刑法(業務上過失致死傷罪)

業務上過失致死傷罪(14) ~「業務上過失致死傷罪における客体(被害者)である『人』とは?」「業務上過失致死傷罪において『人』が争点となった事例」を判例で解説~

業務上過失致死傷罪における客体(被害者)である「人」とは?

 業務上過失致死傷罪(刑法211条前段)の客体(被害者)は、「人」です。

 刑法上の「人」の定義は、以下のとおりです。

 なお、以下でする説明は、傷害罪や殺人罪を例に挙げた説明になっていますが、考え方は、業務上過失致死傷罪などの刑法犯全般にも適用できます。

(1) 「人」の意義

 業務上過失致死傷罪などの客体(被害者)である「人」とは、行為者本人(犯人)を除く「身体」を有する自然人を指します。

 法人その他の団体を含みません。

(2) 人の始期(一部露出説が通説)

 人の始期は、出生です。

 刑法上、出生前は「胎児」として「人」とは区別されます。

 分娩作用が相当の時間的経過を経て完成するものであることから、出生の時期、すなわち「胎児」と「人」とを画する時期については、陣痛説(分娩開始説)、一部露出説、頭部露出説、全部露出説、独立呼吸説の各説があります。

 刑法上は、『一部露出説』が通説・判例の考え方になっています。

 一部露出説は、傷害罪や殺人罪で適用されることが多い考え方ですが、業務上過失致死傷罪など刑法犯全般に適用できる考え方です。

 この考え方は、

  • 傷害罪や殺人罪などが、人の生命・身体に対する不法な侵害である以上、そのような不法な侵害を受けることができる状態に達すれば、これらの罪の客体として保護する必要がある
  • したがって、胎児が一部でも母体外に現れれば、その時点で、母体とは独立に、その生命・身体を攻撃することができるのであるから、この時期をもって、「人」の始期と捉えるべきである

という考え方に基づきます。

 傷害罪、殺人罪などの客体たる「人」になる時期について、『一部露出説』とることを明らかにした判例として、以下のものがあります。

大審院判決(大正8年12月13日)

 この判例で、裁判官は、

  • 胎児が未だ母体より全然分離して呼吸作用を始めるに至らざるも、既に母体よりその一部を露出したる以上、母体に関係なく外部よりこれに死亡を来すべき侵害を加えるを得べきが故に、殺人罪の客体となり得べき人なりというを妨げず

と判示し、産門から一部露出した胎児の面部を強圧した行為を殺人行為の一部と認めました。

 なお、この判例は、胎児が母親の産門から頭頂部を露出し、まさに出産しようとする際に、両手を産門に挿入し、胎児の鼻口を圧迫し、胎児を死に至らせ、胎児の頭部をつかんで引き出した事実に対し、殺人罪を適用せず、堕胎罪を認めた事例になります。

 ちなみに、民法においては、人の始期、すなわち、その権利能力が認められる時期の始点は『全部露出説』が通説になっています。

(3) 人の終期

 人の終期は死亡です。

 死亡の時期は、呼吸・心拍動の終止、瞳孔散大により判定するという考え方(いわゆる三徴候説)が通説になっています。

 刑法上は、「心臓死」をもって人の死と解すべきとされます。

 参考になる判例として、以下の判例があります。

大阪地裁判決(平成5年7月9日)

 この判例は、被告人の暴行により、被害者が脳死になった後、人工呼吸器が取り外され、心臓死となった事案について、暴行と心臓死との因果関係を肯定して傷害致死罪の成立を認めました。

 裁判官は、

  • 被害者は、眉間部打撲によるびまん性脳損傷により脳死状態に陥り、9月3日午後7時に第1回目の脳死判定がなされ、次いで9月4日午後7時35分に第2回目の脳死判定がなされ、脳死が確定したこと、そして、被害者の妻であるIらは、E医師らから、被害者が脳死と判定されたこと等について説明を受けた上、9月5日午前9時ころ、被害者の人工呼吸器を取り外すことを承諾したこと、9月5日午後5時40分ころ、被害者の家族の立会いの下に、E医師により被害者の人工呼吸器が取り外され、9月5日午後6時ころ、被害者の心臓停止が確認されたことが認められる
  • そこで、弁護人は、被害者が心臓停止に至るにつき、人工呼吸器の取り外し措置が介在しているところから、被告人の暴行と被害者の心臓死(「三徴候」による死、以下同じ。)との間に因果関係があるというにはなお疑問が残ると主張する
  • しかし、前記のとおり、被告人の眉間部打撲行為により、被害者は、びまん性脳損傷を惹起して脳死状態に陥り、二度にわたる脳死判定の結果脳死が確定されて、もはや脳機能を回復することは全く不可能であり、心臓死が確実に切迫してこれを回避することが全く不可能な状態に立ち至っているのであるから、人工呼吸器の取り外し措置によって被害者の心臓死の時期が多少なりとも早められたとしても、被告人の眉間部打撲と被害者の心臓死との間の因果関係を肯定することができるというべきである
  • よって、被告人には傷害致死罪が成立する

と判示しました。

 なお、平成9年に制定された「臓器の移植に関する法律」において、臓器移植に関しては死体に「脳死した者の身体」を含むとし、「脳死した者の身体」を「その身体から移植術に使用されるための臓器が摘出されることとなる者であって、脳幹を含む全脳の機能が不可逆的に停止するに至ったと判定されたものの身体をいう」と定義しました。

 これにより、臓器移植に限っては、「脳死」が人の死として取り扱われることとなり、臓器移植を目的として、同法律の定める基準に従い、脳死と判断された場合には、その時点から刑法上も「人」ではなくなることになっています。

