意思を欠くものではないので、これを正当防衛のための行為と評価することができるからである
として、正当防衛の成立を認めました。
この判例は、防衛の意思と攻撃の意思とが併存している場合の行為は、防衛の意思を欠くものではないことを示した点がポイントになります。
被告人が、自己の経営するスナック店内において、相手から一方的にかなり激しい暴行を加えられているうち、憎悪と怒りから調理場にあった文化包丁を持ち出し、「表に出てこい」などと言いながら出入口へ向かったところ、相手から物を投げられ「逃げる気か」と言って肩をつかまれるなどしたため、更に暴行を加えられることをおそれ、振り向きざま未必の殺意をもって手にした包丁で相手方の胸部を一突きして殺害した事案です。
最高裁は、高裁が「被告人は憎悪と怒りから相手の機先を制して攻撃しようという気持ちであって、防衛の意思を欠く」として、正当防衛は成立しないとした判断を否定し、
- 「表に出てこい」などの言動があったからといって、専ら攻撃の意思に出たものといえず、防衛の意思を欠くことにならない
とし、高裁の判決を破棄し、高裁に対し裁判のやり直しを命じました。
上記3つの判例から、最高裁は、専ら攻撃の意図に出たような極端な場合のほかは、原則として防衛の意思を認める傾向にあるといえます。
専ら積極的な攻撃・加害の意図であったとして防衛の意思が否定された事例
専ら積極的な攻撃・加害の意図であったとして防衛の意思が否定された事例として、以下の判例があります。
この判例で、裁判官は、
- 刑法36条が正当防衛について侵害の急迫性を要件としているのは、予期された侵害を避けるべき義務を課する趣旨ではないから、当然又はほとんど確実に侵害が予期されたとしても、そのことから、ただちに侵害の急迫性が失われるわけではないと解するのが相当である
- 同条が侵害の急迫性を要件としている趣旨から考えて、単に予期された侵害を避けなかったというにとどまらず、その機会を利用し積極的に相手に対して加害行為をする意思で侵害に臨んだときは、もはや侵害の急迫性の要件を充たさないものと解するのが相当である
- 被告人Aは、相手の攻撃を当然に予想しながら、単なる防衛の意図ではなく、積極的攻撃、闘争、加害の意図をもつて臨んだというのであるから、これを前提とする限り、侵害の急迫性の要件を充たさないものというべきである
と判示し、予期された相手の機会を利用して積極的に加害行為をする意思で侵害に臨んだときは、防衛の意思と侵害の急迫性が失われるとして、正当防衛の成立を否定しました。
京都地裁判決(平成12年1月20日)
暴力団同士の抗争で、他の暴力団により、けん銃で襲撃を受けた暴力団関係者が、その反撃として、現場に駆け付けた氏名不詳者らと共に、襲撃者をけん銃で射殺した行為につき、襲撃があり得ることを予期し、その場合には、その機会を利用して襲撃者に対し積極的に加害行為をすることを、氏名不詳者らと事前に共謀しており、これに基づいて殺害行為に出たものと認定して、正当防衛の成立を否定した事例です。
裁判官は、
- 正当防衛が成立するためには、侵害に急迫性があることが必要であるが、緊急行為としての正当防衛の本質からすれば、反撃者が、侵害を予期した上、侵害の機会を利用し積極的に相手に対して加害行為をする意思で侵害に臨んだときは、侵害の急迫性は失われると解するのが相当である(最高裁昭和52年7月21日決定)
- これを本件について見るに、本件銃撃戦に加わった被告人及び氏名不詳者らは、A会長に対して、けん銃等を使用した襲撃があり得ることを予期していたが、警察等に救援を求めることもせず、A会長の外出時には、ボディーガードとして被告人がA会長に同行するとともに、2台の自動に分乗した男たちが、無線機で連絡を取り合うなどしながら、その周辺を見張り、かつ、けん銃を適合実包とともに携帯するなどの厳重な警護態勢を敷いていたものである
- そして、A会長らが本件襲撃を受けるや、被告人らは、事前の謀議に従い、即座に対応してこれに反撃を加え、本件襲撃者をその場から撃退するにとどまらず、殺意をもってけん銃を発砲して激烈な攻撃を加えてB及びCを殺害したものであって、A会長が襲撃を受けた機会を利用して積極的に本件襲盤者に加害行為をする意思で、B及びCの殺害を実行したものと評し得る
- また、関係各証拠を総合しても、予斯していた以外の相手からの襲撃であったものとは認められないから、侵害の急迫性の要件を欠いており、正当防衛はもとより、過剰防衛も成立する余地はない
- 以上によれば、被告人が氏名不詳者数名と共謀の上、判示のとおり、適合実包と共にけん銃2丁を携帯していたこと、及びこれらのけん銃を発射ないし発砲して、B及びCを殺害したことは優に認められる
と判示し、正当防衛は成立しないとし、殺人罪の成立を認めました。
相手が、七輪、五徳、鍋などを投げ付けたのに対し、被告人が、手斧で相手の頭部を2回強打して頭蓋骨骨折の傷害を負わせた上、頸部をタオルで締め付けて窒息死させた事案です。
裁判官は、
- 被告人が容易に逃避可能であつたこと、成人した被告人の子供達が一室を隔てたところにいたのにこれに救援を求めようとしなかったこと、被害者は泥酔していたこと、他方、被害者と被告人とはかねて感情的に対立していた諸事情からすれば、被告人の本件所為は被害者の急迫不正の侵害に対する自己の権利防衛のためにしたものではなく、むしろ右暴行により日頃の忿懣を爆発させ、憤激の余り、とっさに右被害者を殺害せんことを決意してなしたものであり、その措置も已むことを得ざるに出でたものとは認められない
- 被告人の本件所為が、急迫不正の侵害に対し、権利防衛に出でたものでない以上、正当防衛ないし過剰防衛の観念を容れる余地はないものと解すべきである
と判示し、防衛行為の相当性を著しく欠くとして、正当防衛・過剰防衛の成立を否定しました。
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