心的外傷後ストレス障害(PTSD)の傷害認定
近年、性的犯罪等の被害者等について心的外傷後ストレス障害(PTSD)が傷害として認定される事例があり、最高裁も監禁致傷罪についてPTSDを傷害と認定しています(最高裁決定 平成24年7月24日、詳しくは前の記事参照)。
業務上過失致傷罪(又は過失運転致傷罪)の傷害にもPTSDが含まれます。
どの程度の精神の傷がPTSDに当たるかは、診断基準などに照らして判断されることとなります。
過失運転致傷罪において、PTSDが傷害認定できるかが争われた以下の事例があります(この事例では、PTSDを傷害認定せず)。
東京高裁判決(平成22年6月9日)
駅ロータリー内で2台の車の間を通過しようとして運転操作を誤った被告人が右側停止車両の左前部に自車右側面部を衝突させ、停止車両の運転者Aに加療約13日間の頸椎捻挫を負わせるとともに、その同乗者CにPTSD の傷害を負わせたとして、自動車運転過失傷害罪(現行法:過失運転致傷罪)起訴された事案です。
同乗者のPTSDの傷害については、診断基準に照らして、非常に恐ろしい体験をしたとまではいえず、また、心的外傷の持続期間も足りないとしてPTSDの傷害を認定できないとしました。
裁判官は、
- Cは、身体に傷害を負ったのではなく、Cが負った傷害というのは「心的外傷後のストレス障害」という心の傷であるというのであるが、これについての証拠としては、医師作成の診断書と警察官作成の同医師からの電話聴取書があるのみである
- そして、診断書は本件の3日後に作成されたもので、「病名 心的外傷後のストレス障害 本日当クリニックを受診して11月22日の交通事故による頭記と診断され、12月31日まで自宅安静を要する状態であると認められます。」との記載がある
- 平成21年3月30日に作成された上記電話聴取書には、「この方(C)の診断については、交通事故による『病名 心的外傷後のストレス障害』という病気で、事故により、不眠や不安が続き、手足が震えるといった症状が現れます。程度的には、中程度でセダブランの薬を2週間程度、処方しました。この薬の効能は、興奮抑制や睡眠剤が入っております。計6回通院し、今年の1月5日に完治し治療を終えていますので、受傷日から計算しますと全治44日ということになります。当院による、この方の受診は初めてであり、この人にうつ病や精神病といった過去の病気、症状はなく健康な方でした。」との記載がある
- しかしながら、犯罪の被害者は、多かれ少なかれ心理的にストレス状態になり、心に傷を負うものであるが、それら心の傷のすべてが刑法上の傷害に当たるものでない
- 心的外傷後のストレス障害(以下、「PTSD」ともいう。)といっても、それは精神的後遺症の総称ではなく、心的外傷を受けた後に起こってくる精神障害の中の一つである
- そして、PTSDの診断基準としてDSM-Ⅳ (精神疾患の診断・統計マニュアル第4版)やICD-10(疾病と関連の健康問題についての国際統計分類第10版)の診断基準があり、それら基準に適合してはじめてPTSDと診断できるのである
- PTSDと診断するためには、まず、①心的外傷体験があり、その後の心身の不調である症状として、②再体験、回避、持続的な覚醒亢進の3つの症状が現れるとされており、この点においては両診断基準とも共通である
- そして、心的外傷体験の定義について、DSM-Ⅳ診断基準では、「実際にまたは危うく死にそうになったり、大怪我をしそうになったり、またはその他の自分の身体の統合性に脅威が及んだりするような出来事を直接個人的に体験したり、他人が死んだり、怪我をしたり、または身体的統合性に危険が及んだりするような出来事を目撃し、または直面した」ことと定義される
- ICD-10基準では、「ほとんど誰にでも大きな苦悩を引き起こすような、例外的に著しく脅威的な、あるいは破局的な性質をもった、ストレスの多い出来事(すなわち、自然災害または人工災害、激しい事故、他人の変死の目撃、あるいは拷問、テロリズム、強姦あるいは他の犯罪の犠牲になること)」と定義されており、いわば、非常に怖くて恐ろしい目に遭った体験が必要であることが認められる
- これを本件でみると、本件の事故態様は、被告人が、駅前のロータリー内を普通乗用自動車で進行し、前方の右側と左側に停止していた2台の車両の間を時速約30キロメートルで後方から通り抜けようとした際、運転操作を誤り、右手前に止まっていたA車両の左前部に自車右側面部を衝突させたというのであり、被害車両の運転席にいたAが負った傷害は、加療約1 3日間を要する頸椎捻挫等であり、助手席にいたCは身体には傷害を負わなかったというのである
- その衝撃によるCの本件事故体験は、PTSDの診断基準にいう心的外傷体験に当たるとはいえず、また、Cには、その後の心身の不調として、再体験、回避、持続的な覚醒亢進の3つの症状が現れていることも認められない
- そしてまた、PTSDは、心的外傷後、1か月以内に生じる急性ストレス障害とは異なり、その精神障害の持続期間は、1か月以上とされている(DSM-Ⅳ)のに、本件診断書において、本件事故の3日後に、CをPTSDと診断されているのは、PTSDの診断基準に適合していないといわなければならない
- そうすると、本件診断書や電話聴取書によって、CがPTSDの傷害を負ったと認定することはできず、犯罪の証明がないのに、Cに対する自動車運転過失傷害罪の成立を認めた原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認があるといわなければならない
- この点においても、原判決は破棄を免れない
と判示し、被害者CのPTSDを傷害として認定しない判断をしました。
業務上過失致死傷罪、重過失致死傷罪、過失運転致死傷罪の記事まとめ一覧