(4) 余命のない者も客体(被害者)になる

 余命のない者も、業務上過失致死傷罪などの刑法犯全般の客体(被害者)になります。

 参考となる判決として、持病のため余命のない者に対して傷害致死罪の成立を認めた以下の判決があります。

東京高判判決(昭和31年2月29日)

 数日後に死ぬかも知れないといわれていた病者の頭部を殴って死亡させた事案で、裁判官は、

  • 鑑定の結果によれば、Eの死因は肺壊疽で、全身的に生活機能が衰弱している上、頭部殴打により脳震盪を起こし、意識不明のまま心臓呼吸が停止したと推定せられるというのであるから、少くとも被告人の暴行による脳震盪はEの死を早めたもので、同人の死に対し、一原因を与えたものというべきである
  • 而して、傷害致死罪において致死の原因たる傷害は、死亡の原因をなしたものであれば足り、それが死亡の唯一又は直接の原因であったことを必要とするものではないから、Eの肺壊疽による病気と相俟って死亡したものとしても、被告人の暴行による脳震盪がEの死亡に対し原因を与えたことを否定し得ない
  • もっともEが通常人の健康体であったとすれば、被告人の加えた程度の暴行によっては死亡することは稀であろうが絶無とはいえない訳であり、殊にEは病弱者であったのであるから、これに対し、暴行を加えれば死の転帰を見るに至るべきことは実験法則上明かである
  • 故に被告人の暴行と、Eの死との間には法律上相当因果関係があると認めるべきである

と判示し、持病のため余命のない者に対する傷害致死罪の成立を認めました。

業務上過失致死傷罪において「人」が争点となった事例

 業務上過失致死傷罪において「人」が争点となった判決を紹介します。

最高裁決定(昭和63年2月29日)

 母親がメチル水銀に汚染された魚介類を摂取したため、胎児を胎児性水俣病罹患させ、生後12歳9か月で死亡させた事案です。

 裁判官は、

  • 現行刑法上、胎児は、堕胎の罪において独立の行為客体として特別に規定されている場合を除き、母体の一部を構成するものと取り扱われていると解されるから、業務上過失致死罪の成否を論ずるに当たっては、胎児に病変を発生させることは、人である母体の一部に対するものとして、人に病変を発生させることにほかならない
  • そして、胎児が出生し、人となった後、右病変に起因して死亡するに至った場合は、結局、人に病変を発生させて人に死の結果をもたらしたことに帰する

として、病変の発生時において客体が人であったか否かにかかわらず、業務上過失致死罪が成立するとしました。

秋田地裁判決(昭和54年3月29日)

 自動車事故により被衝突車両に乗車していた妊娠中の女性が、衝突の衝撃によって約1週間後に重症仮死状態の女児を分娩(早産)し、分娩後約36時間半で女児が死亡した事案で、裁判官は、分娩児は「人」となったとはいえず、胎児の延長線上にあるとして、女児に対する業務上過失致死罪(現行法:過失運転致傷罪)の成立を否定した事例です。

 なお、この判決については、上記最高裁決定と整合するか疑問であるとする学説の意見があります。

 裁判官は、

  • 刑法の生命、身体に対する罪の客体は「人」であり、胎児の生命、身体に対する侵害は堕胎罪によって処罰されている
  • そこで、胎児の間に、胎児に加害行為(実行行為)があり、それによって分娩後、分娩児が死亡するに至った場合、加害者はどのような責任を負うべきかは問題であり、実行行為と客体の同時存在は必要でなく、胎児は将来人になるべくその機能を生成している過程であり、胎児に傷害を与え、その結果が「人」に及んだ場合、「人」に対する傷害罪等として加害者はその責任を負うとの見解があり、これも現行刑法上否定できないものがあると思われるので、本件においてこの点を検討する
  • 従来、生命、身体に対する侵害犯の客体として「人」の始期は出生であり、出生の時期は刑法では胎児の身体の一部が母体から露出した時とするのが一般であり、早産のため発育不良で将来成長の希望のない嬰児でも、また仮死状態で呼吸作用を開始しなくとも「人」であるとも言われている
  • これは生命、身体に対する直接の加害行為は一部露出の段階でも可能であり、将来成長の見込がなく、また単に仮死状態でも死と判定されない限り、これに対する加害行為は処罰に値するからである
  • しかし、胎児に誤って傷害を与えたが、母体から一部露出した後には何らの加害行為が存在しないときに、従来の「人」の概念を直ちに前記見解にあてはめ、その後の結果について責任を問うのであれば問題を生ずる余地があると思われる
  • 少なくとも、前認定の本件分娩の経緯、分娩児の容態をみるならば、堕胎罪(これは自然の分娩期に先立って胎児を人為的に母体外に排出する行為で、その結果が死産であるか生産であるかを問わない。)との関連、特にの過失犯が処罰されないことと対比すると、本件事案のもとで、従来の「人」の概念を前記見解にあてはめ業務上過失致死罪の責任を問うのは、その構成要件を不当に拡大解釈するもので、罪刑法定主義の見地からも許されないと考える
  • すなわち、一部露出の段階を経て、医学的には生産児の分娩と判定されても、胎児の際の過失により加害され、生活機能の重要な部分が損なわれ、自然の分娩期より著しく早く母体外に排出され(早産)、生活能力もなく、自然の成り行きとして出産後、短時間で死に至ることが予測され、実際どんな医療を施しても生活能力を具備できず、医学的にも死の結果を生じた本件事案のような場合には、刑法上右分娩児は「人」となったとは言えず、胎児の延長上にあり、胎児又は死産児に準じて評価するのが相当である
  • 結局、本件では人の死という結果発生について、その証明がなかったことに帰する

と判示し、女児に対する業務上過失致死罪(現行法:過失運転致傷罪)の成立を否定しました。

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